第三十五話 TRPG


 非通知着信。それでも躊躇なく受話操作をする奉司。


 皆が固唾を呑む中、ハンズフリー設定をして、そっと机の上にスマホを置く。


 前回と異なっていたのは車の駆動音が聞こえてこないこと。代わりに布を擦るような音が断続的に発せられている。


 人の声が遠くから入ってくる。どうやら会話しているようだ。ひとつ、ふたつ、みっつ。詳細な声色までは判別できないが、やり取りのペースからして三人以上はその会話に参加しているように聞こえた。その中に前回の喚声を上げた人物が混じっているかどうかまでは判別できない。


 さらに耳を澄ませる。奉司はスピーカーの音量を最大にまで上げたが、電話の向こう側にある会話の声が近づくわけでもない。ただし、不明瞭ながらも個々の声の高低が聞き分けられる程度にはっきりしてくる。


 もう少し近ければ会話の内容も聞き取れるかもしれない――そんな希望が芽生え始めたところで、唐突に電話は切断されてしまった。


「……切れちまったか」


 奉司は深く息を吐く。一度目の着信よりは冷静さを保てたとはいえ、この瞬間にも彼は人一倍憤りを感じているのだろう。


「だがこれで、千明だけに電話がかかってくるわけじゃねえって分かったな」


 はっきりと断言する奉司。そしてぼくのほうに目配せをし、にいっと口角を上げた。


 たったそれだけのことで、ぼくの胸は俄かに熱くなる。


「逆に分からんことが増えたとも言えるけど」


 夕奈の指先がとんとんと机の上でリズムを刻む。


「どこから電話をかけてきてるのか。誰が電話をかけてるのか。一件目と二件目の状況は同じか。どうして何も喋ってくれないのか。ぱっと挙げただけでもこんなにある」

「ひとつずつ考えていこう。ぼくらならできるはず」

「だね。今までもそうやってきたんだし」


 おそらく、この騒動の背景にある作為には皆が気づいている。不謹慎ゆえに誰も明言はしていないものの、ここまで偶然が重なれば嫌でも想起せざるを得ないはずだ。


 第一セッションは観光地で生徒と教師の失踪事件。


 第二セッションは宿泊先で村民ぐるみの誘拐事件。


 そして現在は、電話越しに覗くバスジャック事件。


 架空の二つの事件が現実の事件と重なったとき、見えてくるものがある。それは可能性の欠片であり、その裏付けを図ることで真実への補助線となる、かもしれない。自信がないのはそれらがあまりにも出来すぎているからだ。


 出来すぎていては、疑惑が確信になってしまうからだ。


「今回は車の音が聞こえてこなかったねー」


 ひめりの発言に端を発し、情報の整理が試みられる。


「車に乗っていない、とも限らないよね。そもそも電話中に車の音なんて聞こえてくるものだっけ?」

「言われてみればイメージないね。ノイズキャンセリング機能で電話口のそういう雑音は自然と消されることもあるだろうし」

「オレはそういうのよく分かんねーぞ。機能とか見ずにスマホ選んだし」

「ぼくのスマホはけっこう古いから、そういう機能がなくてもおかしくないかも」

「つまりあんまりアテにはならないってことかなー」


 ばっさりと切り捨てて話を進めるひめり。


「発信してる人も不明かー。声を出せるような状況じゃないのは察せるけど、モールス信号とか声以外の伝え方もあると思うんだけど」

「いやいや、普通の人はモールス信号とかできないから」

「……そーなんだ。てっきり皆できるものだと」

「本気トーンじゃん。このゆるふわ怖」


 時々顔を出すひめりの素(らしきもの)に、こっちのほうがひやひやさせられる。その後にひめりから送られてきた一瞬の視線も氷柱のように鋭い。


「えーと、あとなんだっけ? 千明ン」

「一件目と二件目の状況の違いだね。同じ人がかけてきたのか、そもそも同じバスの中なのか……こっちから乗員の誰かに連絡して確認が取れればいいんだけど」

「リスクは高い、か」


 バスジャック犯を刺激するような行為は避けたい。なるべく今ある情報の継ぎ合わせで現状を把握したいが、これだけ情報が少ないとリスクのある手段も選びたくなってしまう。


 自然に考えれば両方とも非通知設定である以上同じ端末からの発信ではないかと思うが、もちろんそんな確証はない。一件目と二件目が同一車両から発信されているかどうかも確認しようがない。


「電話の主がひと言も喋れなくて、電話をかけるので精一杯な状況だ。こっちからの連絡が難しいどころか、スマホが鳴っただけでも危ないかもしれない」


 雄星の言う通りだ。一件目の音声から推測するなら、それ以前に乗員全員にスマホを差し出すよう命令していたとしても不思議じゃない。そうして外部への連絡手段を奪った後に、スマホを隠し持っていた誰かがまた外部に連絡した。二件目が早々に通話が切れてしまったのも、バスジャック犯に発覚するのを恐れたためと考えれば筋が通る。


 何より心配なのは、そのような状況下にいる乗員の心理的負担だ。楽しいはずの修学旅行が最後の最後にこんなことになるなんて、誰にも想像できなかっただろう。


 でも、事件は起きてしまった。ここに残ったぼくらの使命は、彼らのSOSを読み取って無事に全員帰ってこれるよう努めること――


「あの、すみません」


 亜月がおずおずと手を挙げる。


「さっきから皆さん、バスジャックそのものをどうこうしようとしてますよね。それって私たちには荷が重すぎると思うんですけど……」


 沈黙。


「やっぱり今のナシでお願いします」

「いや、九条さんの言うことはもっともだよ」


 雄星がフォローを入れる。


「これはゲームじゃない。れっきとした犯罪、現実に起こっている事件だ。ただ居残っているだけの僕らには荷が重い。できることといえば、せいぜいスマホを先生に預けてこの部屋に留まることだけだと思う」


 それは、この場の誰かが気づいて言わなければならないことだった。


 今起こっているのは現実の犯罪。架空の出来事じゃない。たとえバスの中で誰かが助けを求めているとしても、学生で素人のぼくらが救わなくてはいけないと定められたわけでもない。


「九条さんは内通者を捜そうと言っただけ。その内通者も、スマホをこうして相互に監視できる状態ではどうすることもできない。現に行方先生も、職員室に報告に行ったきり戻ってこないじゃないか。それって内通者の存在を現実的に見ていないってことだろう?」


 誰も雄星の意見に反論しなかった。ぼくを含め、皆我に返ってしまったのだ。


 いちいち想像するまでもなく、バスジャックは凶悪な犯罪だ。何人もの命が脅かされ、関係者が高額な身代金を要求されている。すぐに警察を頼ることもできず、今頃職員室では対応が議論されている。こうしている間にも生徒や先生が見せしめに遭っているかもしれないのに。


 だから自分たちでどうにかできないかと考えた。少しでも多くの情報を繋がった電話から引き出そうとした。それが徐々にエスカレートして、ぼくらが事件を解決するんだという使命感が滲み出てしまった。


 これはゲームじゃない。


 机上の世界で遊ぶ時間は、もう終わったのだ。


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