第三十八話 連理の枝
その通話は約十二分間続いた。内八割近くは最大音量でも聞き取れないぼそぼそとした音だったが、残りの二割は間違いなく有益な情報だった。
情報源になったのは犯人グループの一人とおぼしき男と運転手の会話。通話開始当初は微かにすら聞こえなかったのが、だんだんと声の元へと近づいていったのか後半になるにつれ明瞭になり、最後の二分間にはかなりはっきりと聞き取ることができた。
得られた情報は主に三つ。
【道中、パーキングエリアへの立ち寄りは一切行わない】
【同団体のバスの追い抜き追い越しは何があっても禁止】
【急ぐ必要はない。法定速度を遵守するように】
「ははは、どうだ、これが大人の通話継続力だ!」
「ずっと黙ってたのにあんたの技量は関係ねーだろ……」
奉司が冷やかに突っ込みを入れる中、ぼくらはこの情報の精査を始めていた。
『運転手さんの声』『けっこう若かったですね』『どのバスか特定できませんか』
「さすがに運転手さんの情報までは僕も知らないな」
「犯人っぽい男の声も聞き覚え、というより息継ぎの感じが最初の電話の人と似ている気がしました」
「えっ、亜月そんなの分かんの」
「あ、いえ、なんとなくそんな気がしただけで自信はないですが」
「本当だとしたらかなり有力じゃん。覚えといて損ないよ」
夕奈が言うように、もし亜月の識別が正しければかなり可能性の絞り込みが楽になる。修学旅行生の乗ったバスが身代金の受け渡し場所に辿り着くまでの間にジャックされたバスを特定できれば、やりようによっては犯人グループを一網打尽にできるかもしれない。
とはいうものの、あまり欲をかきたくはない。過去二回のセッションでも、メインの使命や役割をおろそかにして痛い目に遭ったプレイヤーを見てきた。あくまでぼくらの目的は内通者の特定。そこに繋がらない情報の深追いは、たとえ役に立つものだとしても注意を払わなければ。
『柊木さん』『お疲れですか?』
視界の横から玲生のメモパッドが差し込まれる。
『ずっと先頭に立ってくれているので』『無理されてるのではと』
「いや、このくらいは大丈夫。心配してくれてありがとう」
『:(』
なんだか不思議なコミュニケーションだった。飾らない文章なのに、気を遣われているのがありありと分かる。顔文字の部分はやっぱり意味があるのだろうかと思ってしまうが。
いつか玲生の秘密も聞かせてほしい、と心の中でつぶやきつつ、話し合いの席へと戻る。
「運転手と話しているだけあって内容は運行ルートについての指示だったね。帰り道もそう短くない距離だったと思うけど、どのくらいかかるんだっけ」
「出発地点の関係で、行きと比べると少し早い。おおよそ七時間くらいだと思うよ」
「それで寄り道もしないとなるとさらに早いかもしれませんね。でもパーキングエリアに立ち寄らないなんて可能なんでしょうか」
「亜月、それってどういう?」
「ええと、その」
亜月はあれこれと手を動かしながら言語化を始める。
「単純に休憩なしで身体がもつのかというのもあるんですけど、他のバスの追い抜き追い越しはしないというのと矛盾している、んじゃないかって」
やっぱり違いますかね、と申し訳なさそうに下を見る亜月。
「トイレだってよく考えたらバスの中にもあるでしょうし、別に休憩がなくたって連続走行も可能といえば可能でしょうし……」
「いや、ちょっと待って。矛盾しているっていうのをもっと詳しく」
「だから……バスジャックされている車両が仮に一台だけだったとしたら、他のバスがパーキングエリアに停まっているのにその一台だけ停まれないというのはおかしいと――」
「それだ」
違和感はあった。パーキングエリアに寄らないことと追い抜き追い越しはしないこと、確かにその二つは矛盾している、ように聞こえる。
もっと言えば、急がないようにという指示もそれ単体では運転手を落ち着かせる意味合いに聞こえるが、見方を変えれば減速は許可しているようにも捉えられる。
「雄星、バスの車両数と先頭のバスにはどのクラスが乗っているか確認することはできる?」
ぼくの問いを受けて、雄星は僅かな間の後にはっと表情を変えた。それから慌ただしく自分の鞄から修学旅行のしおりを取り出す。
「バスは全部で五台ある。走行中は割り振られた番号通りに並ぶと聞いているから……出発時点では一号車が先頭。だから乗車しているクラスはA組と、F組の一部!」
「やった!」
教室内に歓声が上がる。どのバスがジャックされたのか特定できた意味は大きい。
「あの、千明さん。どうして先頭がジャックされたバスだと……?」
発想のきっかけとなった亜月本人がまだ追いつけていないようだった。ぼくは答える。
「犯人の指示が矛盾しないパターンがそれしかないからだよ。バスが一台だけずっと走り続けないといけないなら、前のバスがパーキングエリアに移動した時点で追い抜きが発生してしまう。それを禁じているのだとすれば、先頭の一号車しかあり得ない」
もっと言えば三つの指示の主旨は『順番を乱さないこと』にある。停車しないぶん先頭は他のバスよりもずっと先に行ってしまうことになるが、過度に距離が開いてしまわないよう法定速度の遵守をわざわざ指示したのだろう。
今の説明で亜月は納得したようだけれど、実際はまだ確定とはいえない。あくまで三件目の電話で得られた情報が矛盾しないように並べた結果というだけであり、ひとつでも前提が崩れれば瓦解する綱渡りの仮説だ。そのうえ依然として五つの車両すべてがジャックされている可能性も消せていない。
そう、可能性だ。少しでも多くの想定を立てて、かき集めた情報で最適化していく。一発で正答を引き当てられるほど、ぼくは特別な人間じゃない。
「行方先生。さっき言いかけていたことがありましたよね」
「お前さんはよく気がつくな……ああ、緊急の職員会議での内容を共有しようと思ってたんだ」
「お願いします」
「まず、会議の直前と最中の計二回、犯人から電話があった。こういう誘拐事件の類いは要求を小出しにしてくるもんだ。会議直前の電話は、身代金の受け渡しを七宝高校の校庭で行うことを伝えてきた。そこで学校関係者以外の姿が見えたら学生の命はない、とご丁寧にも添えてな」
「会議の最中にあった電話は?」
「そう急かさなくても話すさ」
行方先生は顎をさすりながら、意識して話のペースを落とす。
「身代金受け渡しの場所を決めたら、次は渡し方だよな。最初に言っていたように要求する額は五億円。ただし――ひとつのバスごとに、だ」
「五億円かける五……二十五億ですか!?」
「小学生レベルの簡単な計算だ。だが、スケールはさらに大きくなったな」
当初に感じた危惧。要求が五億円に留まらなくなったとき、学園の態度が変わってしまわないかという不信感。
もしこの事件が後々明るみに出たとき、身代金の増額によって態度を変えたというような情報が出回ってしまったら学園の社会的信用は失墜するだろう。犯人グループはどれだけ金額を吊り上げても学園側が支払わざるを得ないことを知っている。
当然学園側も黙ってはいられない。何らかの方法を使って犯人の特定に動いているかもしれない――その確証を内通者に発見されたら、きっと取り返しのつかないことになる。
「まだ大事なことを聞いてねえぞ」
ぼくの不審を代弁するように、奉司が追及する。
「身代金二十五億、学園はちゃんと払うって言ったのか」
「……それに答える前に、先に聞いておきたい。君たちはその身代金がきちんと払われると思うか」
回答はなかった。けれど皆、考えていることは同じだと確信できる。
沈黙という回答に、行方先生は苦々しく息を吐いた。
「そうだよ、学園は『払うふりをする』つもりでいる。身代金を踏み倒してその場で実力行使する方針でいくと、理事長の鶴の一声で決まった」
実力行使の現行犯逮捕。すなわち、最もリスクのある選択肢を彼らは選んだ。
それはつまり、身代金の受け渡しまで進んでしまえば、同級生の命の保証がないことを示していた。
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