第9話 はえっ?

 「千英ちえ、すぐ来るって」

と愛が言う。

 「いや」

 遅まきながら、の、朝穂あさほの抗議だ。

 「本人に来てもらって、事情説明とか、そういうのじゃないから」

 「事情っていうより」

と、愛もとろとろしながらアップルティーを飲む。

 「ほんとに鳥の飛ぶ機能が退化するか、っていう話でしょ? それって、科学部でも千英以外にはわからないから」

 アップルティーのコップを置いて、言う。

 「たぶん生物部でもわかる子いないと思う」

 「そういえば」

 由己ゆきが反応する。

 まじめな由己。

 「その千英、わたしの短歌の判定のときに、生物は科学の一分野なのに、どうして生物部が科学部と別にあるんだ、って言ってたよね?」

 べつにそんな話をしなくてもいいのに、と思うが。

 してもいいと思うので、黙って聞いている。

 「千英が言ってたね」

 愛が答える。

 ちょっと笑ったのは、含み笑い、という種類の笑いだろう。

 「それさ、説明すると長くなるんだけどさ」

 そう言って、愛はアップルティーで唇を湿らせる。

 少ししか飲まないのは……。

 ……熱いからだな。まだ。

 「まだいまの高校とか大学とかになる前、戦前って時代に、明珠めいしゅじょ絹糸けんし改良研究所っていうのがあって。あ、絹糸って絹の糸、ね」

 「はあ」

 由己がまじめにあいづちを打っている。

 まじめな由己!

 愛の説明は続く。

 「それで、あ、そうそう。戦前から戦後すぐあたりまでは、明珠女って、ハエの研究で有名だったらしくて」

 「ハエっ?」

 朝穂が驚く。

 しかし。

 「はえっ?」と驚くと、とても声が萌えっぽい。

 その萌えっぽい声を立てた朝穂を、由己が「何を似合わない声を立ててるの?」とでも言いたそうに横目で見ている。

 ハエ。

 ハエには朝穂はぜんぜん萌えないので、「はえっ?」とのギャップが……。

 「うん」

 「はえっ?」とか言わなくても、愛のとろとろぶりは萌えだなぁ。

 「萌え」とか言うと、恵理えり先生、怒るんだよね。

 八重やえがき会顧問の恵理先生。

 だから、あんなにパンダパンダってからかわれるんだよね。

 そういえば、古典文芸部は、あの「歌合うたあわせ」にいっぱいパンダの短歌を出してきてたな。

 あれは、朝穂とも対決した穂積ほづみあきらって子が悪いんだが、あんまり憎む気になれないんだよね、あの一年生。

 ちょっと派手で、品がよく派手で。

 どうしたらあんな子になれるか、朝穂は興味がある。

 だから、あの子に敗けたのも、気にしてないんだけどな、朝穂本人は。

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