第3話 死ぬということ
人と同じでは嫌な考えは、子供の頃からの基本的な考えだった。
おとなしかったくせに、
「いつも、目立ちたいと思っていたな」
と今では笑い話になってしまいそうだが、その気持ちは今も変わっていない。
むしろ、
「自分の根本的な考えは、ここから始まったのだ」
と言っていいところまで来ていた。
目立ちたいと思っているその気持ちが、そのうちに、
「皆と同じことをしていては目立たない。自分から宣伝でもしない限り、周りは分かってくれないだろう。だから、態度で示すしかないんだ」
と思っていた。
まず、根底にあるのは、
「まわりの人は、自分のことをそれほど真剣には見ていない」
ということだった。
これは自分だけに限ったことではなく、しょせん、
「人は人」
なのだ。
自分にかかわりのあることでもなければ、誰も何も気にしない。
かかわりがあったとしても、影響が微々たるものだと思えば、気にしても無駄だということを、無意識に、いや、本能が自分にそう言い聞かせるのだろう。
それが、何かからの逃げであるということに気が付かない。
さらに、自分が何をしている時が楽しいかということに、気づいたのは、
「人が驚くようなことをした時の快感が一番楽しいし、興奮する」
というものであった。
それが、いつの間にか、発明であったり、発見であったりするわけだが、そこにはいつも、何かの前兆のようなものがあった。
何かを思いついた時というのは、
「最初から自分の中にあったものが、表に出てきたというだけのことなんだ」
という思いであったり、
「気づいていないかったが、あと二なって思い出すということがあった時というのが、何かを発明したり、発見する時の呼び水になるのだ」
ということを感じるのだった。
それは、自分が人に、
「どうして、そういう発明、発見ができたのか?」
ということを話している時に浮かんでくるものだった。
その思いが次に繋がり、それが、継続ということになるのだった。
つまり、
「次の発明は、前の発明の最後から始まっている」
と言っても過言ではないのだ。
そのことをハッキリと感じたのは、いつだっただろうか?
高校生になった頃には、すでにいろいろな発明らしいことをしていた。まわりが騒ぎ出したのもその頃で、自分はまだまだだと思っていたのに、
「あいつは、意外と天才なんじゃないか?」
といわれ始めたのだったが、本人はそこまでハッキリと先に進んでいるという感覚があったわけではなかったのだ。
だが、研究が、継続性のあるものだと気づいた時、
「まわりが騒いでいる理由が分かった気がするな」
と感じた。
きっと、まわりの考えていることとは違っているはずのことで、だからこそ、自分だけの発想が生まれていることが分かり、
「自分の成長は、まわりの人の意見や、ざわつきとは関係のないところにあるのだ」
ということを感じた時、初めて先に進んだ気がした。
だが、継続は相変わらずで、その間に、ステップが存在しているのかも知れない。
その継続の先にあるステップが見えてくることで、自分の研究への探求心が強くなり、次第に自分が分かってくるということであろう。
つまり、
「自分への探求心がそのまま、研究の継続に繋がる」
ということなのだと分かってきたのだった。
高校時代は、まわりとさらに距離を置き、一人で孤独を味わっていた。
孤独というものが、自分の中の何を見つけてくれるのかということを分かっていたような気がするからで、
「孤独が孤高に変わる時が、必ず来る」
と思っていた。
孤独というののと孤高の違いが判る時こそ、自分が今まで見えなかったものが見えてきて。その先にある新たなステップが見えてくるのだろう。
そして、次第に限界というものが見えてくると、その限界に近づくにつれて、どんな困難が待っているか分からないということも感じるようになってきた。
困難というものが、見えるか見えないかは関係ない。目指すは限界なのだ。
限界というものは、
「自分で決めるものではない」
と言われている。
しかし、それは、限界というものを、いかに意識するかということが重要なわけであって、自分が決めるかどうかではないのだ。
そこにあるものを認めることが大切なのであって、これまで、
「自分で自分の限界を決めるな?」
と言われてきたが、それは本来の意味とは違っているのではないかと思うのだった。
つまり、
「限界を決めるのは自分ではなく、最初からそこにあるものだ」
と言いたいのを、消えるという言葉が勘違いさせるものではないかということである。
世の中に限界というものがないわけではない。
限界というものがあるからこそ、そこに向かって、人間は、
「たゆまぬ努力をする」
のであって、
「その努力を決して無駄にしたくない」
と思うことが大切なのだ。
だから、限界はあって当たり前のことであり、それを知るのも大切なことだ。
「限界を決めるな」
という言葉を額面通りに受け止めるのは、
「限界を決めることで、逃げになっているということを意識しないで済むのではないか?」
という考えに基づくものではないだろうか。
そう思うと、
「限界というものを逃げではないと自分に言い聞かせることが大切で、その意識が、限界という言葉を、悪い意味から解放してくれる」
ということになるのだろう。
今まで限界を意識しすぎてしまっていたために、そこに至るまでの壁が見えず、ただ抵抗だけが激しい状態に、いつの間にか逃げの体制に入ってしまい、先に進むことができないと、壁を超えることができないどころか、そこまで進んできたということが、間違いだったのではないかという大きな壁を作ってしまうのだろう。
それが、
「壁を超えられない」
ということであり、どうして超えられないのかということを、理解できないでいるか、少なくとも、
「逃げがかかわっている」
ということを理解できないでいるからに違いない。
それを考えると、これから先の研究というものが、
「右に行くか、左に行くか、さらに重要になってくる」
ということを考えるようになるのだった。
「人間が死ぬということは、どういうことなのか?」
ということを、考えたことがあった。
子供の頃は、今に比べると、よく考えていたような気がする。それはあくまでも、臆病風に吹かれてのことであったが、
「死ぬ時って、本当に苦しいんだろうか? 痛いんだろうか?」
という直接的な恐怖がほとんどだった。
よくケガをする子供だったので、痛みを感じる時には、一緒に呼吸が数秒止まるようなことも多く、痛さに苦しさが一緒になっていたので、実にたまらない気分だったのだ。
だから、余計に
「死ぬほどの苦しみって、これよりももっときついんだろうな?」
という思いに至ったのだ。
中学に入った頃からだっただろうか。入学してからすぐ、バスケット部に入部した。
それまでスポーツらしいものはあまりやったことがなかったので、どうしてバスケットをしようと思ったのか自分でも分からなかったが、漠然とバスケット部に入部した。
漠然とした感覚としては、
「的に入れると点が入る」
というところが好きだったのかも知れない。
入部したとすればそれだけの理由なのだが、実際には、狭義としては結構な運動量である。
練習というと、下半身強化が基本であり、練習のほとんどが、走ったり、急激に止まったりすることが多かった。
狭いフィールド内で、いかに相手をかわしてシュートするかがキーとなるのがバスケットボールである。下半身強化が基礎トンるのは当然のことである。
その頃、よく足が攣っていた。
練習中に攣るというよりも、練習を終えて、眠りに就いてから、寝ている時に、急に、
「ピキッ」
となるのだ。
来る時は寝ていても分かるもので、
「ヤバい」
と思う瞬間があるのだ。
その瞬間に目をカッと見開くような感じになり、足を触りに行こうとした瞬間、激痛が走るのだ。
その時は、完全に呼吸ができない状態で、身体が硬直してしまっている。声も挙げられない状態で、触ろうとした足に手が届かない。それだけ完全に身体が硬直してしまうのだった。
「痛いっ」
という声すら挙げられない。
その時に感じるのは、
「まわりに誰もいなくてよかった」
という思いであった。
「誰にも知られたくない」
という思いになるのだが、それは、
「人に触られたくない」
という思いが強いからだった。
特に心配されることが一番つらかった。
「心配してくれたって、この痛みをどうにかしてくれるわけじゃないのね?」
と言いたい。
「何もできないのなら、余計な騒ぎにしないでほしい」
と思うのだ、
下手に騒がれると、自分がまわりを騒がせたという感情になり、痛みを堪えながら、まわりに気を遣わなければいけないというのは、何ともやりきれない気持ちである。
それを思うから、
「痛みを堪える時は一人がいいと思うようになり、痛みを誰かが救ってくれるのであれば、当然誰かがそばにいるようがいい」
と思うのだ、
痛みを堪えようとしている時に、変に心配されてしまうと、自分のペースが狂ってしまう。それが怖いのだった。
この感覚は、きっと自分だけだろう。
ただ、動物は、
「死期が近づくと、誰もいないところに行って、一人で死を迎えようとする」
というではないか。
同じ感覚なのかも知れないと思うのだが、それならば、人間が死の床についていると言われている時、枕元にたくさんの人がいるというのは、どんな気持ちになるのだろう?
「このまま、放っておいてほしい」
と思うのだろうか?
こういう時に、昔のミステリーなどでは、大金持ちの会長のような人が、枕元に主治医を中心に、家族が集まってきていて、その横には顧問弁護士がいる光景を見ることがある。
そして、枕元では喧騒とした雰囲気があり、そのうちの身内の人間が、
「お父さん、ご遺言は? 皆、お父様のご遺言をお聞きしたくて、こうやって控えております」
と言って、泣いているのか、そのわりに涙が出ていないようなそんな状況が、さらにその場の臨場を異常にしているのではないだろうか。
考えてみれば、大会社の社長ともなれば、顧問弁護士と相談し、遺言状くらいはしっかり事前に作っているものである。
そんな当たり前のことを本当に分かっていないのか、その場の雰囲気なのか、それとも、誰も聞かないので、痺れを切らして言い出したのか、
最後はあるだろう。
一人が言い出すと、他の人たちも我先にと、身を乗り出して、虫の息の、会長を覗き込んでいる。
誰もが分かっているはずなのに、ここで態度で乗り遅れてはいけないとでも思うのだろうが? 必死になって死にそうな人を追い詰める。これこそ、
「死人に鞭を打っているかのような情景」
である。
死に行くだけの人は、何を思ってまわりの人間を見ているのだろう。死を迎えた人は、その時、今までの人生を走馬灯のようなものが駆け巡るというが本当であろうか?
もしそうだとすれば、せっかくの、過去を振り返る時間に、自分のいいことだけを思い出したと思っているのに、
「やれ、遺言だ」
などと言われて、自分の最後の迷走を邪魔されるのだから、たまったものではない。
もし、このような家族の卑劣さを知らずに、普通に遺言書を書いていたとすれば、これほどの屈辱と後悔に満ちた気分もないだろう。
最後の瞬間がこれだと浮かばれないというものだ。
ただ、ひょっとすると、この時の状況を最初から分かっていて、家族に対して、
「殺し合え」
とでも言っているような遺言書を残していたとすれば、最後の死の床にいても、気持ちは晴れたかだったに違いない。
そのようなミステリーがあり、それが発端で、案の定、殺し合いが起こるという話もいくつか読んだりしたものだった。
それを思うt、
「死というものは、何を物語っているのだろう?」
と感じた。
さらに、このように、布団の中で死ぬことができる人だけではなく、戦場で死んだり、戦争に巻き込まれる形で死んだりする人が結構いた時代もあった。
かつての世界大戦などがそうであり、
「戦争だから、死ぬのはあたり和えだ」
という状態で戦場に赴く人もたくさんいただろう。
ただ、日本の場合は、大日本帝国の教育自体が、
「天皇猊下に命を捧げるのが、日本人だ」
というような教育を受け、戦争で死ぬということを怖いものだとは思わないような教育を受けてきているのだった。
だから、最初から覚悟はできているという人がたくさんいたことで、勇敢だったともいえる。
人間を洗脳するのだから、それだけの締め付けが政府や軍になければいけないだろう。
法律もそのような形のものであり、憲法で、主権は天皇、国民はその下だということになっているので、今のような、基本的人権であったり、法の下の平等などという言葉はなかったのだ。
今の日本国と、大日本帝国の一番の違いというのは、
「愛国心」
ではないだろうか。
愛国心がそのまま、
「天皇陛下のために」
という発想になるのだ。
だから、政治家も軍人も、基本的に愛国心から動いている。
「国を憂うる気持ちは誰もが同じ」
と言って、クーデターを起こした人間を、処断はするが、処刑してしまった後は、恨みも消えて、彼らに敬意を表することもあるだろうが、実際には、派閥や洗脳によるもののせいで、
「死んでいった連中を悪者にして、責任をすべて彼らに押し付ける」
ということが横行したのもこの時代だったからなのかも知れない。
だから、日本人は、他の国から見れば、信じられないような行動や作戦が立てられたりした。
「虜囚の辱めを受けず」
ということで、先陣訓というものがあり、
「捕虜になるくらいなら、その場で自らの命を断つ」
ということで、手榴弾や青酸カリが、自殺のために配られたともいうではないか。
さらに、全滅を待つだけの状態で、投降をするわけにもいかず、集団自決という意味合いからの、
「玉砕攻撃」
というものがあった。
「一人でも多くの敵を殺して死ぬ」
というものだったのだろうが、実際に玉砕ともなると、ほとんどの人に武器は渡るわけもなく、ただ、弾丸や爆撃に晒されるところを、皆で歩いて敵兵に進んでいくということであった。
「自分から死ななくとも、相手が殺してくれる」
ということなのだろうが、相手からすればこれほど怖いものはない。
かわいそうだなどと思うわけにはいかない。こちらが殺さなければ、こちらが殺されるということになるからだ。
それにしても、玉砕にしても、カミカゼにしても、死を恐れないという感覚は、米軍などとは違うだろう。
「我々は、軍隊に志願した時点で、国のために、命は捧げると思って行動してきたが、あのような玉砕や、カミカゼのようなことは信じられない」
と考えることだろう。
さらに、
「俺たちは、勝つための戦争はするが、負けると分かっている戦争に出ていくことはできない」
と考える兵隊も、若干名いたことだろう。
戦争映画などでは、そういうシーンもあり、ただ、実際の戦場や、大日本帝国で教育と受けた人間が、今のような考えに至るというのは、なかなか難しいことだろう。
本当の怖がりであれば、気が狂ってしまいそうな状態ではないか。実際に、戦場で気がふれた人もいたことだろう。
今の人間から見れば、すべてが異常な時代。それを今の人間は知ろうともしない。
「あの時代が異常だったんだ」
ということは知っていても、何がどう異常だったのかということまで知らないだろう。
知っているとしても、学校の教育などで、押し付けられた知識だけで、
「勉強や、知識を得るということは、自分から動かないと、得られるものではない」
と思う。
そこに、プロパガンダがあった時代は洗脳されることになるのだろうが、今の時代は、自由という発想があり、
「自由以外は、悪なんだ」
と感じるかも知れない。
感じるというよりも、感じさせられているということに気づかないのだ。
昔の帝国時代の方が、洗脳が激しいと思っているのだろうが、実際には違うのではないだろうか。
組織的に洗脳が横行していた時代は、
「気持ちを一つにするための締め付け」
だったのだが、今の時代の洗脳は、
「過去に目を瞑って、その勢いで今の時代に隠ぺいできることは、隠しきってしまおう」
と考えたのだろう。
「自由という言葉を巧みに使い、その言葉をプロパガンダにして、国民を洗脳することが、隠ぺいに繋がる」
ということを、今の政治家は分かっているのだろう。
だが、隠ぺいしようとしている人間だけが悪いわけではない。むしろ、隠ぺいしようとしている方も、過去の歴史を勉強し、
「どうすれば、自分たちの思う通りになるというのか?」
ということを考えているのだ。
それに比べて、過去の歴史を勉強しようともしない連中が、
「自由なんだ」
と叫んだところで、
「どうして自由なのか? 自由というものがどういうものなのか? さらに、自由であることが自分にどのようなメリットがあるのか?」
ということを考えようともしない。
ちゃんとした知識がないから、マスゴミと呼ばれる連中に利用され、さらに、そのマスゴミを政治家が利用しようとする。きっと、昔の人たちから今の時代を見れば、
「なんて、バカな連中ばかりなんだ」
と思うことだろう。
勉強しようと思えばいくらでもできる環境にありながら、勉強をしようとも思わない。何をすればいいのかが分かっていないから、自由という隠れ蓑に隠れて、何もしようともしない。
そんな連中だから、政治家はいくらでも甘い汁を吸えるのであり、その事実すら知らず、世間が騒ぎ出すと、どうして騒いでいるのかという理由も分からずに、我遅れじとばかりに、騒ぎ立てる。
これが二番煎じということで、どれほど情けないことなのかということを分かっていないのだろう。
そうなってくれば、
「恥も外聞もない」
と言って過言ではないに違いない。
そんな時代を生きている自分も、死ぬということを意識せずに暮らしてきた。
家族の死、祖父や祖母の死にかかわった時は、まだ小学生だったので、死というものがどういうものなのかということをハッキリと感じることはなかった。
それを考えると、
「人の死と向き合うというのは、どういうことなのだろう?」
と考えるようになったのが、ハッキリといつだったのか、覚えているわけではない。
きっと、戦争映画などを見ている時ではなかったか。戦争のアクションシーンを初めて見た時、
「恰好いい」
というよりも、
「どうしてあんなに人がまるで虫けらのようにバタバタを死んでいくんだ?」
という感覚だった。
マンガなどでは見たことがあったが、実写になり、音が入ったり、声が出たりするシーンには、適わない。
いかに、戦争をリアルに描くかという問題よりも、
「いかに、放送倫理に引っかからないように、リアルさを出すか?」
ということが問題になってくる。
人によっては、その感覚が、リアルさに欠けるのではないかと思うのだろうが、逆にこの葛藤が、リアルさに近づけるものではないかと思うのであった。
だが、実際に戦場を知っている人は、日本では、もう皆無に近い。
空から爆弾が雨あられと降ってきて、街や家が燃えていくところなど、想像もつかない。昔、祖父から聞かされた戦争体験も、まだ小さかったこともあって、恐怖なのだという感覚ではあったが、ピンとくるものでもなかった。
リアルに描かれているのを見たのは、やはり、戦争映画だったのはないだろうか。
今では戦争を知っている人がいないこともあって、リアルさについて、そこまで言われないかも知れないが、知らない人が見るのに、感じるだけの何かが存在していると思うと、時代の流れというよりも、人間の中にある遺伝子のようなものが、記憶を受け継いでいるのかも知れないと感じるのだった。
戦争映画やドラマを見ていると、
「歴史を勉強してみたくなる」
という感覚も出てくるというものだ。
最初に歴史を勉強してみようと思ったのは、友達と話をしていて、知らないことを友達が話していて、こちらが知っているかのような受け答えをしているのを、早い段階で見抜かれたことだった。
「勉強をするというのは、それだけの魅力や理由が存在しているに違いない」
と感じるのだった。
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