第7話 抑止力と奴隷問題

 疑似空間を使って、サイボーグを精神から切り離し、肉体だけを、自分たちの世界に連れ帰ろうという発想は、やつらの精神だからできることだった。

 こちらの人間としては、いや、厳密にいえば、

「こちらの人間すべてではなく、極秘研究に携わっている連中」

 だけのことなのだが、

「サイボーグと言っても、ロボット化されているのは一部だけで、基本的には、脳をはじめとして、主要な臓器や機能は、生身の人間なのだから、その肉体と精神を切り離すということは、殺人に値する」

 ということである。

 そこには苦痛も伴うことになるだろうし、思考能力のある者から、将来を奪うというのは、本当に殺人に値すると考えてもいいだろう。

 そうなると、やつらのしていることは、危険極まりないことであり、彼らにとって、悪くもないと思っていることを、こちらの人間が強硬に拒むということは、相手にとって、まるで嫌がらせを受けていると感じると、今度は、向こうも容赦しないと考えられる。

 つまり、

「サイボーグでダメなら、今度は本当の人間を襲うことになるだろう」

 という最悪の場合の考えである。

「他の人を守るために、極秘とはいえ、行っているサイボーグ計画を断念し、相手の好きなようにさせて、納得して帰ってもらう」

 という行動にとるかである。

 それは、

「サイボーグを見捨てる」

 ということであり、これほど後味の悪いことは科学者にとってはないことだ。

 屈辱などという生易しいことではなく、ひょっとすると、このショックから立ち直れずに、将来において、唯一無二とも呼ばれるような博士とそのまわりの人間を抹殺してしまうことになりかねないのだ。

 これは、人類にとっての大きな損失になりかねない。

 そういう意味で、最初から簡単にあきらめるのではなく、実際にどのように先に進んでいけばいいのかということを、今以上に真剣に考えていかなければいけないということなのではないだろうか。

 つまり、これがある意味、

「いい機会」

 なのかも知れない。

 新たな考えをもたらすために考えなければいけない時期に差し掛かっているということであり、博士の方としても、国民に、今こそ、サイボーグ計画の話を暴露する時期ではないかとも思った。

 相当なショックであることには違いない。

 だが、言わなくてはいけないことを言わないというのは、科学者のモットーから離れることになる。

「科学者というのは、発明発見したら最後ではない。それらをいかに吟味し、人類の正体に対して、開発してきたものがどのような影響を及ぼすのかということを、人類に示してこそ、開発したと言えるのではないだろうか? それこそが、開発に携わった、科学者としての責任である」

 というのが、モットーだと思っている。

 サイボーグも開発してしまったら、終わりではない。そのメリット、デメリットをしっかり研究したうえで示して、実際に使用する人の進むべき道を示してあげるという、

「トリセツ」

 をしっかり示すことが、科学者の責任としてできるかどうかが、科学に携わる人間のモットーなのだ。

 それができないのであれば、きっと科学者は、開発してしまったことに対して永遠に後ろめたさを持ち、決してポジティブに考えることができなくなってしまうのではないだろうか。ネガティブに考えることが、科学者としての生命を奪い、永遠にその力を発揮できないとすれば、それはそれで、人類にとっての損失である。

 なぜなら、そこから先、時間だけが経過し、発展がない世界がずっと続いていくのだ。

「形あるものはいずれ壊れる」

 という諸行無常がある限り、この状態になってしまうと、あとは滅亡をただ待っているだけだということになるであろう。

 この疑似空間を作っている連中に対して、ある時、

「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作ることなり」

 という言葉を思い出した。

 ここでいう。

「神なき知恵」

 の、神というものが、もし、パラレルワールドの住人であるとすれば、彼らに悪気はないとしても、その知恵は、我々にとっては悪魔なのである。

 いかに、理論立てて説明しようとも、基本的なモラルが相手にないのだから、最初から、論理詰めで話し合える土台にないということだ。

 これが、テレビの特撮などでテーマとなる、

「侵略されている地球」

 という発想と、

「勧善懲悪」

 という日本人が特に好む考えとが融合することで出来上がったものであり、

「結びつくべくして結びついたこの発想」

 というものは、空前のブームを巻き起こした理由の一つでもあるだろう。

 ただ、この番組自体は人気があったわけでhなく、その前の番組の人気を買って製作されたが、リアルさという意味、さらに、子供向けの番組としての目的とかけ離れていたことで、途中から人気が急激に落ちて、次回作が継続しなくなったという罪はあると思うが、長い目で見れば、長々と続いたシリーズの中で、一つ一つを見た時、この話が一番今も名作だと言われるゆえんがあったからだ。

 逆に言えば、この番組の存在がなければ、ここまで特撮人気シリーズとして発展はしなかったように思える。

 一度、途中で逆のイメージを植え付けるということで、路線変更しないまでのインパクトを与えたのは、大きかったと思われる。

 そんなシリーズには、いろいろな名言や、名シーンも隠されている。

 もちろん、この言葉の、

「神なき知恵は、知恵ある悪魔を作るものなり」

 という言葉、

 さらに、当時の大きな問題として大きなセンセーショナルを巻き起こしたもので、

「核抑止力」

 をテーマとした、

「冷戦における核軍縮競争:

 のドラマの中でのセリフとして、

「血を吐きながら続けるマラソン」

 と言ったあの言葉も大きな意味があっただろう。

「自国を守るために、核開発が必要なんですね?」

「ああ、そうだ」

「もし、こちらよりも向こうの方が強力な兵器を作ったら、どうするんです?」

「そうすれば、またこっちも相手よりお強力なものを作ればいいじゃないか?」

「そのために核兵器が必要だというんですか?」

「その通りだ」

 という会話のあとで出てきたのが、この、

「血を吐きながら続けるマラソン:

 のセリフだったのだ。

 確かに、核兵器を持っているだけで平和を守れるという発想はあるだろう。しかし、それは、

「持っていることで、相手も先制攻撃を恐れて使わない」

 という、これが抑止力なのだが、それはあくまで理想であって、持っている以上、外交上であったり、その時のタイミングによって些細なことから軍事衝突が起こってしまうと、果たして核抑止が利くかどうかというのが問題なのだ。

 下手をすれば、ちょっとした事故で、間違って兵器が発射されるかも知れない。発射されれば相手も同じものを打ってくる。そうなると、どちらの国もその時点で崩壊なのだ。

 それをどれだけの人間が分かっているか。それがかつて起こった、

「キューバ危機」

 という問題であった。

 この特撮番組ができる五、六年前くらいの出来事であっただろう。

 当時のアメリカの大統領ケネディは暗殺され、ソ連の最高指導者だったフルシチョフは、「アメリカに譲歩しすぎた」

 ということで、失脚した。

 そういう意味で、

「果たして、軍事上、外交上の勝者というのは果たしてどっちだったのか? それ以前にいたのだろうか?」

 ということが問題なのだろう。

「形あるものは、必ず壊れる」

 という諸行無常の発想は、どこにでも、どの宗教にでもあるだろう。不老不死と言われる人が存在していないし、実際に、どれだけのものが現存しているかということを考えると分かるというものだ。

 だから、この諸行無常という発想は、どこまで言っても、これ以上の条理はないと思うのだ。

 そうなると、

「壊れるものを補うには、どうすればいいのか?」

 ということで、考えられたのが、

「若い肉体を奪う」

 ということだ。

 つまり彼らは気が付いた。

「頭脳は永遠に残るが、そのまわりを形成しているものだけを、その時々で付け替えればいいだけだ」

 ということをである。

 ロボットのような殻を作ったところで、強靭ではあるが、それでもいずれは壊れるのだ。それであれば、身体を付け替えるだけで尊属していく考えを持てばいいだけなのだ。人間は、生まれ変わることができるが、サイボーグはそうはいかない。実際に元々の肉体は寿命で滅んでしまったが、生命の源である魂をいかに生かすかということの問題なのだ。

 こちらの世界であれば、

「寿命が来たから、死ぬのは当たり前」

 と言って、死を受け入れる。

 しかし、あちらの世界では、死を受け入れることができず、さらに、モラルの観点が違っているのだから、他のところから奪ってくることもやむなしなのだろう。

 だから、彼らには、こちらの世界でいうところの、

「神」

 というのはいないのだ。

「神が存在していれば、こちらのようなモラルが存在しているからだ」

 というのは、こちらの勝ってな理屈なのだろうが、相手も同じことを考えていて、そこにあるのは、

「交わることのない平行線」

 だけなのだ。

 だから、彼らには、神はいない。しかも、そのわりに悔しいが科学力はかなりのもので、「知恵がある」

 ということになるのだ。

 最初の、

「神なき知恵」

 というのは、まさにパラレルワールドの世界である、

「やつら」

 ということになるのだ。

 あくまでも、こちらから見た考えなのだが、神なき知恵というものの、その知恵は、どこに結びついているのかというと、こちらから見た時、相手は、

「悪魔」

 にしか見えないということである。

 つまり、この言葉は三段論法のような形ではないだろうか。

「彼らは神がないほどにモラルがなく、その代わり知恵はある。知恵があるから、その暴走する考えは悪魔を作りだす。つまりは、神がなければ、知恵があろうがなかろうが、悪魔になるということになるのであって、それは当たり前のことなのだ。ただ、そこに悪魔というものが存在すると、人類を脅かす存在となり、無視できないものだ。だから、言葉を教訓にして残していた。いや、ひょっとすると、この言葉を考えた人は、一種の予言者なのかも知れない。そもそも、こんな言葉は、知恵ある悪魔の存在を意識しなければ、出てくるはずのない発想だからである」

 と、考えていいのではないだろうか。

「知恵ある悪魔」

 の国では、奴隷制度というものがあるようだ。

 ただ、その奴隷制度は古代にあった奴隷制度であったり。アメリカのように、黒人奴隷であったりというものではない。

 基本的に身分制度があるわけではない、あちらの国では、奴隷というものは、一つの職業となっている。

 制度というのは、ある一定の年齢に達すれば、国民の義務として、

「ご奉公という意味合いと、人生経験を踏む」

 という意味合いで、

「奴隷奉公に出る」

 という決まりがある。

 いわゆる、

「徴兵制度」

 のようなものであるといってもいいだろう。

 そういう身で、この、

「奴隷制度にも、学者などの、すでに国家に役に立っているような人間は、免除されることになる」

 というものである。

 そして、このような奴隷奉公の時には、給料も支給される。これは国家が負担するものであり、まるで教育の一環のようなものだ。

 そして、奴隷奉公に出たあと、そのまま奴隷として、登録され、派遣されるというような感じである。まるで、派遣社員のような感じだ。

 派遣社員との違いは、奴隷というものには、一定の発言権があり、奴隷が進言したことを派遣先の会社は吟味して、すべてを任せることができる。そして、その進言によって利益が出れば、その会社は、国からかなりの補助金が出るということだ。そしてその奴隷は、本人の選択で、そのまま奴隷として続けるか、国家のプロジェクトに派遣される形をとるかを選べるのだった。

 この奴隷制度というと言葉は悪いが、

「国家にとって、役立つ人間を発掘する」

 という目的が一番だった。

 もちろん、奴隷の進言がうまくいかず、あるいは、行動力に問題があったりして、会社に損害を与えた場合は、その損害を補償するまで、自由をその会社に与えることで、ここで初めて奴隷という形での奉公になるのだった。

 こちらの世界から見れば、かなりの歪んだ考え方に見えるが、彼らからすれば、

「人材発掘のために、一番の手っ取り早いやり方なのだ」

 というのだ。

 ちなみに、奴隷奉公の期間は、四年と決まっている。

 こちらの世界で言えば、大学生と同じであるが、向こうの世界にも大学というのが存在し、その難関度は、ハンパでないほど、門が狭いのだ。

 だから、ほとんどの人が、奴隷を経てから、就職するということになる。

 もちろん、大学に入学できれば、それが一番いい。大学生はこちらの世界と同じように、「青春の謳歌」

 を、まるで、

「わが世の春」

 とでもいえばいいのか、極楽生活であった。

 ただ、向こうの世界と、こちらの世界の決定的な違いは、

「戦争がない」

 ということであった。

 こちらの世界では、戦争のない時代はないと言われるほど、世界のどこかで戦争が行われている。

 しかし、向こうの世界では、戦争というものが存在しないとでも言えるほど、平和なのだ。

 一番の理由は、

「戦争をする意義がない」

 ということと、

「力が均衡していて、まるで三すくみのような格好になっている」

 ということだった。

 戦争をする意義がないというのは、一番大きいのは、宗教が一つということであり、少なくとも宗教戦争はありえないということだった。さらに、戦争をすると、どちらかに集中するか、すべてが中立となるかによって、戦争をしてたとえ勝利したとしても、平和の均衡が崩れて、結局疲弊した国家が、負けるという構造になっているのだった。

 やつらの世界での奴隷制度というのは、ある意味で、

「雇用問題への解決手段」

 でもあったのだ。

 彼らが実際にうまく、需要と供給のバランスがうまくいっている時は、よかったのだが、そのうちに、原因不明の伝染病が流行り、人間がバタバタと死んでいくという事態に陥ってしまった。

 そんなパニックに、今まで陥ったことのなかった世界だったので、社会の混乱はハンパではなかった。

 そんな時に巻き起こるのは、どこの世界でも同じことのようで、

「奴隷たちが、伝染病を広めた」

 という、デマが流れたのだ。

 ちょっと考えれば、そんなバカなことなどありえないのは分かるはずだ。何と言っても、そんなものを広げる理由が彼らにはないからだ、現に彼らの仲にも被害者はいて、伝染病は忖度もしなければ、皆に対して平等だった。

 そんな状態なのに、まったくと言って信憑性がないことを信じてしまうのは、それまでまったくパニックになった経験がないということと、怯えているだけの中に、たった一つだけでも確定的な意見が出てきたという、

「藁にもすがりたい気持ち」

 という状態が作り出した幻想だったのだ。

 一部の人間が、煽られて騒ぎ出すと、まわりも同調してしまう。集団意識というのは恐ろしいもので、騒ぎは次第に大きくなり、警察組織でもどうすることもできなくなり、奴隷制度は崩壊に瀕していた。

 数年間、猛威を振るった伝染病も、次第に落ち着きを取り戻してくると、市民生活が元に戻っていく、そこで皆、我に返り、自分たちがしたことが何だったのかを、今さらながらに思い知らされた。

 今まで、奴隷たちにしてもらっていたものをしてくれる人がいなくなり、当たり前のようにいた奴隷がいないということはどういうことなのか、平和になって、思い知らされた。

 しかし、もう後の祭りだった。

「戻ってきてくれよ」

 と言っても、葬ってしまった彼らに報いるのは、あとは低調に葬ってあげるしかないのかと思ったが、そこで考えたのが、残った魂に、命を吹き込むことだった。

 真相はそうだったのだが、それを公表してしまうと、自分たちのやってきたことを認めなければいけない。

 しかし、それはできないということで、彼らの大義名分は、

「年老いた身体を、若い肉体に生き返らせる」

 というものだったのだ。

 さすがに、この時は、今までの理屈が覆されて、こちらの世界のモラルに近づいたといえるだろう。

 だが、奴隷たちの死を乗り越えられないでいる分には、あだまだであった。

 だから、

「あちらの世界のサイボーグの身体を頂戴しよう:

 などという、安直な発想にしかならないのだ。

 強奪される方の気持ちを、これっぽっちも考えていない。抵抗されれば、自分たちの大義名分を使って、正当化することで、彼らは無敵になれると思っていた。

 自分たちの前に立ちはだかる連中はすべてが悪だという妄想に取りつかれているようで、そこには、ひょっとすると、死んでいった奴隷たちの音量が、住み着いているのかも知れない。

 やつらは、疑似空間を作り出し、空間都市を使って、自分たちの世界とこの世界を結んでいた。

 同じ次元であるということは、彼らには分かっている。

 すでに、かなり昔の過去から、パラレルワールドを創造していて、理屈もある程度理解していた。

 その頃のこちらの世界は、まだまだ古代だったようだ。

 彼らの先祖がかつても、こちらの世界に来て、交流があったようである。

 こちらの世界の古代から語り継がれてきた、

「世界の七不思議」

 宇宙人の存在でもなければ説明できないものは、このパラレルワールドから、こちらの世界に来ていた人の伝説なのかも知れない、

「日本最古の物語」

 といわれる竹取物語は、ひょっとするとパラレルワールドの連中の先祖のお話なのかも知れない。

「竹から生まれ、最後は月に帰っていくという話」

 それこそ、疑似空間を月だと思ったに違いない。

 そんな疑似空間を作って、奴隷たちの復活を考えていた、あちらの世界の人間であるが、実は、少し事情が違うようだ。

 向こうの世界では、確かに前述のように、奴隷たちがデマによって、ほぼ壊滅状態にされたのだが、元々、この奴隷たちというのは、頭のいい種族であり、このような迫害を受けることで、今度は真剣に、自分たちがこの世界の覇者になろうと考えるようになった。

 残り少なくなった奴隷たちであったが、残った奴隷たちは、優秀な連中ばかりで、頭脳は明晰、行動力のあることで、あれよあれよという間に、彼らは自分たちの力をつけて行った。

 サイボーグからアンドロイドの開発もでき、人数での弱さを、人造人間の開発によって埋めたのだ。

 向こうの人間たちにとっては、まるで、

「フランケンシュタイン症候群」

 に近い気持ちだっただろう。

 自分たちが作ったサイボーグもしっかりと、奴隷たちに奪われて、力の差は完全に逆転し、今度は人間が奴隷扱いされる番だったのだ。

 しかし、外面的には、奴隷たちは、

「自分たちが使われている」

 という意識をまわりに植え付けた。

 そうすることで、何かあった時の大義名分にできると思ったのだ。

 その考えはちゃんと機能していて、こちらの人間も、そう信じて疑わなかった。

 ただ、彼らの誤算は、こっちのサイボーグが疑似空間に耐えられないということだった。

 こちらからの、

「強奪?」

 あるいは、

「輸入?」

 というべき、身体の伝送はあきらめることにしたのだった。

 こうなると、彼らは、

「泣き落とし」

 を考えた。

「あくまでも、自分たちの行ったのは、種族保存という目的によるもので、悪いことではあったが、仕方のないことだ」

 として、実際に疑似空間から、サイボーグの肉体を持ち去らなかったという事実だけを頼りに、和平交渉に入った。

 こちらの人間は、本当にバカというべきか、

「喉元過ぎれば熱さも忘れる」

 という言葉を、そっくりそのままであったのだ、

 和平交渉はうまくいき、お互いの世界を行き来することも可能になっていた。だが、こちらの世界から、向こうの世界への渡航は、限られた人間だけということになった。

「危険だ」

 ということと、向こうの世界の、

「奴隷制度」

 という考えに感銘できなかったからだ。

 こちらも古代には存在した奴隷制。今さらそんなものを見せられて、ロクなことはないと思ったのだろう。

 それは正解であり、この件に関して画、見せたくない向こうと、見たくないこちらの利害は完全に一致した。

「せめて、我々が作った空間都市の利用は許可しますが、何しろ次元が同じだとは言っても、世界が違うんです。お互いにあまり深入りしない方がいいと思いますがいかがでしょう?」

 という、相手の首脳の意見とも一致して、

「まったくですね。お互いに内政干渉のようなものはなしで行きましょう。友好な通商条約を結んだことで、お互いの利益だけを考えたいものですね」

 と、こちらの代表は思った。

「今下手に未知の世界を相手に、事を荒立てたくない」

 というのは、どちらの世界も同じことで、この通商条約は相手からすれば、肉体を盗もうとしたことを合法にしなければいけないという意味で、最初から相手は不利だった。それだけに、お互いに干渉しあわないということで、あきらかに得をしたのは相手の方であろう。

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