第三十六話 マーダーと言う勿れ
「おいおい、葬式やるのはまだ早くないか?」
不謹慎極まりない発言で教室の空気を一層重くさせた行方先生は、置きっぱなしにされたスマホを見ただけですべてを理解したような顔をした。
「なるほどな、自分らの手に負えないから諦めて投げたってか」
「あ?」
奉司が不快感を露わにしても、行方先生は煽りを止めるどころか憎たらしい笑みを浮かべる。
「そりゃあそうだ、バスジャックなんて
「黙れよ……」
「黙らねえよ。誰に口きいてんだ」
「てめえ……!」
立ち上がり行方先生に殴りかかろうとした奉司の肩を掴んで止めたのは玲生だった。彼は無言で首を横に振り、落ち着くよう訴えかける。言葉がなくとも奉司にはその手を振り払えるはずもなかった。
拳を下ろした奉司を侮るように、行方先生は鼻を鳴らす。
「お友達が止めてくれて良かったな。じゃなきゃお前さんも犯罪者の仲間入りだ」
「……クソが」
大きく動いてしまった机を元の位置に戻し、奉司が再び着席する。行方先生はやれやれと肩をすくめ、机上に並ぶスマホを眺めた。
「とはいえ妥当な判断だよ。本気でバスに乗ってる人間の心配をするなら警察に全部任せるべきだ。素人が裏目を引くほうがよっぽど危険ってもんだろうな」
だが、と行方先生は続ける。
「残念なお知らせだ。さっき職員室で緊急会議をしてな。学園の上層部も交えて対応の決議をおこなった」
「……それでどうなったんですか」
「警察には通報しない。身代金を含めすべて学園で対応する。それが決定事項だ」
言葉もなかった。頭の中をよぎったのは、三年前に見た友人の表情。
この学園の腐った構造をぼくは知っていたはずだった。閉鎖的な運営体制と、過度なまでの保守的思想。学内で起こった後ろ暗い出来事を平気で捻じ曲げ、事実とは異なる形で公表する。内部告発も金で揉み消し、教師の不祥事も都合が悪ければ故意に見逃す。
すべては彼女から聞いて知っていた。学園はいつも生徒の味方、というわけではない。いざとなれば生徒を見捨てることさえ厭わず、それで起きた問題は金銭で解決する。これまでもずっとそうしてきた、これからもそうするのだろう、と。
ぼくは忘れていた。自分の力だけではどうしようもないことから目を背けるために。
でも、だから今回こそは、動こうと思ったんじゃないか。
「行方先生」
ぼくは立ち上がる。
「警察に通報しないということは、バスジャック犯を逮捕することもしないんですよね」
「そうなるな」
「でも、バスジャック犯と繋がっている内通者を見つけ出して自首させれば、その実行犯だって捕まえられますよね」
教室の中がざわつく。滞留して濁った空気が、再び流れ始める。
「警察に任せれば、いつかは捕まえられるだろうな。内通者が証言するなら、まず間違いなく」
「だったら、ぼくらにもまだできることがある」
いや――そうじゃないな。
これはきっと、ぼくらにしかできないことだ。
「雄星、亜月、ごめん」
ぼくは二人のほうを向いて言う。
「さっき言ってくれたことはぼくも一理あると思う。内通者がいないっていうのも、この中に犯罪に加担するような人なんていないと思っているからこそ言えたんだって理解してる。そのうえで、ぼくはその意見に反対する」
「千明さん……どうして?」
亜月の問いは理屈と感情、両方の疑念を孕んでいた。
「行方先生もさっき言っていたように、バスジャックなんて今日日誰もやらない。まず成功率が限りなく低いだろうし、どうせ犯罪に手を染めるなら他にもっとリスクに見合った犯罪に及ぶ方が割が良い。じゃあなんでバスジャックは起きたかといえば、ある程度以上の勝算があり、リスクに合うリターンが得られるからだ」
合理的な犯行計画のもと、この事件は起こった。であればそのための仕込みは必ず行われているはず。
「まず私立七宝高校の修学旅行バスを狙ったことが意図的である証拠だ。七宝学園は規模が大きいうえに秘密主義的な運営なのが社会にもバレてる。警察に頼ったり事件化して大事になったら困る……だから学園だけで対応してくるかもしれないと、そこに可能性を見出した」
「だけど、そんなの絶対じゃないでしょう。警察に通報しないなら成功率はぐんと上がるでしょうけど、通報されたらもうそこで――」
亜月が途中で言葉を失う。ぼくはただ頷く。
「そう。だからこの計画には内通者が必要なんだ。準備段階で旅程を把握し、身代金の交渉で学園がどんな反応をするか都度確認して実行犯に伝える役割の担い手が。そしてそれは、修学旅行に参加していない二年生が最も適している」
「だとしても」
苦渋の表情で雄星は言った。
「君はこれから犯人捜しを始めようとしてるんだぞ。それこそここにいる全員が警察に出頭して取り調べを受けるとか、学園が身代金を払うのを気にしないなら他にも方法はあるじゃないか。どうして結論を急ぐんだ」
「そんなの、今更だよ」
ぼくは最初から聞かされている。この中にひとり、犯罪に加担する人間がいると。そのうえで二日間、一緒に騙し合いのゲームに興じてきた。それらのシナリオや設定は示唆的で、今となってはあらゆる経緯が意味を持っていたことに気づいている。
けれど、敢えてぼくは露悪的な言葉を選ぶ――捻くれた、行方先生のように。
「前々から、やってみたかったんだ。犯人捜しの探偵役ってやつをさ」
「…………ふふっ」
聞き覚えのある笑い声がした。けれどそれは高校でではなく、中学生の頃に数えるくらいしか聞いたことのない、懐かしい笑い声。
「やっぱりそうでなくっちゃね、柊木は」
理香が姿を見せたのはほんの一瞬だった。その後すぐに理香はひめりへと雰囲気を転化させる。ひょっとしたらもう会うことはないのかもしれないとさえ思う、そんな切り替わり方だった。
「ひめりは千明ンに賛成するよ。学校が皆の安全を第一に考えてくれないんだったら、残ったひめりたちが動くしかないと思うな」
「鹿野さん、あなたまで――」
亜月が声を上げるのとほぼ同時に、奉司、夕奈、玲生の三人が続々と手を挙げる。
「オレも千明に賛成だ。何もしないで黙っては見てらんねえよ」
「うちも同じこと考えてた。ま、そこまでしっかり推理はできてなかったけど」
『自分も協力させてください』『誰が内通者でも』『恨みっこなしで』
「それはちょっと無理があるだろ。ゲームみたいにゃいかねーって」
『冗談だよ』『けどそのくらい』『皆のことを信じてるから』
「……ああ、そうだな」
「禍根とか残したくないしね。やるならやるで、すっきり終わらせよう」
机の下、彼らから見えない位置にある自分の膝が震えている。正直、こんなに支持が集まるなんて思いもしなかった。多数決を考えるまでもなく、誰も賛同しないのならぼくひとりでもやってやるつもりだったから。
だけど、皆が協力してくれるなら――もう心細い思いをすることもない。
「行方先生。お願いしたいことがあります」
「おう、なんだ?」
「これから始める内通者捜しの立会人になってもらえますか」
「立会人、ねえ」
くつくつと、愉快そうに先生は笑う。
「持って回った言い方はいらねえよ。素直に
「じゃあそれで」
呼び方はなんだっていい。この期に及んでマダミスにこだわりたいというなら、形式なんて好きにすればいいと思う。
ただ、この
それがぼくの決めた、ぼくの
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