アイを唄う人魚と鏡の魔法 Ⅰ


  

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「…………一枚、二枚、三枚、」


 シーンと静まり返ったロビーに私の声だけが響きます。空調を切った館内はむっとした湿気で包まれ、首元のカラーはひたひたと忍び寄る初夏の暑さでじんわりと汗で滲んでいました。


「…………九百九十六、九百九十七、九百九十八、九百九十九…………一枚足りない、あー、恨めしやあぁぁ!」


「番町皿屋敷か!」


 ピンと張った弦を指ではじいたような声が間髪入れず私の目の前で響きました。感情をどこかに忘れてきたようなその声は聞き取りやすいですが、ひどく冷たい印象も与えます。


「だって、だってぇ! 一枚足りないんですよ!? ぜったい“白亜”がどこかで2枚入れているんですよぉー」

「人のせーにするな。今日の丁合(チラシを1枚ずつ重ねること)は彼方でしょ。今日の私はビニール入れと折り、だ」


そう言うと“白亜はくあ”は右手に持ったロールをチラシの上から下にスッと動かしました。紙の端と端がピッタリと合わさったそれはうっとりするぐらい美しいものでしたが、彼女は人形のように整った顔を1ミリたりとも動かすことなく、機械のように次の紙を折っていきます。気のせいか琥珀色の瞳の奥底には殺気のようなものが浮かんでいます。こ、怖い…………。


「…………まったく、なんで『魔女』がこんな内職みたいなことを…………ブツブツ」

「あはは、現代の魔女はお金が必要ですからねえー」

「なあに他人事みたいに笑っていやがる! どこかの間抜けな支配人代理兼館長代理が『魔女の劇場』で無謀にも地下アイドルのLIVEの真似事みたいなド阿呆な企画をしたからだろう!?」

「あはは…………、ドルヲタさんたちの熱量は私たちの予想を遙かに超えていましたねえ…………」


 先日、魔女見習い系アイドル「リトル☆ウイッチーズ」のシークレットLIVEを「白猫座」で行いました。当日は久方ぶりに満員御礼だったのですが、お客様の熱烈な応援ぶりにいつもは静かに観劇するばかりの「白猫座」の観客席は見事に中破してしまったのです!


「―――万円、な」

「ひっ、ひぃぃ」


 よほどご立腹だったのでしょう、白亜は最近そのときの修理代の額を呪詛のように繰り返します。幽霊のお菊なら足りない皿を言ってあげれば成仏しますが、借金の額はいくら唱えても鉛が胃壁を押し潰すような胃痛が増すばかりです。

 白亜も自爆するんだからいい加減止めればいいのに―――!

 チラシの山から目を上げると、顎のラインで切り揃えられたシルバーの髪が電灯の光に輝いていました。そして、同じ色の長い睫毛の下には対照的な琥珀色の瞳。

 いかにも魔女の本場である欧州の雰囲気を漂わせつつも、「白猫座」が開業してから百年変わらない和装に白いエプロンの姿。それはリンゴが地球に落ちるように当たり前に似合っていて、たとえ同じ従業員だとしてもウットリと見惚れてしまいます。

 “白亜はくあ”は私と一緒に働いている「白猫座」のスタッフです。といっても、「白猫座」に在籍するスタッフは私と白亜の二人だけ。私が支配人代理兼館長代理で彼女は副館長。さながら“相棒”といった関係ですが、ひょんなことでこの「白猫座」の支配人代理兼館長代理になってしまった私にとって彼女は「白猫座」の大先輩でもあります。

 「白猫座」の歴史を誰よりも知る彼女だからこそ、新米の支配人代理兼館長代理にはいつもモノ申したいことがあるのでしょうね。


「いいか、彼方。いつも言っているが、私たちは『魔女』。そして、『魔女』とは何?」

「知ってますよー。私たちはこの世の理に隠された神秘を探求する従。この世ならざるものを見、奇跡の秘蹟を現す。それこそが『魔法』であり。私たちはその『魔法』を唯一使える『魔女』、なんですよねー」

「語尾はいまいち気に入らんが、そうだ。『魔女』の役割は人々に『魔法』を提供すること。すなわち、『魔女の劇場』を運営すること。『魔女の劇場』は世間の劇場とは違う。“普通”の舞台やコンサートが観たいならの“普通”の劇場に行けばいい。何もこんな辺鄙な場所に来なくてもいい」

「ああ、そうだ! 最近、ゲーム実況というものが流行っているそうですよ! 公開配信の場所として『白猫座』を提供するのはどうでしょう? RPGとかホラーゲームとかの雰囲気にぴったりじゃないですか! ほら、『白猫座』はボロ、じゃなくて雰囲気ありますし!」

「全く私の話を聴いていないな! このへっぽこ支配人代理兼館長代理がぁぁぁっ!!!」


 私だって白亜の言いたいことはわかります。たぶん、彼女の言うことは間違っていない、とも思います。でも、でも…………。

 確かに『白猫座』はこの世の奇跡である“魔法”を体験できる『魔女の劇場』です。でも、魔法が使えるのは満月の晩の公演だけ。そのとき以外は普通の劇場となんら変わることはありません。というより、ずっと条件が悪い。

 建物はレトロを通り越してオンボロ。舞台装置も最新の劇場と比べたら玩具みたいなものです。そして、さっき白亜が言っていたように土地の霊脈という立地上、アクセスが悪い! 他の「魔女の劇場」と比べればマシな部類ですが、それでも駅前の商店街と住宅街を通り抜けた先の、さらに長い坂道をえんえんと登った小高い丘の上にあります。だから、市民の税金を湯水のように使って作られた駅前のおニューでピカピカな市民ホールには呪いの一つもかけたくもなるというものですよ! こほん、失礼。少し興奮してしまいました。

 でも、私はそれでも「白猫座」が好きです。その気持ちは白亜にだって負けているとは思いませんし、私は満月の晩じゃなくてもきっと魔法はあると思うんです。

 だから、もっとたくさんのお客様に「白猫座」に来て欲しい。「白猫座」を好きになってほしい。だから、無い知恵を絞っているんですが、現実はこうして空回りをしては副館長さんに小言を言われる毎日です…………。

 ううん! 弱気になってはダメです! まずは今私にできることをがんばるのです!

 まずは目先の現金収入!

 劇場やコンサートホールというものはチケットをもぎってもらった後、大抵の場合はビニール袋に入れられたチラシの束が渡されます。来場していただいたお客様に「他にもこんな公演があるよー」とアピールすることでもう一度劇場に足を運んでもらおうというワケです。自分の知らなかった世界に触れる機会なので眺めてみると案外面白かったりします。

 実はあれはサービスでやっているワケではなく、劇場にとって立派な広告収入なのです!

 支配人代理兼館長代理たる私が興行主さんだけではなく普段は商売敵の市民ホールや大劇場に頭を下げて取ってきたのがこの32種類のチラシ、なのです! えへん!

 『白猫座』の観客席333席かける7公演分、その総数はなんと74、592枚! それに丁合や折込、ビニール袋入れの作業も含めるとなかなか馬鹿にならない金額です…………馬鹿にならない金額なんですが…………。


「やれやれ、終わった。これでやっと館内の整備に戻れるな」


 32種類のチラシにはお金が発生しています。つまり、お客様の手元にこれら32枚を確実に渡すことが私たちの任務ミツシヨンです。往々にして依頼されるチラシの束はギリギリの枚数を送られてきます。依頼する方だって余計な費用コストはかけたくありませんからね。つまり、丁合をミスると最終的な数が合わなくなってしまうのです。そして、紙質の悪い薄ーいチラシは糊がついているかのようにくっつき、2枚3枚と紛れ込むんです!


「ね、ねえ、白亜。ちょっと手伝ってくれませんか? さすがにこの量を私だけ―――」

「はあ? 冗談は存在だけにしろ」

「デスヨネー。ま、まあ、1枚ぐらい足りなくても―――」

「まさか!、とは思うが、お客様の出会いを損ねるような真似はしないわよねえ? なにせうちの支配人代理兼館長代理サマは『劇場』をもっともっと親しみやすいものにしたいと誰よりも願う素敵な魔女ですもんねえ?」


 目の前にはプラケースとその中に納まったビニール袋の海。その総数はなんと74、592枚。あ、あはは、今夜もサービス残業、ですかねえ、トホホ…………。


「うおー、やってやるですよー!」

「ハイハイ、ガンバレー」


 頬をバシバシ叩いて気合を入れると一番端に置かれたプラケースの中におもむろに手を突っ込みます。千里の道も一歩から、です!

 ところが、最初に手にしたビニール袋の中から探し求めた「太刀川ひろし青春歌謡SHOW」のチラシが出てきたのでびっくりしました。大きくプリントされた「太刀川ひろし」さんの顔を2枚手にしたまま、思わず白亜とお互いの顔を見つめ合います。


「…………やっぱり私の日頃の行いが良かった、から?」

「ばか、そんなわけあるか。たまたまだ」


 まるで魔法にかけられたような気持ちになった、そのときでした。


「すみませーん」


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