第4話 滅ぶ肉体、生まれる肉体

 美山博士は、一度結婚したが、すぐに離婚している。お互いの意見が合わないということが理由dあったが、これほど当て嵌まる理由もないだろう。

 だが、美山博士とすれば、この理由が一番嫌だった。

「性格の不一致だったり、お互いの意見が合わないなどというのは、結婚する前から分かっていることではないか」

 というのが、その理由であり、

「不倫をしたり、されたりというのは、その後の結果からくることなので、仕方がないともいえるが、逆にいえば、そこまで気づかないというのも自分のバカさ加減が証明されたようで、屈辱でもある」

 と言えるのではないだろうか。

 美山博士は、自分から離婚を言い出したわけではなかった。奥さんの方が言い出したのだ。

 何となく言われるであろうことは分かっていた。

 しかし、こればかりは自分がどうにかできるものではないと思った。どうにかできるくらいのことなら、最初から問題にもならないだろうし、問題になったとしても、修復するだけの気配がしてくるものだと思っていた。

 その場の雰囲気に身を任せると言えば恰好がいいが、要するに、決定打がなかったので、何もできなかったというのが正解だった。

「離婚なんて。なるようにしかならない」

 というのが、博士のその時の結論だった。

「自分のような博士と呼ばれるような人間でも、適わないことがあるんだ」

 と思ったほどで、これを、傲慢だとか、自信過剰だという風には感じない。

 むしろ、

「適わないこともあると感じた方が、自分も人間らしかったんだと思うことで、それまでとは違った自分を発見できるのではないか?」

 と思うほどだった。

 戦争の時代を勉強している時、

「いくら洗脳さえているとはいえ、どんなに覚悟をしていても、死というものに直面すると、それまでの自分とはまったく違った心境になるののだ」

 ということを思い知らされたような気がする。

 冷静に考えれば、戦場に赴いたら、逃げることは許されない。

「敵前逃亡は銃殺刑」

 である。

 しかも、敵前逃亡という理由で死刑にされたら、残された家族に対しての誹謗中傷はハンパではないだろう。

 非国民呼ばわりされ、石を投げられるほどの扱いである。

「同じ死でも、華々しく戦場で散った連中は、天皇陛下のために立派に死んだといって、英霊として祭られることになるのだ」

 という意味でも、まったく正反対である。

 どうせ死ぬなら、英霊として死にたいと思うのは誰もが同じこと。そのように洗脳することで、敵前逃亡などはなくそうとしていたのだろう。

 この、

「敵前逃亡は銃殺刑」

 という考え方は、ある意味万国共通である。

 その理由は、軍の士気にかかわったり、死を恐れることで、戦争反対運動が巻き起こることを恐れたのだろう。

 それを証明したのが、ベトナム戦争で、

「軍の作戦が、あまりにも政治に寄りすぎたこともあり、悪戯に自軍の被害を増やしたことで、反戦運動が巻き起こった」

 というのだ。

 それが結局、アメリカを撤退させることになり、取り残された南ベトナムは、滅亡するしかないという状態に陥ってしまう。

 戦争に政治が絡むとロクなことはないのだろうが、この二つは切っても切り離せないのである。

 何しろ、戦争というのは、

「国家総動員して行うものだ」

 と言えるからであろう。

 特に朝鮮。ベトナムなどの代理戦争であったり、ソ連のアフガン侵攻までは、米ソという二大大国が、ある意味、同じようなことをしている感じであろうか、もっとも代理戦争というのは、冷戦に始まったことではなく、傀儡政権があった時代には多かったことだろう。

 そういう意味では満州国という傀儡政権を持っていた大日本帝国は、ノモンハンなどの満蒙国境紛争で、代理戦争に近いことをやっていたのだ。

 代理戦争とは少し違うが、日清戦争のように、戦争している両国の領土でも何でもない朝鮮半島が主戦場だった例もある。戦争というのは、

「摩訶不思議だ」

 と言えるのではないだろうか。

 博士が、自分の研究とは別に、歴史の勉強をしている時、少しおかしかったようである。そもそも、歴史の勉強をしているのも、自分の研究のためであり、それを他人に決して語ろうとはしなかったことが、博士に疑問を持たせたりする要因だったのかも知れない。

 奥さんも博士と違って、ごく普通の女性だったこともあって、普通に付き合っているつもりだったが、一緒にいるうちに、どこか博士が、

「情緒不安定」

 に見えてきて、

「科学者というのは、人のことや研究していることは理解できても、自分のこととなると、ほとんど感覚がマヒしてしまうようなところがある」

 と感じていただけに、さすがにその時はゾットするものを感じた。

 普段は鈍感なのに、急に恐ろしいほど鋭かったり、逆に、普段は的確な判断を、一気にできるところがあるのに、まったく無関心で、何を考えているのか分からない状態になったことで、

「もう、この人とは一緒にはいられにあ」

 と感じたのだった。

「女性というものは、ある程度まで我慢できるが、ちょっとでもキレてしまうと、もう収拾がつかなくなってしまうものだ」

 と言われているが、奥さんもそうだった。

 だが、博士と一緒にいると、その我慢ができないのだ。

 我慢しても、不毛しか見えない将来がとたんに悲惨さがこみあげてくるようで、そうなると、別れるしかないという結論だった。

 それを博士に話すと、

「そうか、じゃあ、しょうがないな」

 と、一言で終わってしまった。

 博士の性格は、ダメだと分かれば、あとは早い。さっさと別れてしまって、一人になりたいとでも思うのか、離婚まではあっという間だった。

 まるで最初から計画でもしていたかのように、さっさと荷物をまとめて、出ていった。「離婚届は後日郵送で」

 というくらいのもので、本当にあっさりとしていた。

 だからと言って、完璧な合理主義者というわけでもない。

 たまに、メルヘンチックな話をしてみたり、一見無駄だと思うようなことを平気でしてみたりするのだ。

 それは、博士の感性が違っているだけで、やっていることは、他の男性と変わりはないのだ。

 感性が同じでmやっていることが違うよりも、よほどまともな性格だと思うのだが、それだけに、急に豹変するところがあるのは、奥さんには許せなかった。

「他の女性なら我慢できるのかも知れないけど、私には無理だわ。でも、私の場合はあっさりと別れられたけど、他の女性だったらどうなのかしら? 少しでもずれてしまうと、厄介なことに平気でなってしまいそうで、奥さんは恐ろしいと感じた。

「やっぱり、私のような女性でないと、あの人はダメなんだわ」

 と感じたことから、

「再婚は、たぶん、できないでしょうね」

 と笑いながら言いそうだ。

 しかし、その中に嫉妬の感情は欠片もなかった。

「せいせいした」

 という感情が溢れているようだ。

 別れるということが、いいことなのか、悪いことなのか、果たしてどうなのか、別れた後も、よく分からない様子だった・。

 奥さんがよくできた人だったので、その後、教授時代に付き合った女性がいたが、彼女がまた真逆な女で、完全に教授の金が目当てだったのだ。

 あわやくば、結婚して、地位と名誉も手に入れようと画策していたかも知れないが、教授の性格に、その女はすぐについていけなくなった。

 こういう女は、今度は我慢はしない。

「こいつがダメなら、さっさと他に乗り換えた方がマシだ」

 と、合理主義に走るのだ。

 元々教授も、その女も同じ合理主義者なので、その分、お互いのことはよく分かるのだろう。

 それだけに、我慢できなくなれば、もう執着はしない。女の方とすれば、男に関しては百戦錬磨なので、

「こいつも、しょせんはこの程度の男だったんだ」

 と見切りをつけて、できるだけ、今の間に、金を引き出そうと考えていたことだろう。

 そのあたりまでも、教授は合理的に考えるから分かるのだ。だが、女のその奥の本性が分からない。ある程度まで奥に侵入しているにも関わらず、男としては、自分のいる位置が分からないという矛盾に苛まれてしまうのだ。だから、苛立ちもあり、奥さんには感じたことのない思いの正体が何なのか分からずに、苦痛になってしまうことだろう。

 だから、教授は却って、簡単に女を切り捨てることができる。自分が後悔しないことが分かっているからだ。

 もちろん、こんな女に後悔などはしないだろうが、何か後味の悪さがある。それが、この女の置き土産のような気がして、いつ爆発するか分からない爆弾を。身体の中に埋め込まれた気分であった。

 そんな憤りがあることから、

「しばらく女はいい」

 と思うようになった。

 性欲が我慢できなければ、風俗を利用すればいいのであって、何もリスクを覚悟で、恋愛をする必要もない。

 リスクというのは、この女の場合は、相手のことが手に取るように分かったからよかったが、ちょっとでも違うタイプの女で、いかにも騙そうとしているのが見え隠れしているとしても、教授であれば、それを見抜くことはできないと、自分で思っていたのであった。

「女なんて」

 と普段から思っているはずなのに、いつの間にかこちらの気持ちに入り込んできて、その気にさせる女がいることは分かっていた。

 それまでに、そんな女がいなかったわけではない。その時は結婚していたので、甘い罠に引っかからなかっただけだった。

 合理的に考えると、リスクを犯して、女房もいるのに、他の女にうつつを抜かすということが、信じられないのだ。

「女房の方が絶対にいい」

 と言い切れるわけではない。

 どちらかというと、奥さんは、性欲をそそる方ではなく。性格的に合うと思ったのと、自分の合理性を理解してくれると思ったからだったが、最初からそこが間違えていたのだった。

 彼女も普通の女性であり、ただ、気が強いところがあった。それが、合理性という意味で自分と同じではないかと思ったのが間違いだったのだ。

 いや、自分と同じだというところは間違っていなかったのかも知れない。

「同じだ」

 と思うことで、必要以上に近い距離感を感じてしまい、その間の溝の距離を勘違いしてしまったわけではなく、目の前に見えている距離を、

「それが正しいのだ」

 と信じて疑わなかったことが問題だったのだ。

 それはきっと、自分が、

「距離を見誤った」

 ということを思いたくなったことで、違う方向に錯覚してしまったからではないだろうか。

 その方向というのは、普通の人が普通に感じることであり、自分としては、あまり人と同じでは嫌だと思っていることで、無意識に認めたくないと感じていたことだったに違いない。

 その思いが、

「勘違いをしていた」

 という一言で納得させようという無謀なことになったのだろう。

 一言で納得できるはずなのないのに、そう感じたのは、

「早く忘れてしまいたい」

 という思いがあったからなのかも知れない。

 その女に騙された時は、別に奥さんでもなければ、結婚を真剣に考えているわけでもないのに、相手がやたらと近寄ってくることを、億劫だと感じながらも、甘えてこられることを容認した。

「どうせ、俺の金が目当てなんだろう?」

 と感じてもいたが、心のどこかで、

「そんな女ばかりではないんだ」

 と信じたい自分もいるのだ。

「騙されるのは、騙される方だって悪いんだ」

 と、いつも考えていた。

「合理的にさえ考えていれば、騙されることなんかない」

 という信念もあった。

 それだけに、騙されるという観念が、教授にはなかったのだ。

 どちらかというと、

「騙されてみたい」

 と思っていたほどで、

「騙されたふりをして、相手を欺瞞に満たしてやろう」

 とさえ考えていた。

 しかし、そんな時の教授は、自分が、そんな悪党のようなことができる人間だと思い込んでいた。それが一番の間違いで、自分を騙そうとするやつには、騙されたつもりで相手をすれば、相手を手玉に取ることができると思っていた。

 相手がどれほどの力量なのかということを考えずに、自分が教授としての頭があることを過信していたのだ。

 そこが、一番の悪いところだったのだろう。

「騙しているつもりで騙されているということに、まったく気づこうともしない。それが、自分の傲慢な考えからきているということを分からないからだ」

 と言えるのではないだろうか。

 だが、その時は、別に金をむしり取られることも、騙されることもなかった。

 なぜか急に女が自分から去って行ったのだ。相手が自分のことを知りすぎたことで、怖くなったのだということを知らない。

 相手の女は、百戦錬磨ではあったが、百戦のうち、何敗かはしているだろう。その相手のことは決して頭から離れることはない。

 どうやって知り合って、どうやって、仲良くなり、その間に自分がどうやって手玉に取られたのかということを、後から考えて整理でき、頭に叩き込んでいた。

 これが、この女の、

「他の女にはできないすごいところ」

 だったのだ。

 だから、今まで自分を手玉に取った男にかなり類似点があったのだろう。そうでもなければ、明らかに女の方が手玉に取っていたはずの相手に、背を向けるような形で、急いで撤退していったのかなど分かるはずもないのだ。

「私が仲良くなったのは、あんな男じゃなかったはずなのに、どこで間違えたのかしら?」

 と思ったに違いない。

 男の方も、女を怪しいとは思っていたが、こちらが何かの作戦を考える前に撤退していったのは不思議だった。

「明らかに手玉に取られる寸前だったはずなのに」

 と思った。

 下手をすれば、

「今回は危ない」

 と思っていたところだけに、ビックリである。

 まるで、元寇の時、圧倒的な力を持って、侵略一歩手前だった元寇の船団が、一夜にして消え去った時の民衆のような気持だったに違いない。

 相手に勝ったといえるわけでもない。戦わずして逃げていったのだから、こちらの勝ちなのだろうが、それを認めるわけにはいかない自分がいる。

「悪運が強いということなのか? それとも、相手が悪いことをしようとしているのを見かねて。神が助けてくれたのだろうか?」

 と、普段はそんなに神に感謝などしない教授がその時は、ほんのちょっとであったが、感謝をしたのだった。

 そのせいもあってか、女が信じられなくなった。その分、研究に没頭するようになったのだが、そのためか、アンドロイド開発について一番難しいのが、

「アンドロイドに感情を込めるかどうか?」

 ということであった。

 感情というのは、考えたり判断したりすることに対して、微妙なところがあるのだ。普通にロボットが感情を持てば、人間に近づくようで、人間のいいところ、悪いところ、それぞれを示しているように思うが、普通の人であれば、

「悪い方に作用するのではないか?」

 と考えるに違いない。

 確かにそうであろう。言葉として、

「感情的になってはいけない」

 という戒めのように、

「感情的になることは、悪いことだ」

 と思われるであろう。

 研究員の人たちは、皆、

「ロボットに感情を込めるなんて、そんな危険なことを」

 と言っていた。

 つまりは、

「ロボット三原則さけを充実に守っていればいいのだから、感情など持つと、三原則に疑問を感じるロボットが出てきたりして、そうなると、フランケンシュタイン症候群になってしまうんじゃないですか?」

 と言われたものだ。

「そうか? 俺は逆ではないかと思うんだけどな」

 と教授がいうと。

「どうしてですか? 感情がこもるということは、余計なことを考えるということですよ。人間にロボットというのは、人間とは一線を画さなければいけないんじゃないかと思うんですよ。人間のように感情を持って、考えるということをやり始めると、自分たちの立場に疑問を持ちかねないですよ。明らかに、やつらの方が優れているものを作ろうとしているんだから、それこそ、フランケンシュタインのように、理想を作り上げようとして、悪魔を作ってしまいかねないということになります。ミイラ取りがミイラになったという言葉をそのまま実践してしまうような気がするのは、僕だけでしょうか?」

 というのだった。

「確かに、君の主張は分かる気がする。だけど、フラン系シュタインの話だって、あれはあくまでも小説の世界の話ではないか。あの時代に人工知能を持ったロボットが存在しているわけはないのだから、あれは、空想物語でなければいけないはずだよね。そうなると、信憑性がないわけで、どこから、感情を持つと、フランケンシュタインになってしまうという話になってくるんだい?」

 と言われた。

 研究員たちは、それをいわれて、ぐうの音も出なかった。

「なるほど、言われてみれば、そうだ」

 と思い、何も言えなかったのだ。

 教授はまくしたてる。

「そうだろう? フランケンシュタインの話が事実で、本当にそういう過去があったというのであれば、信憑性はあるが、実際には架空の話であって、誰もが本当のことだと思うほどに錯覚してしまうような素晴らしいインパクトを持った作品なのだということなんじゃないかな?」

 というのだった

 それを聞いた研究員も、

「ああ、なるほど、そこまでは考えませんでした」

 とばかりに、教授に敬意を表するかのように、頷いていたのだ。

「そうだろう? 物事は絶えず、まわりから見ないといけない。それは君たち研究員は絶えずそのつもりでいつも考えているはずなのだが、たまに考えすぎて一周してしまうんじゃないかな? それで、自分が何に迷い込んでしまっていることに気づいていないということになる」

 と教授は言った。

 それに対しても、

「まさにその通りだ」

 とばかりに皆が頷いている。

 そのことを考えていると、さらに教授の意見が聞きたくなっていたのだ。

「これは私の仮説なんだが、聞いてくれるかい?」

 と教授が改まったかのように話始めた。

 教授がこのように自分の意見をまわりに認めてほしいと考えるのは、ある程度まで自信があるのだが、誰かに認めてもらうことでさらに自信が湧いてくるようだという、誰にでもある感情だった。

 それを教授は自分が教授であるという、よくある、

「自我の境地に陥った時の、さりげない不安だ」

 というように、まわりは感じていたのだ。

「ええ、もちろんですよ」

 と一人が代表していうと、

「私は、死というものをいつも考えているんだけど、その時、死というものは、肉体が滅んで初めて市というのか、それとも、この世の人間と話ができなくなったら、それを死だというのかと考えていました。もちろん、後者は、元に戻らない、つまり蘇生しないというのが大前提ですけどね。この考えはかなり極端なのだけど、宗教のように、肉体が滅んでも魂だけは生き延びるという考えに対し、若干の不思議な思いがあるんですよ」

 と言い出した。

「それはどういうことですか?」

 と聞くと、

「魂だけが生きているということになると、肉体は、滅んでいくだけだよね? ということは、どこかで肉体が生まれてこないと、魂が不滅であれば、その分、あぶれてしまう。すると将来的に、肉体はなくなってしまって、魂だけの世界になってしまうということなのだろうか? と考えないのかな?」

 というのだった。

「なるほど、それも考えたことはなかったですね。でも、肉体が生まれるとすれば、どういうところからなんでしょうか? 輪廻転生という発想からすれば、生物地球科学的環境であるとすれば、肉体は土に返って、そこから栄養になるということなので、どこからだったか、人間の元祖は土だったということで、また土に返るという発想ですよね」

 と研究員がいうと、

「それは聖書の一節で、人類最初の人間であるアダムは、土から生まれたとあるから、そのことなんだろうね。人間が人間から生まれるというのも、実際には面白いもので、アダムが土から生まれ、土に返るという発想が本当であれば、人間から生まれた人間も、また人間に戻ると考えれば、輪廻転生という発想から、肉体は帆トンデモ、新たに人間から生まれてくると考えると、人間に限らず生物は、必ず生まれ変わるという発想になってもいいんじゃないか?」

 と、教授は言った。

「でも、人間が必ず、人間に生まれ変わるといえるんでしょうか?」

 と聞かれて教授は、

「そうなんだ。何に生まれ変わるかというのは分からないとされているけど、私はかなりの確率で、人間ではないかと思うんだ。その身体や、生態を形作っているものは、遺伝子によって受け継がれる。少なくとも、人間だけは、他の動物とは違っている。それは感情があったり、理性があったり、きっと神がそう作ったといえるのではないかな?」

 教授が宗教的な考えを話すのが初めてだったので、皆教授は宗教的なことには興味がないと思っていたが、実際にはそうではなく、宗教にかぶれているといってもいいくらいだった。

「でも、ですよ。人間が人間に生まれ変わる必要はないと思うんですよ。だって、皆前世があるとしても、前世があったのかどうかという記憶すらないでしょう? それは理屈として、前世が何であったか関係なくするために、前世の意識をわざとなくしているのではないかと考えるのは、無謀でしょうか?」

と聞くので、

「じゃあ、その理由は? 理由もないのに、前世の意識をわざわざ消すというのは、何か違うと思うんだけど?」

 と教授が聞いた。

 研究員たちは、少し考えてから、

「人間は感情を持って入りじゃないですか? だから他の動物とはまったく違うから、自分たち人間だけが特別だと思う。だけど、他の種族は種族で、彼らの世界を持っていて、自分たちだけが、他の動物と違って、最高なのだと思っていたとすれば、その世界は、まるでパラレルワールドなのかも知れないですね。ひょっとすると、自分がなるはずだった相手を見ているかも知れない。動物であれ、昆虫であれ。だけど、一生のうちに、一度は、そんなパラレルワールドに出会う時があるかも知れないよね。それを感じると、死が近いと考えるのは、無謀だろうか? ドッペルゲンガーを考えるうえでの重要なカギになるかも知れない」

 と、教授は言った。

 だが、次の瞬間、教授は今までに感じたこともないような恐怖というべきか、何かの覚悟とでもいうべきか、思い詰めたような表情でいうのだった。

「アンドロイドというのは、生まれ変わるということはないのだ」

 と……。

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