第33話
「――――ろ…………こ……ろ………いろ……」
暗い闇の中で誰かの声が聞こえる。そのお蔭か、徐々に微睡が解けるように意識が覚醒していく。
「――――小色っ!」
耳朶を大きく震わせる声が自分の名を呼んだことに気づきハッとなる。声は左隣から聞こえてきた。
「っ……お、お兄……ちゃん?」
視線を向けると、そこにいたのはこれまでずっと一緒に過ごしてきた兄――理九だった。
「おお、起きたか! 無事か? 痛いところはないか?」
真っ先に自分の安否を確かめてくる理九に対し「大丈夫だよ」と答える。同時に薄暗い中で、自分たちがどういった立場にあるのか理解した。
「お兄ちゃん……これ……う、動けない……!?」
理九も含め、自分の身体を覆う緑色の粘液。それが土の壁と挟むようにして粘着しているので身動き一つ取れないでいた。
そしてよく見れば、自分たちだけではなく、ともに時乃の屋敷で働いていた者たちも拘束されている。
そこである事実を思い出して恐怖にかられた。それはこの粘液が、あの突然屋敷を襲ってきた怪物が吐き出したものと似ていること。そして自分たちが、怪物に連れ去られたということも。
つまりこの粘液は、いわゆる溶解液であり自分たちもすぐに溶けてしまうと思い至り顔が青ざめる。そんな絶望を感じた小色を察してか理九が口を開く。
「安心しろ、小色」
「で、でもこの粘液……!」
「どうやらこの粘液には溶解力はないみたいなんだ」
「え?」
「その代わり固いゴムのようになっててな。多分だけど獲物を捕獲するのに特化した粘着力と耐久力に優れた代物なんだろう」
そういえばいつまで経っても熱を感じない。地上で粘液を浴びた男性は、数秒後に悲惨なことになったが、すでに拘束されて大分経っているとしたら、理九の見解が的を射ていることになる。
しかし溶解液ではないとしても、全力を入れてもビクともしない状態では現状の解決の糸口すら見つからない。
「そういえばあの怪物はどこ行ったの?」
「ああ、奴なら捕まえた俺たちをここに放置したあとに、あっちの穴から出て行ったよ」
理九が視線を向けた先にはなるほど、確かにあの怪物が通れるほどの大穴が開いている。
「てっきりすぐに食べられるって思ったけど、こっちにとってはチャンスだしな。何とかして逃げ出さないと」
そう理九は言うが、それはかなり困難を極める。まずこの強力過ぎる拘束物を取り除くこと、次に他の拘束者たちも助け出すこと、それを怪物が来る前に速やかに行うこと、そして全員でどことも知れないこの場所から地上へ出ること。
そのすべてを成すのは、まさに細過ぎる綱渡りだろう。
「でもこの粘液、どうすればいいんだろ……? お兄ちゃん、何か良い考えあるの?」
「そうだな……! そういやアレがあったっけ!」
理九はほんの僅かに動く右手をポケットに入れると、そこからあるものを取り出した。
「……ライター? そっか、火で溶かすんだね!」
「まあ、燃えてくれるか分かんないし、コイツがガソリンや灯油みたいな代物だったら、一気に燃え上がって下手すりゃ爆燃現象が起きるけど……」
確かに彼の言う通り、揮発性の高い物質ならば、ここら一体がすでに可燃性のガスで満たされている危険性がある。火を点した瞬間に大爆発なんてことも有り得る。
「……でも、このままここにいてもいずれ食べられちゃうんだよね?」
「そう……だな。なら覚悟を決めて……やるか!」
それでもやはり自身の考えが合っていたらと思うと怖いのか、理九の手は震えなかなか火を点けられない。
「お兄ちゃん……頑張って!」
悔しいことに応援することしかできない。正直、爆発を引き起こせばと思うと小色も恐怖にかられるが、何もせずに殺されるなら、最後の最後まで足掻くべきだとも思っていた。
(できることを目一杯。最後まで諦めない。そうですよね、日門さん)
彼はその意思を真っ直ぐ貫いたからこそ異世界で生き抜くことができたという。その話を聞いた時、自分も何があっても挫けたり諦めたりしないと決意したのだ。
だからたとえこれが最悪の結果に繋がるとしても、目を離さずに希望を捨てずに見守る。
――シュボッ!
ライターから火が点された瞬間、二人は同時に息を呑むが……。
「「……ふぅぅぅぅぅ~」」
安堵の溜息が二人から零れる。
爆炎現象は起きず。まずは一つの壁を乗り越えられたことにホッとした。
しかも粘液は可燃性の物質のようで、チリチリと焼かれていき隙間が生まれてくる。
「くっ……熱っちぃぃ……っ」
それでも間近で熱を感じている理九にとっては結構なダメージらしい。
しかしここで手を止めれば、いつあの怪物が戻ってくるかも分からない。それを理九も理解しているようで、たとえ熱くとも我慢して粘液を溶かし続ける。
そしてついに――。
「――――よし、これで……」
身体をもぞもぞと動かし、開いた隙間を縫うようにして理九が脱出した。
次に小色の粘液へと取り掛かる。自分とは違い、壁との接触部分を溶かしているので、小色には熱が伝わってこない。
壁に付着している片側だけを溶かせば、そこから小色は出ることができた。身体にはまだ粘着物質がついて気持ち悪いが、今はそんなこと気にしている暇はない。
「お兄ちゃん、わたしは他の人たちを起こすね!」
そう言って、意識を失っている者たちへと近づいて声をかけていく。そのまま目覚めた人たちに現状をゆっくりと伝えていく。当然恐怖に怯え震える人もいるが、逃げ出せるチャンスがあることを教えると、少しだけ落ち着いてくれた。
そうして何とか怪物が来る前にこの場にいる全員を解放することができた……が、問題はまだある。ここからどこに行けば地上へ出られるかということ。
穴は見る限り一つだけ。だから余計危険に思える。もしあの怪物が戻ってきている最中だったら確実に鉢合わせしてしまう。だからといって穴を掘るなどといったスキルなんて持ち合わせていない。
「隠れながら進むしかないな」
「けどお兄ちゃん、隠れるところなんてあるの?」
しかもこの人数だ。それはかなり難しいだろう。
どうすれば比較的安全に進むことができるか考えていた時――。
「――うわぁぁぁっ!?」
背後から悲鳴が聞こえ、確認してみると一人の男性の上に怪物から生まれた小さめのナメクジが乗っていた。
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