第三十二話 最後のシナリオ


 一限目の予鈴が鳴った頃、雄星と亜月は同時に教室へ到着した。どちらもそれぞれ別件で職員室に呼び出されていたらしく、雄星は今後の部活、亜月は週末の外部模試に関しての話だったと語った。


「僕は先に行ってくれって言ったんだけどな」

「私だって肩を貸すって言ったでしょう。少しくらい頼ってくださいよ」


 渋々といった様子の雄星と胸を張る亜月の対比がなんともいえないと思いつつ、彼らの到着を契機にそれぞれが自分の席へと着いていくのをぼんやりと眺める。


 長い四日間だった。顔見知り程度でしかない生徒が集まった、初日のぎこちない空気が遠い昔のように思える。二日目に行方先生が現れ、ぼくらにゲームへの参加を強制したことであらゆるものが変化の渦に巻き込まれた。否応なしに議論のテーブルに着かされ、イニシアチブを得るために関係性を構築した。


 論理的思考と信頼、嘘と騙し合いを経て、今ではクラスメイトよりも互いをよく知っているような気さえしている。こんな状況になるなんて、この場の誰が予想しただろう――いや、ひめりは例外だとして。


 ひめりは最初からこの状況を狙っていたのだろうか。親交を深めるためのレクリエーションなんてのは常套手段だ。けれど最初から打ち解けるためのゲームだったと明かしていれば、ここまで真剣には取り組んでいなかった。ぼくらにそういった欲求も理由も存在せず、だからこそ脅迫という形をとった。犯罪への関与が疑われる一名をここから逃さないため、全員を参加させる必要があったからだ。


 もっといえば、このゲームに『間違った若者』を炙り出す意図があると気取られてはならなかった。ゆえに行方先生が握った秘密は『犯罪に関与している』という事実に繋がらない・・・・・もののはずで――そんな器用なことができるなら、とっくに誰がクロなのか分かっているはずなのだ。


 行方先生が作ろうとしている状況は、単に『間違った若者』を捕らえることだけが目的じゃない。あの人が求めるのはもっと踏み込んだ、より正しい方向への到達。それを成し遂げる――成し遂げさせるために、彼はここまで複雑なゲームを用意する必要があったのだ。


 そして、そのゲームはまだ最後のセッションを残している。


 いったいどんなシナリオがぼくらを待ち受けて――


「ん?」


 微かな振動を感じ、ぼくは鞄のファスナーを開く。手を入れて探り、振動のもとになったスマホを取り出した。


「おや、千明サン。スマホの許可なき持ち込みは校則違反ぞ?」


 夕奈が横から覗き込んでくるのも構わず、画面に映る文字を眺める。


「非通知着信だ」

「へえ、誰から?」

「だから非通知着信だって」

「取ってみれば分かるでしょうよ」 

「他人事だと思って……」


 時計は九時を回っている。しかしまだ行方先生が来る気配はない。


 ボタンを押し、スピーカーに耳を当てる。


「もしもし」


 返事はない。だが物音が聞こえる。ゴウンゴウンと、車中にいるような音。


 いたずら電話だろうか。いや、何か妙な気配がする。通話を切ってはいけないと直感で判断する。


「なに、どしたん千明」


 怪訝な表情へ変わっていく夕奈に、ぼくは口元に人差し指を当てて静かにするようにと伝える。そこから周囲のメンバーにも状況が伝播していく。


 電話の向こうで何が起きているのか。耳を澄ませても聞こえるのは車の駆動音のみ。電話をかけてきた相手の声はおろか息遣いすら聞こえてこない。


 明らかな異常。


 ぼくだけでは心許ない。皆にも通話音声を聞いてもらおうと通話モードをハンズフリーに切り替えた、その直後だった。


 ガタンッ、と硬いものが落ちる大きな音。


 続いてザリザリ、と砂利の斜面を滑り落ちるような音。


 それから一拍置いて、大人の男性の喚くような声が数秒続き――電話は切断された。


「…………」


 この場にいる全員が言葉を失っていた。何かのいたずらにしては趣味の悪い一連の音声は、沈黙とともに仄暗い不安感を運んでくる。理解がいつまでも追いつかず、気味の悪い喚声が耳の中で残響していた。


「千明」


 雄星が青ざめた顔で言葉を発する。


「今のはなんだったんだ。電話の主は?」

「分からない。表示は非通知着信だった」

「でも君の連絡先は知っていたんだろう。じゃあ誰なのか候補は絞れるはずだ」

「候補って言っても……」


 そうすぐに絞れるものじゃない。電話番号は連絡先交換以外にも様々な用途に使われる。七宝高ではスマホの持ち込み申請を行うときに電話番号の登録が義務化されているし、食堂や購買で扱う電子マネーの会員登録にも使用した。その番号が自分の関知しないところで共有されている可能性も加味すれば、絞り込むこと自体が現実的でなくなる。


「千明、聞いてくれ」


 雄星は努めて冷静に、だが深刻さを滲ませた表情で告げる。


「あの喚き声、向こうは間違いなくまともな状況じゃない。誰かのいたずらならいいけれど、もしもそうじゃなかったら本当にまずいかもしれない」

「まずいって、何がだよ……」


 奉司の乾いた声に雄星は答えない。ただぼくの手放したスマホに視線を落としている。


「おい……なんか言えよ雄星……いたずらじゃなけりゃなんだって言うんだよ!」

「奉司、やめな」


 夕奈の制止にも構わず奉司は立ち上がる。


「てめえほど頭良くないオレでもわかる。さっきの電話は車ン中からかけてきてる。それもスマホが滑るくらいの傾斜とスペースのある車だ。たとえば、大型バスとかな」


 ごくり、と誰かが生唾を呑む音が聞こえた。


 奉司の見立てはおそらく正しい。音に限られた数少ない情報から推測できるものとしては最も信憑性が高い推理だ。


 けれど真の問題は、そこから連想される最悪の可能性。


「お、大型バスって……」


 亜月が震える腕を抑えながら慄く。


「まるで、その電話が修学旅行から帰ってくる皆を乗せたバスからかかってきてるみたいじゃないですか……!」

「ご明察」


 不意を打つように挟まったのは行方先生の声だった。彼はその軽薄な口ぶりとは裏腹に深刻な表情で教室の入り口に立っていた。


「先生! いったい何が――」

「落ち着け。今から説明する」


 注意深く教室の外を確認してから戸を閉め、行方先生はこれまでと同じように教壇に上がる。そう変わらないように意識していることが、逆に事の深刻さを表現しているようでもあった。


「さっき職員室に外部から電話がかかってきてな。修学旅行中の生徒たちが現在進行形でお世話になっている人たちで、ご丁寧にも学校に直接連絡をくださった。彼ら曰く『おたくの生徒は預かった。返してほしくばこちらの要求に従い、身代金を用意しろ』だとさ」

「それってつまり」

「ああ」


 最悪の可能性が的中する。


「平たく言えば、バスジャックだ」

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