ao side

 大切な人を傷付けた記憶はなるべくは思い出したくないものだ。

 思い返すきっかけになったのはきっと、昨日から組むことになった柊翠ひいらぎすいのことを考えていたからだろう。


 彼女はアイドルになるべくしてなったというような風貌だった。

 長い手足に握り拳位しかないであろう顔の小ささ。黒と金の鮮やかなツートーンヘアは手入れが行き届いて、動くたびにサラサラと波打つ。澄んだ声は歌に乗せても聞き心地が良いだろう。そしてなんといっても、精巧に作られたビスクドールのような顔立ち。

 どこをとっても一介の地下アイドルにしておくにはもったいない人だと思った。16歳の頃から5年も活動しているのなら、どこか大手からメジャーデビューの声がかかってもおかしくない逸材だろう。


 どうして、と頭を捻っていると、先日まで所属していたグループのメンバーからメッセージが届いていた。


、柊翠と組むって聞いたよー。大丈夫そ?"

“大丈夫ってなにが?"

“あれー?前、話したくない?女グセ悪いって。なんか前メンバーと付き合ってて、色々あって解散しちゃったらしーよ。

碧、ただえさえ女にモテるんだから気をつけなよー。"


 ぼんやりとそういう話をメンバーがしていたのを思い出す。噂なんてものは尾ひれがつくものだ。

 私はメンバーとしてきちんと彼女に向き合っていきたい。自身の目で柊翠という人間を知っていく。


 そう決めたのに眠りにつく間際、昔のことを思い出したのはなせだろう。



 昔からよく女の子から好意を寄せられた。その好意の種類はその人によって様々であったと思う。好かれるということ自体は嬉しいが、恋愛感情となるとどうしていいか分からなかった。

 そもそも私が恋をしたことがなかったから。女性にも男性にも。

 交際がどういうものかもわからないのに、告白に応えるのは不誠実だと全て断ってきた。


ただ、一度だけ親友だと思っていた女の子に想いを告げられた時。その時だけは首を縦に振ってしまった。

 ここで断ってしまうと、友達としての関係も断ち切れてしまいそうで。

 

 結果としては、悪手だった。

恋人になるということは、肉体的接触もあるわけで、最初のキスで躓いた。

 彼女の潤んだ瞳がまぶたで隠されて、無防備な姿で待っている。これから互いの唇が重なると思うと、心臓がうるさい。

 だが、このドキドキは恋愛感情からなるものではなく、彼女をがっかりさせないようにせねばという緊張によるものだろう。


 おそるおそる唇を近づけ、ゆっくりと目を瞑る。唇に伝わる柔らかさと熱さに驚いてすぐ離してしまう。

 ただ、一瞬触れ合っただけなのに彼女は恥ずかしそうに両手で顔を覆い、俯いていた。指の隙間から覗く肌は赤らみ、じんわりと浮かんだ汗からは果実のような甘い香りがしている気がした。

 こんな反応をしてくれているというのに、私は何も変わっていない。


 そんなのはあんまりにも失礼ではないか。

心が軋む感覚に耐えきれなくなり、後日としての別れを告げた。


 彼女への罪悪感に苛まれる日々。

ふいに家族がつけっぱなしにしていたテレビにアイドルのドキュメンタリーが流れているのが気になった。

 女性アイドルが握手会をしている場面。男性のみならず女性も列に並んでいた。

 切実な表情で愛を伝えるファンにアイドルは変わらぬ笑顔で応える。アイドルとファンとでは想いの種類の違いがあるように見えるのに不思議と不誠実には感じない。


 そうか。一方的に思い続けられる存在になれば、苦しくないのか。

 それが名案だと私は大学入学を機に上京し、地下アイドルの活動を始めた。

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