今日も静さんのお店は

尾八原ジュージ

今日も静さんのお店は

 静さんは片田舎の山際の土地で、小さな喫茶店をひとりで切り盛りしている。

 古くなった土蔵をリノベーションした喫茶店には、車必須のアクセスにも関わらず常連客が多い。地元だけでなく県外からもひとが訪れる。静さんは彼らに向かって朗らかな笑顔を振りまき、コーヒーや紅茶や軽食を振る舞い、暇があれば談笑する。手触りの良い器は、陶芸を嗜む彼女が作ったものだという。

 静さんは綺麗なひとだ。もうアラフィフだと言っていたけれど、見た目は少なくとも十歳は若い。コーヒーを淹れる姿も、お皿を洗う姿すらも絵になる。

 こんな素敵なひとが、こんな辺鄙なところで細々と暮らしているのはなぜだろう、と不思議に思うのは私だけではないだろう。本人の魅力といい、お店のクオリティといい、もっと街中で営業したって十分やっていけそうなのに。実際若い頃は東京に住んでいたらしく、そこで飲食店に勤めていたとか、料理を習ったとか、そういう情報を小耳に挟んだこともある。

 もしかしたらこの場所に何かあるんじゃないか? そんな想像をすることがある。たとえばここが、かつて悲しい別れ方をした恋人と過ごした思い出の土地だとか。そんなことを考え出すと、異性にモテそうな静さんが独身だというのも、なにか意味深な気がしてくる。

 美しい店主が営む喫茶店には、果たしてどんな秘密があるのだろう。そんな夢想をしながらお店のドアを開けると、カランカランとドアベルが鳴り、静さんが「真木さん、いらっしゃい」と私に声をかけてくれる。そこは日常でありながら非日常で、私はひととき日常の憂さを忘れる。

 三十過ぎて職場と自宅を往復する毎日。恋人とは別れ話が拗れに拗れている最中だ。私にとって、静さんの店は憩いそのものだった。そんな場所になにかロマンティックな由来があると妄想することは、たとえ根拠がないとわかっていても楽しい。


 が、夢は突然終わるものだ。

「ここ、伯父の持ち物だったのよ」

 別の客相手にそう話す静さんの声を、ある日私は聞いてしまった。

「へぇ〜、この建物が?」

「ここだけじゃなくて母屋と、実は後ろの山もそうなの。二束三文ですけどね」

 ははは、と客が笑う。「この辺の土地じゃそうだよねぇ」

 ねぇ、と言って静さんも笑う。静さんの声は、お金の話をする時ですら上品で心地よい。

「都会の生活に疲れちゃった頃に伯父が亡くなってね。相続したいひとが誰もいないっていうものだから、あたしが立候補してもらっちゃったんです」

「それにしたって思い切ったねぇ」

「そうねぇ。でもここが東京だったら、とてもこんな広いところ借りられないもの。生活が大変だなぁと思ったら、向こうの家賃を思い出して元気を出すことにしてるの」

「なるほどぉ。あはは、都会はねぇ。高いよね」

 なるほどね、とこっそり頷きながら、私は自分ががっかりしていることを自覚する。身勝手とはわかっているけど、もっとロマンティックな事情があってほしかった。この美しい喫茶店と店主に、私はいつの間にか恋愛小説のような背景を求めるようになっていたのだ。

 でも、現実なんてこんなものだ。賃料のいらない広い土地と建物、結構じゃないか。それに、静さんの過去に悲しい秘密がなかったというのならば、それはそれでいいことなのだ。


 と、まぁ、そんな話も全部嘘だったりして。


 そんなことを私は考える。考えながら穴を掘って、さっきまで彼氏だったものを埋める。

「大丈夫よ、真木さん。ここはあたしの山だし、色々伝手もあるからね」

 静さんが私の耳元で囁く。


 はずみだった。自宅まで押しかけてきた彼氏に殴られて、首を締められそうになったので必死で抵抗した。とっさに掴んだのが、三和土にあった金属製の重い傘立てだった。夢中でそれを振り回して、気がついたら辺りはめちゃくちゃ、彼氏は息をしていなかった。

 警察に出頭する前に、最後に静さんのお店に寄りたかった。珍しく人気のない店内でカウンターに座っていると、コーヒーを運んできた静さんが、私の隣の席にするりと座った。

「真木さん、どうしたの? 顔色が悪いけど。何かあったんじゃない?」

 蕩けるような声で尋ねられて、つい全部話してしまった。

 それにしても、静さんの行動の早いことといったら。異様に手慣れた様子で彼氏の死体を車の荷台に積み込み、母屋の広い浴室に運んで手際よく分割、陶芸用の電気釜で骨を焼き、みるみるうちに肉片と灰に変えてしまった。私は彼女の山で、指示通り穴を掘ったりしただけ。

「私、何をお支払いしたらいいんでしょう」

 震えながら尋ねると、静さんは微笑んだ。

「いいの。今までみたいにお店に来てくれれば、それで」


 今日も静さんの喫茶店は、そのアクセスの悪さにも関わらず常連客で賑わっている。中にはわざわざ県外からやってくる人もいる。

 きっとそういうことなのだろうと思いつつ、私も毎日のように彼女の店のドアベルを鳴らす。

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