第186話 空気
居酒屋「村くるな」は、いつもと違った異様な雰囲気に包まれていた。
普段は賑やかな酒場だが、今夜は違う。まるで嵐の前の静けさ――あるいは、猛獣たちが互いを値踏みするかのような緊張感が漂っている。
店の中央にある四角い大きなテーブルには、強者たちが向かい合って座っている。
一方には“解体屋”キクと、“最狂騎士”アンナ。その間に挟まれる様に、しょぼくれたモブ顔斥候職――サイトゥ。
もう一方には黒髪の帝国騎士団“ソードマスター”アデルと、彼の妻であり虎の獣人である“猛牙の疾風”タイラが並んで座っていた。
サイトゥはテーブルの中央で小さくなり、肩をすくめながら水の入ったコップを手にしていた。
ヤバい奴らの間に挟まれ、居心地の悪さは限界突破である。
こんな魔王など、古今東西見渡しても居ないであろう。
「サイトゥ君、もっと食べるといいわよ。」と、キクがにこやかに唐揚げを箸で摘まんでサイトゥに差し出してきた。
その顔は、どこか無邪気な笑みを浮かべている。
しかし、その笑顔の裏にある本当の顔を幼少より知っているサイトゥはキクの差し出すものを口にする気にならない。
「ダーリン!遠慮しないで。」
アンナもキクに負けじと、こちらも笑顔で、サイトゥの肩に力強く手を置いた。
その圧に思わず咳き込みそうになるサイトゥ。
二人の強者が競うように世話を焼く姿は、周りからはモテている様に見えるが、サイトゥには単純に罰ゲームである。
店内の他の客たちは、この異様な集団に視線を向けていた。
誰もがアンナ、アデル、そしてタイラのことを知っている。
彼らは戦場で名を馳せた英雄たちであり、その実力は折り紙付きだ。
「すげぇ・・アンナ様だぞ・・」
「めちゃくちゃ、美人だなぁ。」
「あの、東洋の衣装の女も可愛いぞ。お姉さんタイプだ。」
「オネショタ、オネショタ、オネショタ・・・」
「なんだ、あのパッとしない奴。」
「まさか、アンナ様があんなのと・・・・まさかなぁ・・・」
周りがヒソヒソと小声で話をする。
「隊長、お久しぶりです。」
そんな中、アデルが静かに口を開いた。
その声には抑えきれない緊張が滲んでいる。
隣のタイラも引き攣った微笑みを浮かべながら頭を下げた。
「おお、アデルとタイラ。久しぶりだな。結婚したと聞いたぞ。それに、子供もできたんだって?おめでとう。」
アンナは声を弾ませながら祝福の言葉を送る。
その表情は柔らかく、心底2人を祝福している表情だ。
「はい、ありがとうございます。そして、そちらは・・」
アデルはチラリとキクに視線を向ける。
「こんにちは。帝国の騎士様。私はキクと申します。今後とも御見知りおきを。」
頭を下げる キクにタイラが警戒の喉を鳴らす。
「グルルルル・・女・・お前、何者だ?死の匂いがするぞ。」
タイラが鋭い目つきでキクを睨む。
本能がキクを警戒すべき敵と告げているのだ。
「うふふ、怖い怖い。私は貴方達の事は良くしっていますよ。アデルさんとタイラさんの出会いは・・・
キクがすらすらとアデルとタイラの事を話し始める。
相当な身内でしか知らない事も含まれる内容に、アデルとタイラは顔を見合わせ、怪訝な表情になる。
そして――
「お二人の息子のレオくん。あの子の右腿に小さな黒子があるんですよね?同じ場所にタイラさんも黒子があって、それを見つけた時のアデルさんの笑顔ったら・・・」
キクの言葉にアデルとタイラの顔色が一気に青ざめた。
2人が絶対に他人に知られるはずのないプライベートな情報まで詳細に語り始めたキクの口調は、無邪気さと狂気が入り混じっていた。
「・・・・それを、どうして知っている?」
アデルが低い声で尋ねる。
「さあ?」
キクは肩をすくめ、無邪気な笑みを浮かべる。
残してきた息子を思い悲鳴を上げてキクに斬りかかろうとするタイラの手を握って、押さえ込みアデルはアンナの方を睨む。
「隊長。貴方は・・・悪魔たちと結託して我々に反旗を翻すおつもりか?」
アデルが冷たい声でアンナに詰問する。
タイラもその隣で鋭い目つきを向けている。
しかし、アンナは鼻で笑う。
「何も悪いことはしていない。そちらこそ、陰でこそこそと私たちを攻撃する準備をしているんじゃないのか?単純な話だ。愛するダーリンに仇なす者は殺す。そう決めたんだ。」
アンナの揺るぎない決意の前に、アデルとタイラは言葉を失った。
「な、なるほど・・そういう事ですか・・では、隣の方が隊長の大切な方だと・・・」
「やだ!そうなの!カッコいいでしょ!」
顔を真っ赤にして照れながら、サイトゥを抱き寄せ、頬ずりをするアンナ。
「いだだだだだ・・」
既に万力の様な力で体を絞められるサイトゥは既に死に体である。
とてもアンナに好かれる様に見えない灰色髪のモブ顔男をアデルとタイラは微妙な顔で見つめる。
「・・・・・・・・」
沈黙がテーブルを支配し、その場の緊張感はさらに高まっていく。
その沈黙を破ったのは、再びアンナだった。
「それはそうと・・・武闘大会が楽しみだ。お前たちがどれだけ強くなったか、この手で確かめてやる。2人でかかってこい。それが、お前達の本当の実力だ。」
彼女の瞳は戦いへの渇望で燃えていた。
アデルとタイラは無言で頷いた。その瞳の奥には、覚悟と決意が宿っていた。
そして、その間ずっと――サイトゥは空気のような存在であった。
魔王である彼の存在感は、この強者たちの中では完全に霞んでいた。
自分がここにいる意味すら分からなくなり、ただ黙って水をチビチビ飲むしかなかった。
「……俺、ほんとに何でココに居るんだろう・・・」
サイトゥは小さく呟いたが、誰にも届くことはなかった。
こうして、居酒屋「村くるな」の夜は静かに、更なる嵐の予感を残して終わりを迎えた。
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