第三十三話 犯罪リアリティショー
恐れていた事態が起こってしまった。
予測が立ったのは昨日、行方先生と会話の中でだった。犯罪に加担しているとされる生徒――被疑者が七人の中に混じっているという確信の根拠をぼくは推し測ろうとした。
まず前提として、被疑者を意図して居残り組に加えるのは不可能だ。各々が自身の事情により不参加を決めているのだから、その意思を誘導して疑いのある生徒だけを学校に残しておくことはできない。
ならばなぜ被疑者が居残り組の中にいると確信できるのか。
理由はシンプル。居残ることそれ自体が、犯罪グループにおける被疑者の役割だからだ。
行方先生は何らかの犯罪が起こることを事前に知っていて泳がせていた――犯罪が起こることで、被疑者の犯罪への関与を確実に認めさせようとしている。現場証拠さえ押さえてしまえば、被疑者はどうあっても言い逃れができなくなる。
だがこの仮説が正しければ、行方先生は少なくとも正義の味方とは呼べないだろう。犯罪を未然に防ぐのではなく、起こさせたうえで一網打尽にしようと画策したのだから。
ぼくから見れば、諜報員も犯罪に加担しているのとそう変わらない。
「今ある情報を整理するぞ」
行方先生は軽く咳払いをした後、概況の説明を始める。
「職員室に最初の電話があったのは午前八時二十五分。ちょうど雄星が職員室を出た後だったな。それまでは騒ぎもなくいつも通りの朝だった。職員朝礼も滞りなく終わっていたから、教員もまばらにしか残っていなかった。俺も出ようと思ったとき、電話が鳴った。それがバスジャック犯からの犯行通告だったわけだ」
「質問いいですか」
挙手したのは亜月だった。
「当たり前のことで恐縮なんですけど……まず最初に警察へは通報したんですよね?」
「していない」
「どうしてですか!」
「理由は二つ。バスジャック犯の要求には警察へ通報しないことが含まれていたからだ。仮にこれを無視し通報したことがバレれば生徒に危険が及ぶのは免れないだろう」
バスジャック犯と内通している人物が学内に居るなら詰み。内通者の存在が既に示唆されている状況ではなおのこと、要求には従わざるを得ない。
「もうひとつの理由は、七宝学園そのものが警察との相性が悪いというのがある。過去にも何度かお世話になっている手前、都合良く助けてもらおうとはならない。どうしても大人の事情ってやつが発生する」
「そんな理由で……」
「君はそう思うかもしれんが、世の中っつーのは往々にしてそういう政治で回ってんだよ」
亜月は愕然とした様子で両手のひらを口に当てる。頼りの国家権力に頼れない状況というのが信じられないのだろう。
だが一つ目の理由はともかく、二つ目の理由は他のメンバーも薄々勘づいていたように思う。七宝学園の黒い噂に触れずに今まで来れるとすれば、余程人を疑うことを知らないか友達がいないかのどちらかだ。
「話を戻すぞ。バスジャック犯の要求は身代金を五億円用意することと、警察をはじめ公的機関に通報しないこと。どちらか一方でも誓約できないのなら乗客の数を半分にすると」
「そいつらが適当なこと言ってる可能性はねえのか?」
「電話を取った教頭が生徒らしき声を聞いている。その場にいた教員複数人が声を確認したが、おそらく二年の生徒で間違いないだろうと言っていた。ひとまず信憑性はある」
「マジか……」
奉司もいよいよ現状を信じるしかなくなっていた。憤りと不信感とが綯い交ぜになった視線が行き場を失って地に落ちる。
「なんでこんなことになンだよ……あいつらは何もしてないだろ」
「そうだな、彼らは巻き込まれただけだ。罪もないのに命を脅かされている」
行方先生の悔やむような表情。ぼくはそれを額面通りに受け取っていいのか判断しかねていた。
彼らを巻き込んだのはあなたじゃないのか。あなたが最初から、危険を告げていれば。
「犯人は電話を切る前、また一時間から二時間後に連絡すると言っていた。はっきりと指定しなかったのはこちらの判断を乱しつつ速やかに準備をさせるためだろう。一筋縄ではいかない相手だというのが分かる」
行方先生の話を聞く限り、学園側は身代金を払うつもりだろう。生徒たちの身を案じるなら五億円など安いもの。少なくとも外面としてはそう言うに違いない。
ただそれも、五億円で済むならば――の話だろうが。
「俺からの情報は以上だ。次は柊木、君が話せ」
「はい」
ご指名が入り、その場で立ったぼくを皆が見る。その視線はマダミスを始める前とも、マダミスの最中とも違った色合いを帯びていた。
「電話がかかってきたのは午前九時を過ぎたあたりで、発信者は非通知でした。学内での許可を得ていない電子端末の使用は原則として禁止ですから、最初は取らずに置いておくつもりでしたが」
ちらっと行方先生に目配せする。先生は即座に意図を理解し、頷く。
「非常事態だ。校則違反には目を瞑る。他の者にも着信が来たときのために俺が使用を許可する」
「……ぼくも非常事態だと判断して電話を取りました。そしてその電話の内容は――」
車内の音。端末の落下と、滑落。そして成人男性の喚き声。
「――おそらくはあの声がバスジャックの実行犯だと思われます。聞こえたのは一人分でしたが、大型バスを占拠するのならもっと仲間がいるはず」
「それは君の推測だな」
「はい」
「自分の意見を言うこと自体は大いに結構だが、場面によっては気をつけたほうがいい」
咎めるような言い方に違和感を覚え、周囲を見回す。
ぼくに集まっていたのは、懐疑の視線だった。
「情報の少ない今、君のように
「それは」
それはあんたが指名したからだろうが――と言える立場ならまだ良かった。
皆の目に今のぼくはこう映っている――唯一の
「……とか、そういう疑心暗鬼を生むような発言は控えるようにしてほしい」
「ハハッ、それってセンセのことでしょ?」
扇動の責任を転嫁する行方先生に、ひめりが食ってかかる。
「今って人の命がかかってるんだよね? なのにセンセだけ妙に楽しそうなもんだから、ひょっとしてバスジャック犯の人たちと仲良しなのかなって思っちゃったよ」
行方先生は言葉を返さない。否定が得にならないことを理解しているからだ。
では使命を同じくするはずの諜報員が衝突する理由は? 対立の構図を見せることで残りの面々の思考を二極化させようとしている? それでどんな得が生まれる?
――違う。もっと狙いはシンプルだ。
行方先生もひめりも表面化させたいのは、この中に潜む内通者の存在に他ならない。
内通者はバスジャック犯と繋がり、こちらの動向を監視している。
諜報員は内通者を暴くため、大局を俯瞰し議論に指向性を加える。
そしてぼくは彼らの存在を認知しながら、内通者を突き止めるために助力する。
それぞれが秘められた使命を持ち、他者を欺きながら秘密を暴くこの構図はまるで――
ぼくらが今までやってきた、騙し合いのゲームそのものじゃないか。
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