第5話 恋する乙女
「ネズミが庭に入り込んだ様です。」
低い男の声だ。
「ふうん。」
それに応じるのは声変わりしていない少年の声。
鈴の音がなるような透き通った声である。
彼らの居る部屋には全ての窓に重いカーテンがかけられ、部屋には太陽光が入ってこない。
薄暗い部屋には燭台が何個か置かれ、蝋燭が揺れている。
部屋はゴシック調なインテリアで赤を基調として統一され、非常に上品な雰囲気を醸し出している。
しつけられた家具はどれもアンティークとして価値が高い一品ばかりだ。
その中で椅子に座る少年は美しかった。
切れ長の目。
通った鼻筋。
黒色の絹を思わせるショートボブ。
仕立ての良い、真っ白な半袖シャツに黒い半ズボン。
白い透き通る様な肌の小さい顔と長い手足が服からのぞいている。
十人が十人、少年を見た者は美少年と言うだろう。
彼を見た少女は皆、心を奪われ、初恋を知るだろう。
少女ではなくとも女は少年を自分の胸に抱きたくなるであろう。
そんな、怪しい魅力を持った少年である。
その少年の後ろには長身で痩せた執事が右手でトレイを保持し、その上にティーセットを載せて控えている。
モノクルを片目に装着し、白髪をオールバックとしている。
年老いたとは言え、若い頃はさぞかし女を魅了しただろうと思われる顔立ちだ。
いや、歳を重ねた事による渋さが雑じり、より魅力的になったと言える。
「どんな感じ?」
少年が執事に聞く。
「申し訳ありません。現在のところは、分かっておりません。私の知る限り、町の冒険者ではありません。」
「じゃあ、流れ者ってところかな?」
そう言って少年は優雅な仕草でティーカップを口に運ぶ。
少年の使う黒いテーブルも一流工匠で作られた一品で、歴史と共に磨き込まれた風合いが美しい。
オークションに出ようものなら、金貨100枚は軽く値が付くであろう。
ただ、この部屋には、他と異質な家具が一つある。
少年の座る椅子だ。
それは見事に鍛えられた男がかしずき、それが椅子になっている。
しかもビルパン1枚である。
ビルパンとは、己の肉体を究極まで鍛え上げ、筋肉をデカくし、余計な脂肪を一切を削ぎ落とした者が履くことの許される神聖なユニフォームだ。
なお、これに防御力は備わってはいない。
椅子を全裸にしないことによる、少年の趣味の良さが出ていると言えるだろう。
ほぼ、全裸のマッチョに見目麗しい美少年が座るという、なかなかにマニアックな状況に動じもせず執事が話しかける。
「結界が弱まっております。御館様のお目覚めが近いのかと。」
「予定より少し早いな。」
「左様で。」
ゆっくりと優雅な仕草で、ディーカップを少年は音もさせずソーサに置く。
「この前のネズミと同じ穴から来たのかな?」
「はい、冒険者風情ですので、そうかと。」
「どんなパーティー?」
「男と、獣人の娘。それに剣士の女です。」
「変な組み合わせだね。まあ、いいや。いい感じで対処しておいて。女は好きにして良いよ。あのクズどもにも一匹与えてあげて。男だけ、ちょっと見とこうか。」
「畏まりました。」
執事は恭しく、頭を下げるとスッと消える。
「掘り出し物だと良いなぁ。」
そう言って、少年は皿からチョコレートをつまむとポイっと形の良い口に放り込む。
その口から、2本の鋭い牙がチラリと覗く。
椅子のマッチョは微動だにせずじっと目を閉じているだけで、それを見ることは無かった。
#####
サイトゥは裏口とおぼしきドアに仕付けられたドアノッカーでゴンゴンとノックする。
嗤う男の首が取っ手を咥えたデザインで、サイトゥはこれを握るときにちょっと、躊躇してしまった。
「こんにちはー、ちょっと良いでしょうか?もしもーし。」
サイトゥは声をかけるも返事がない。
何回かノックをし、待てどもドアが開かないばかりか、返事もない。
「しゃーないか。」
そう言って、サイトゥはドアを調べ始める。
この城の住人が出てこないという事は、このドア自体が罠の可能性がある。
不用意に開けると、中からクロスボウの矢がズドンという仕掛けなんかが定番だ。
サイトゥが扉に耳を当てて音を確認していると、背後より嫌な気配を感じる。
本能であろう。
サイトゥが横に飛びのく。
直ぐに、アンナの前蹴りがドアに炸裂。
ドアはたまらず、内側に破壊音を立てて開く。
外開きのドアが内側に開くのだから、当然、蝶番も破壊される。
高そうなドアだ。
サイトゥは賠償問題になったら、やだなぁと思う。
あと、蹴破られる際に男の悲鳴が聞こえたような気がするが、そんな男はここに居ない。
空耳であろう。
「ははは、サイトゥは臆病だな。こんなのは、蹴破っとけば問題ないもんだ。」
「お前なぁ・・・」
ドアと一緒に蹴破られそうになった、サイトゥはアンナに抗議の視線を向ける。
「なるほど、確かに病気ですね。でも、封印のドアって蹴破れるんですね。へー」
最後尾のラムウがつぶやく。
ドアの先は薄暗い通路になっている。
「先行くぞ。」
「あ、おい!俺より前に行くな。先行するのは斥候の役目だぞ。」
アンナがドカドカ先に行くので、サイトゥは、慌ててアンナを呼び止める。
「サイトゥ・・・私を気遣ってくれる・・優しい・・・」
赤い顔をしてモジモジするアンナだ。
「魔王様、この乳女を先行させたほうが盾代わりで良いかと。」
「チンチクリン悪魔じゃ小さくて盾にもならんからな。」
サイトゥは言い争いを始める二人を見て、げんなりしながら、先を進む。
そして、足を止める。
「むっ」
サイトゥは罠の気配に気がつく。
そして、そっと、足をひっこめる。
良く見ると、床に何か書いてある。
魔法陣だ。
魔方陣は特殊鋼な塗料で書かれて巧妙に隠蔽されているが、このパターンはテレポート系か。
サイトゥは二人に注意を促そうと、口を開きかけるが 、ここで天才的な閃きがサイトゥに舞い降りる。
”よし、こいつらとは、ここでおさらばだ。”と。
「ゴラァ!」
「んだと、ゴラァ!」
喧嘩しながら、二人がサイトの隣を通過する。
サイトゥは魔法陣をアンナとラウムが踏むのを確認するかしないかのタイミングで後ろに飛びのく。
「こら、サイトゥ!何処にいく」
アンナの豪腕が飛び退くサイトゥの足首を掴む。
「げっ!」
なんたる反射神経。
しかも、サイトゥの動きにノールックで反応した。
人間か?こいつ!怖い!サイトゥは恐怖する。
途端に床の魔方陣が発光し、発動する。
「ちくしょう!」
悔しがるサイトゥ。
「転移の魔法かっ!」
罠に今さら気がつくアンナ。
「では、魔王様。後程、お会いしましょう。」
笑顔でサイトゥに手をふるラウム。
三者三様のリアクションをしながら、三人の姿は廊下から消えたのであった。
・
・
・
うん?
サイトゥは一人で廊下にいた。
アンナもラウムを見当たらない。
どうも、バラバラに指定された場所に転送されるらしい。
ヤバかった。
罠を仕掛けた奴が悪意あれば、壁だの、岩だのの中に転移させるはずだ。
そんなことになったら、もう終了だ。
迂闊過ぎる自分の行為に、サイトゥは大いに反省する。
随分と鈍ってしまったようだ。
最近は温い仕事ばかりだったからか?
サイトゥは自問自答しながら、周囲を観察する。
廊下は広く右側は窓で左側は壁である。
窓の全てに厚いカーテンがつけられており、外の日の光の一切が遮断されている。
その先には、大きな扉が見える。
入って来いと言う事だろう。
依頼の事もあるので、サイトゥは気乗りしないが、ドアに足を向けるのだった。
・
・
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ラウムはそれほど広くは無い、食堂の様な場所に居た。
転送魔法を受けて、即座に転送先に土の中や水の中へは避ける様に転送阻害の魔法を使ったが、それは必要が無かった様だ。
なぜなら、現れたラウムを待ち受けて、取り囲むように男どもが居たからだ。
ムッと香る体臭にラウムは眉をひそめる。
周りには人間や獣人の屈強な体躯を持つ男達が取り囲む。
10人弱か。
風貌から盗賊くずれの様で、武器は腰にさげているだけで、抜いている者はいない。
哀れな子猫をなぶるのに、武器は必要ないと考えたのだろう。
それらが、欲望に濁った目で、ラウムを舐め回すようにみる。
皆、早く子猫の悲鳴を聞きたいのだ。
「まったく・・・下賤な奴らは。」
ラウムは集まった連中を見渡しながら、呟く。
獣人の少女を取り囲む屈強な男たちは、その欲望を隠しもしない。
「とっとと喰っちまおうぜ。」
「ダメだ、先に犯らせろよ。」
「ぐへへへへへ、お嬢ちゃん、可愛いねぇ。おじちゃんと良いことしようねぇ。」
「ママー、おっぱい、おっぱい、ちゅーちゅー」
思い思いに欲望を垂れ流す男達が、じりじりと捕らえた獲物をなぶるようにラウムに近づく。
口からヨダレを垂らす獣人。
股間がはちきれんばかりに膨らみながら、卑下した笑いをするモヒカン男。
スキンヘッドの男はナイフを取り出して、それを舐めている。
頭にはトランプのスペードの刺青が入っている。
「うへへへ、お嬢ちゃん。これから、天国を味わわせてやっからな。楽しもうぜ。」
そういいながら、ラウムの手を掴もうとモヒカン男が手をのばす。
グチャ。
「ぎゃっ!」
ラウムが前蹴りでモヒカン男の股間を潰す。
悲鳴を上げるモヒカンの腕をラウムは掴み、肘間接を本来、曲がらない方に小枝でも折るように曲げる。
ゴキリと鳴って、モヒカンはあまりの激痛で泡を吹いて気絶する。
「コイツ、只の獣人じゃねぇぞ!」
「くっ、囲め!」
一斉に焦り出す男達。
「ガキが調子にのってんじゃねぇ!」
スキンヘッドがナイフでラムウに躍りかかる。
だが、次の瞬間には、持っていたナイフがスキンヘッドのスペードに深々と突き刺さっている。
「あれ?ナンデ?俺のナイフが俺の頭に?ナンデ?」
そう言い残しスキンヘッドはその場で倒れて、絶命する。
何てことは無い。
ラウムがスキンヘッドのナイフを持つ手首を掴み、それを捻って、スキンヘッドの頭に誘導し、突き立てたのだ。
あまりに早く自然な動きで、スキンヘッドや他の連中には何が起こったのかが分からなかったのだ。
「ひっ!」
男達はラウムとの圧倒的な能力差に気が付き怯える。
そうだろう 。
子猫だと思っていたら、獰猛な飢えた虎だったのだから。
「こっちでは、この程度ですか?クズどもは、いたぶるって事の様式美が貧弱ですね。」
男どもは目の前の可愛らしい猫型獣人が、何かこの世とは別の生き物の様な気がしてくる。
「まあ、そうですね。楽しむのは私も、やぶさかでないですよ。」
そう言いながら、ラウムは囁くように詠唱をする。
部屋の温度が急上昇する。
それを感じた男たちは皆、我先に部屋から逃げ出そうとする。
「拘束」
ラウムは呪文を唱える。とたんに男どもの動きが止まる。
動けない男達は熱の暑さと、冷や汗で汗が吹き出ている。
「ウジ虫どもは、ゆっくりと弱火で消毒ですね。」
ラウムの表情に快楽の色が入る。この悪魔は、ドエムでもありドエスでもある、ハイブリッド悪魔なのだ。
・
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・
アンナは長い廊下を走る。
「サイトゥ!どこだ?」
愛しいダーリンを探すアンナの顔に焦りが浮かんでいる。
ふと、気配を感じてアンナは足を止める。
長い廊下の先に痩せた長身の男が現れる。
長身なアンナよりも少し大きいだろうか。
執事服の似合う壮年の男だ。
ただ、男は執事には似合わない殺気を帯びた目つきでアンナを見つめる。
「ふふふふ。私はモリスと言います。こちらの執事をやらせて頂いております。私には分かりますよ。貴女、なかなかお強い。楽しませてくれそうです。」
アンナは痩せた男を一瞥すると、 つまらなそうに答える。
「私はダーリンを探している。貴様ごときに関わっている時間はない。とっとと消えろ。」
そういって、手をまとわりつく虫を払う様にヒラヒラとする。
モリスのコメカミに青筋が立つ。
「人は見た目で判断してはいけませんよ?」
モリスの顔が変わり始める。
大きく口が開き、狼の如く獰猛な顔となる。
身体も膨れ、執事服の下にはち切れんばかりの筋肉が伺える。
執事はワーウルフと呼ばれる種族だ。
吸血鬼ほどの不死さは持ち合わせいないが、強靭な肉体と高い生命力。
魔物の中でも、かなりの強者の部類になる。
だが、アンナの先ほどからソワソワしている態度は変わらない。
自分の姿を見ても、一向に恐れが見えないアンナにモリスは不機嫌になる。
「私は真祖様より力を頂いた者。失礼をしますと、許しませんよ。」
そんなモリスにアンナは顔色一つ変えずに一瞥して毒づく。
「犬っコロか。とにかく私はダーリンが不貞な行為をしていないか、監視する必要があるのだ。邪魔だから、犬はご主人の所に棒切れ咥えて戻ってろ。急いで帰れば、もしかしたら、ご褒美にご主人のピーやピーを舐めさせてもらえるぞ。」
愛しのダーリンを探すアンナはダーリンがあのビッチ悪魔と一緒にいるのでは無いかと、気が気ではない。
目の前のワーウルフなど眼中外だ。
バカにされたモリスは獰猛に伸びた犬歯を大きな口でギリギリと鳴らし、不快な表情を顕にする。
「人間風情が!私に失礼な口を叩くとは上等だ。生きながらして、足から喰ってやる!」
そう言って、尋常ならざる速度でアンナに襲い掛かるモリス。
だが、アンナは虫を見るような目つきで、モリスの顔面に左ジャブを叩き込む。
そのあまりの速さと正確さにモリスは反応できない。
そのまま、鼻から血しぶきを上げながら、回転し壁に顔面から激突する。
ズルズルと床に転がったモリスは何が起こったのか分からない表情でアンナを見上げる。
アンナはメンドくさそうに、呪文で自らの鎧を呼び寄せる。
「セットアップ」
アンナの背後に眩く光。
そこに大きな魔法陣が現れ、ゆっくりと禍々しくも美しい鎧が現れる。
そして両手を広げるアンナの体を鎧が包み込む。
鎧は全てが大きく太い。
体長は2メートルをゆうに超え、大きな腕、足、太い胴。
オークすらも凌駕する体躯は見るものを圧倒する。
背中には、人では扱えるとは思えない太く大きな両手剣を背負っている。
「よし、来い。犬っころ。良かったな。私は犬派だ。可愛がってやる。」
そう言って、近づく青い重騎士を見ながら、今更にケンカを売る相手を間違えた事に気づいたモリスは戦慄する。
そして、その圧倒的な圧力に、なすすべもなく失禁するのだった。
だらしなく失禁する目の前の犬っころにアンナはダルそうに近づく。
「ちっ、面倒かけさせやがって・・」
アンナはモリスを見ながら、ひとりごちる。
こんなのは、装備しなくても楽勝だが、変に犬の臭いが自分に移るのは、嫌だ。
また、そんな事は万分の一もあり得ないが、肌に傷を付けたら、サイトゥに申し訳ない。
式では綺麗な肌で望みたいし、夜だって・・いやだ、はずかしい。
”私ったら、はしたないわ”とか乙女心で考える。
さっきから、アンナは落ち着かない。
別にダーリンの身の安全などは全然気にしてはいない。
こんなところで、命がどうこうなるような男ならば、アンナがダーリンと呼ぶ訳がない。
転移の罠にひっかかった後、ダーリンが一緒に居るかもしれないビッチ魔族と何か有るのでは無いかと嫉妬に身を焦がしているのだ。
#####
アンナには夢がある。
小さい頃、母親に読んでもらったお伽話で、美しい町娘が魔王にさらわれ、王子様に助けられて、結婚して幸せになる話だ。
アンナはいたく、その物語が気に入り、いつも読んで読んでと母親にせがんでいたものだ。
その夢は迷惑にも今も続く。
自分は王子様に助けられて結婚し、幸せになるのだと。
そんな夢に邁進するアンナは幼少から付き合う男は、自分より強い男と決めていた。
それはそうだ。
自分よりも強い男でないと、助けられるシチュエーションにならないからだ。
普通の貴族の宿命である親同士が決める政治的な結婚は、アンナの父親がそもそも、そんな気が無かったし、アンナはそんな許嫁が出てきたら、まずは力試しだ。
すなわち、許嫁が現れればまずは決闘だという謎の理論になっていた。
アンナは母親似だったのか、小さい頃から美貌に優れていた。
しかも家柄も良かった。
なので、ワンチャン狙ってアンナの小さい頃には交際を申し込んで来た命知らずな貴族のご子息が群がって来てはいた。
だが、私を娶りたければ私の屍を超えていけと、そうでなければ、お前が屍になれ。
何言ってんだ、この女と思われながら、アンナは相手を事如く半殺しにしていたのである。
結果、美しく成長した頃には既に誰もアンナには近づかなくなっていた。
皆、命は惜しいのだ。
その頃には、アンナもお年頃で、強い男を求め男漁りを始める。
ただ、人間の戦士にお眼鏡に叶う者も出てこず、いろいろこじらせ始めたアンナは、もう、魔人でも悪魔でも魔物でもよくなってきた。
そうして、魔王軍との戦争に身を投じて行くのである。
迷惑な婚活もあったものだ。
そうこうしているうち、人類では比類するものが居ない騎士になっていたアンナに魔王軍の暗殺チーム入りの指令がくだる。
その時に初めてアンナはサイトゥに会った。
魔王暗殺チームの斥候として最後に入って来た男で、その時は、なんだが軽い男だとしか思わなかった。
だが、次第にその認識は変わってくる。
暗殺チームは前衛に勇者とアンナ。
後衛に魔術師と神官。そして、遊撃として斥候の5名の最小構成チームだった。
斥候のサイトゥ以外は、人類の最強と言われるメンバーが国の垣根なしで構成されていたが、斥候については、アンナの父親が知る暗部の里に派遣を依頼したのだ。
はっきり言って使い捨てで、その派遣されて来たのが、サイトゥだった。
サイトゥが倒れても直ぐに別の斥候を派遣してもらう、そんな契約だったと父親から聞いていた。
何故、他のメンバー同様に有名な盗賊や忍者を登用しないのかと、アンナは父親に問うてみた。
答えは、暗殺チームは隠密性を必要とし、人間軍の主力部隊は陽動として、魔王軍と戦っている。
そんな中、暗殺チームの斥候は頻繁に単独で魔王軍の偵察に出る必用がある。
その際に名の売れた盗賊などが、魔王軍に捕まったりすると、本人が喋らなくとも、暗殺チームの存在に気がつかれてしまうと危惧しているとの理由だった。
それを聞いた時、アンナはサイトゥに対して、まあ、不憫な奴だなと言った印象しかなかった。
そんなに長くは持たないだろうとも思っていた。
しかし、この男はどんな困難な任務でも、ソツ無くこなして何時も帰ってきた来た。
おかげで、チームは予定通り魔王城まで旅を続けることができた。
次第に、そんな男を斥候としては割に優秀だと、アンナの評価は上がっていくのである。
そうして、ある事件を境にアンナは気がつく。
自分では、この男を殺せないのではないかと。
今までにどんな戦士や魔物と戦ってきた屠ってきた自分が、この男にはかなわないのではないかと。
どう考えても、自分が返り討ちにされるイメージが浮かんでしまうのだ。
そんな自分が忘れていた死への恐怖を、この男の前では思い出すのだ。
腕力、剣術、魔力など、どれを取っても自分が上回るのが分かっているのに自分が、この男を殺せると思えなかった。
つまり、初めて会う”自分より強い異性”だった。
そして、その事件は既に魔王軍の支配地域になってしまっている森の中で起きた。
アンナ達、暗殺チームは旅をしながら、時折、補給と休養を行う必要がある。
その際によく利用したのが、人間軍のレジスタンスの拠点だ。
この時はレジスタンスが隠れ住む洞窟だった。
人間軍が魔王軍の暴力から逃れ、散発的にゲリラ活動を行う拠点の一つだ。
魔王城に近づくにつれ、レジスタンスの拠点も劣悪になっていく。
この拠点もレジスタンスのアジトだが、実際には女子供も含まれ、魔王軍の度重なる襲撃などで、既にゲリラ活動も難しい集団になっていた。
そんな状況でも、レジスタンスは人類軍の連絡チームとして偽装した暗殺チームを少なくなった食料を供出して歓待してくれた。
給仕をしてくれたのは、10歳ぐらいの女児だった。
栄養が悪いせいで痩せており、実際はもっと年は上だったのかもしれない。
慣れていない手つきで、丁寧に料理を取り分けたりして、あこがれの勇者と話をしてはにかんだりしていた。
その時は突然だった。勇者のコップに水を注いだ後、突然、少女は背筋を伸ばすと焦点の定らない目付きで、何事か話し出す。
それを聞いた聖女と魔術師は愕然として立ち上がると、互いに顔を見合わせる。
「自爆魔法だ!」魔術師は悲鳴にも似た絶叫をあげる。
勇者とアンナは何が起こったのか分からず、剣に手をかける。
と、その時、女児の背後からスルリと影が浮かび、その首をゴキリと捻って女児は詠唱の声を止める。
崩れ落ちる女児の後ろにはサイトゥが立っていた。
拠点の周囲を偵察に出たサイトゥが何時来たのか、何時から居たのかもアンナ達は、まったく気がつかなった。
「今のは、自爆の魔法じゃな・・・外道な事を・・・」
そう言って壮年の白い髭を蓄えた魔術師は溜息をついて、椅子に倒れこむ。
「はい、この詠唱はそうでした・・・でも、なんでこの子が。」
聖女は目を開けて絶命している少女の傍らに跪き、その目を優しい手つきで閉じる。そして、手を合わせ自身の信じる神に女児の冥福を祈る。
そんな聖女の優しい行動を一瞥もせずにサイトゥはチームに報告をする。
「ふうっ、間に合った。気がつかず申し訳なかったです。どうも、魔王軍の新しい罠の様ですね。あ、大丈夫ですよ。他は、処置済みです。」
アンナはサイトゥの”他は処置済み”との報告を聞いて、他の部屋を急いで見回る。
そこには各部屋に争った跡もなく死体が累々と転がっていた。
この拠点には40数名は居たのに、まったくアンナ達が気がつかないうちに、全員を殺していたのだ。
騎士、兵士や民間人、女、子供まで物音一つせず、全員を殺し切っていた。
アンナが足元で首を切られて絶命している母親とその小さな息子の死体を見下ろしながら、向こうの部屋でサイトゥの単調な声が聞こえる。
その、事務的な報告の口調にアンナは戦慄する。
「残念ですが、ここの拠点の人間の誰が術をかけられていたのかが分からなかったので、全員を殺さなくてはならなかったんですよ。」
「怖い。」
アンナは両手で自分自身をかき抱く。
アンナは生まれて初めて恐怖の感情を抱いた。
今まで、どんな相手でも、魔王軍の四天王ですらも、抱いたことが無い感情だった。
ちなみに、この人間を爆弾にかえる魔法は後に人間軍を苦しめることとなる。
この一件から、アンナはサイトゥを目で追うようになっていた。
初めは恐れから。
そのうち、興味を持って。
追われる当の本人は、猛獣がいつ獲物に喰らい付こうかという謎の殺気を感じて、気が気じゃなかった。
まあ、実際、“獲物”を狙っていたので、間違いじゃ無い。
そして、魔王城での最終決戦の時が来た。
魔王城に殴り込んだ暗殺パーティーはアンナ一人で、竜魔王軍最強の武人と言われる獣王と広間で戦っていた。
アンナは獣王の左腕を、肩口から斬りとばす。その戦いは、アンナの優勢に進んでいた。
「ぐぁぁぁ!」
獣王の肩口から血飛沫が噴出する。それを浴びても構わず、切り込むアンナ。
だが、その時、アンナは目眩を感じてフラつく。
「ぐっ・・・、これは・・・」
「はぁはぁはぁ・・やっと、効いてきたか。このバケモノめっ」
荒い息をしながら、獅子の顔を持つ獣王は口と鼻から血を垂らしながらアンナを罵る。
「 我が身体には、キサマ用に毒が仕込んであったのよ!この体の血や肉は既に猛毒なのだよ!それを存分にかぶったお前は既に毒が回っているのだ。はははははっ!」
「なんだと?ではキサマは・・・始めから動きが悪かったのは、それが・・・原因か?」
ふらつく体をなんとか立て直しながら、アンナは大剣を構える。
「ぐはははは!この世の最凶騎士よ!貴様と刺し違えなら、我が人生に悔いなしよ!」
そういいながら獣王は片手で見事な装飾を施された金色の戦斧を持ち上げる。
「ぐっ!ポイゾニング!ポイゾニング!」
アンナは解毒の魔法を自分にかけるが、効果がでない。
「ふふ、ムダだムダだ!この毒は魔法では解毒できぬ。魔族博士の特別製だ。先に冥土に行っているぞ。地獄で今度はハンデなしでやりあおうぞ。グフっ・・・」
そう言って獣王は泡を吹いて、膝から崩れる。
「ちっ!」
アンナは最後の力で獣王の首を跳ねる。
獣王の首は嗤いながらアンナの足元に転がる。
それをいまいましくけり飛ばすアンナ。
だが、限界だ。剣を床について体を支える。
「はぁはぁはぁ・・ちっ、ヒール!・・・ポイゾニング!・・・駄目か。私もここまでか・・・」
アンナは前のめりにゴシャリと倒れる。
もう、受け身も取れない。
倒れたあと、身体が動かせず、ひとり突っ伏す。
やけに、広間が静かに感じる。
もう、手脚がほとんど動かない。
意識がボンヤリしてくる。
どの程度時間が経ったのか。
ふと、身体が仰向けにされ、抱きかかえられるのを感じる。
鎧の面当てが跳ねあげられ、呼びかかけられる。
「おい、聞こえるか!アンナ!おい、これを飲め!ちっ、ダメだ。痙攣が始まって受付ねぇ!しかたない。」
アンナは薄れいく意識の中で、目をあける。
そこには、サイトゥの顔が。
それが、どんどん近づいてくる。
そして、すぐに唇に柔らかい感触がする。
続いて生き物のような舌を口内深くまで入れられる。
おぼろげながら、アンナはこれがキスだと認識した。
しかも、噂に聞いたことがあるオトナのキスだ。
王子様のキスはこんなに濃厚なキスだったのね。
スゴイ・・・そんな乙女な事を思いつつ、アンナは意識を失った。
次に気がついた時は、ひとりで背を壁にもたれ、寝かされていた。身体の痺れは残る。
が、なんとか立てるぐらいには回復している。
「ヒール、ヒール・・・ポイゾニング・・」
アンナは、自らに呪文をかける。身体が、呪文に応じて淡く光る。
「もう、大丈夫の様だ・・・」
そう言いながら、閉じられていた面当てを開けて、そっと左手の指で自分の唇を触る。
「赤ちゃんできちゃったかも・・・」
サイトゥ、一生の不覚であった。
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