君に会いたいよ。

「なんで、フユ?」


 目の前に立ち尽くす彼女は、とても不安そうにこちらを見つめていた。


 そんな姿が、小学生の姿と重なる。


 彼女は、小学三年生のころに、同じクラスになっただけの、腐れ縁だ。


 特に親しい相手も、ましてや話し相手もいなかった僕たちは、自然な流れで休み時間の暇をつぶし合っていた。彼女だけが、僕の回り道で埋まった人生のことを知っていた。


「どうして、ここにいるの?」


「奇遇だな。まったく同じことを考えてた」


 彼女は眉をひそめる。


「ほんと、変なしゃべり方」


 そうかな? とは言ってみるけれど、自分でも思っている。やっぱり、会話をするのは苦手だ。なんだか、慣れない。自分じゃない何かにしゃべらせないと、うまく言葉にできない気がする。


「どうしてここに?」


「……もう、知ってるでしょ。ここにフユがいるってことは、ビデオテープ見たんだよね?」


「うん。毎日、僕はここに来てる」


「ほんと、暇人」


「アキこそ。人のこと言えないと思うけど」


 アキは僕の隣に腰を下ろす。それから膝を抱えて、微睡を見ているような目で、どこかを見ていた。


 距離が近くなって、やっと彼女の顔が見えた。


 長く、おそらく手入れのされていない、荒っぽい黒髪が、乱雑に肩に乗っかっている。伸びきった前髪は、顔の半分を隠している。虚ろな目をしていて、どこか悲愴な出来事を抱えていそうな顔は、小学三年生のころから変わっていない。もちろん、これがアキの普通なのだということはわかっている。でも、やっぱりその表情は心のどこかに残るような、哀愁を纏っていた。


 アキは、自分の顔がコンプレックスだと思っている。この、なんとも言えない、寂しそうな顔のせいで、他人から過剰に心配される。


 他人から向けられる、偽善だらけの視線が、辛いのだという。好感度のために利用されているのが、どうにも気に障るらしい。でも、怒鳴る勇気も持ち合わせおらず、だから、ただひたすらに耐えるしかない。


 でも、僕たちの出会いは彼女から話しかけられて始まったものだ。


「フユは、ビデオテープの中にいる女の子に会ったことある?」


 アキは無理やりに頬杖をつきながら言った。この自分の顔を隠す癖も、変わらないままだ。


「ないよ。君には会ったことない」


「君?」


「うん。僕の心の中の君が、このビデオテープ」


「そ」


 アキは思い立ったように立ち上がって、棚から今日見ていたビデオテープを抜き取る。それから、慣れた手つきでビデオカセットに差し込んだ。ビデオテープは、カセットの穴に吸い込まれていく。


 ボタンを押して、ビデオテープを再生した。ブラウン管に、君の姿が見える。アキはヘッドホンのコードを抜く。


『おはよう。また、会えたね』


 その一言が、部屋の中に響いた。


「これ、もう見たの?」


「うん」


「『君』が何者か、フユは知ってる?」


 僕は首を振る。


「それは僕にもわからない。だけど、僕は、僕の心の中にいた『君』だと思ってる」


「わけわかんない」


 アキは特に興味のなさそうに鼻を鳴らした。


 そんなアキに、特に話す話題もなかったから詳細を話してみる。


「思いが強いと、それが具現化することがあるって、どこかで聞いたことがあるんだよ。例えば、学校の七不思議とか」


 学校の七不思議はかつて、小さい子供を持つ親が作った噂話だ。子供が帰らなかったら、親が心配すると教えるよりも、夜の学校は怖いから、早く帰らないといけないんだよと教えた方が、聞き覚えがいい。


 最初はただの噂話だったが、やがてそれは尾ヒレをつけていき、学校の七不思議となった。さまざまな思いがその物語にはあった。


 だから、現実になる。目撃情報も多発する。


 僕の話を黙って聞いていたアキは、


「……そ」


 とそっけなく返すだけだった。


 相変わらず、こういうところは変わっていない。僕の話に対する返事は大体「そ」か「へぇ」か「ふぅん」だから、会話がなかなか続かない。


 昔は何とか会話を続けようと、アキの趣味を探ってはみたものの、何も見つからなかった。「そ」だけじゃ、何の趣味かもわからないのだ。


 でも、そんなアキが君のビデオテープを見ているだなんて、それこそおかしな話だった。


 どうして、アキはビデオテープを見ているんだろう。僕と同じように、特にやることもないからだろうか。


「ねぇ、フユ」


 隣で僕を呼ぶ声がした。


 僕は、アキを見る。


 アキも、僕を見ていた。じっと、瞳を覗き込むみたいに。テレビの光のせいで、顔の半分が青白く瞬いていた。でも、それもなんだか神秘的で。心臓にひんやりとした何かが触れるみたいだった。


 それは、氷が頬に触れるのに似ているのかもしれない。だんだんと体温がそれに奪われて、水滴が流れていく。まるで、体温の結晶のようなそれは、ひんやりとしている。


「フユは、このビデオテープのこと、もっと知りたくない?」


 その声は平坦としていて、妙なほどに真剣味を帯びていた。それはなんだか——変な比喩を用いるけれど——告白をしているみたいで、僕は思わず笑ってしまった。


「なに」


 アキは不機嫌そうに唇を尖らせる。


「別に、なにもないよ」


「それで、返事は?」


 僕は考える。目を閉じて。瞼の色に包まれて。


 君のことを。


 君が、何者なのか。


 知りたくないわけじゃなかった。だけど、それと同じくらい知るのが怖かった。僕の知っている君が、本当の君を知ることで、壊れてしまったら嫌だったから。


『ねぇ。真央は何をお願いしたい?』


 僕はその声に目を開ける。ブラウン管の中に、君がいた。優しい顔で、こちらを覗き込んでいる。


「僕は、君に会いたいよ」


 そう言葉にしてみると、やっぱりアキに向けて言っているみたいで、恥ずかしくなる。


 この部屋が暗くてよかった。あがり症の僕が、赤く染まっているのはばれない。表情も見えづらいから、それもありがたかった。


 でも、じっと見つめ合う僕たちには、表情なんかなくても、心の内側を共有しているみたいで。


 そんな、繊細で、清涼な空間は、自然と体に馴染んでいくようで心地よかった。


 君は、久しぶりに笑った。疲れたような笑顔だった。


「じゃあ、一緒に探そうよ」


 アキはそう言って、僕に手を出す。


「約束をするときは、手を結ぶんだよ」


 相変わらず、不器用で、人との関わり方がずいぶん古風だなと思う。でも、僕は古いものが好きだ。思い出を思い出すことができるみたいで、なんだか安心する。それは鍵が閉まっているか確認するときの感覚に似ている。思い出をたまに振り返って、それで安心するんだ。


 僕は、そんなアキを焦らすみたいに悩んでいるふりをしていた。僕たちの隙間に佇む静寂を、ブラウン管から流れる、君の世界の音が埋める。


 僕は、久しぶりにアキに触れる。最後に触れたのはいつだっけ。もう、今では思い出せない。


 僕の掌に、アキの質量が載る。それは冷たくて、でも柔らかくて。海みたいだなと、見当違いなことを考えた。


「約束」


 と僕は言った。


「約束」


 とアキは言った。


『それじゃ、またね。真央』


 と君は言った。


 画面が青く染まって、僕たちの顔の色も変わる。それが何だか可笑しくて、二人で笑った。


 その日から、僕たちは君を探すことにした。

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