第二十二話 うそつき


 今から三年ほど前の話だ。


 何の変哲もないぼくには何の変哲もない友達がいた。彼女はごく普通の女の子で、特筆することがないくらい真面目で素直だった。彼女自身もその普通さを気にしていたらしく、たびたび自分は個性がないからと卑下するような言葉もこぼしていた。


 個性とはなんだろう。ぼくは時々彼女に尋ねた。彼女は平均より優れている部分だと答えた。平均は曖昧なものだけれど、自分である程度基準として決めることはできる。その基準より優れていなければ個性とは言えない、と。


 真面目な彼女らしい答えだと思った。その彼女らしさこそ、彼女の個性だとしてはいけないのかとも思った。


 そう思っていても口に出せなかったのは、ぼくらの通っていた学校が旧学制から続く一貫校だったからだ。ここでは真面目さなんてものを評価する項目はなく、定期考査の点数からなる成績がすべてだった。そしてその成績は、在籍年数が長いほど高く評価されやすい。


 ぼくと彼女は中学からの中途入学組だった。小中高が分校化して久しいにもかかわらず、未だに中等部と呼ばれるほどこの学校は旧来の風習に支配されている。そんな学校で中途入学の生徒が受ける待遇は、初等部から学費を納めてきた家庭の生徒よりも目に見えて低い。


 中途入学組は優秀でなければならなかった。入学試験に合格しただけでも相応の能力が認められているはずなのに、入学後も能力を証明し続けなければいけない。初等部からの内部進学組との格差を埋めるために。


 そんな環境に居続けていれば、どこかがゆっくりと狂っていく。


 彼女は真面目だった。競争の激しい定期考査の成績上位者掲示には毎回名前が載っていたし、それを鼻にかけるような発言も一度として聞いたことがなかった。前回より順位が上がっても決して奢らないが、少しでも順位が下がった翌日には必ず目を真っ赤に腫らしていた。そして毎回決まりごとのように言う。「次はもっと頑張らないと」と。


 このままでは壊れてしまう、と思った。今より順位が上がって、一位になる日が来たとしても、きっと彼女は頑なに一位を維持し続けようとするだろう。それがどんなに無茶なことかは、この学校の定期考査を受ける者なら誰にでもわかる。とりわけ、何の後ろ盾も持たない中途入学組には。


 当時、学内で囁かれている噂があった。「成績上位に入る生徒の多くは内部進学生だ。そして考査で出題される問題には、その分野を専攻する大学生ですら簡単には解けないような難問が含まれている。巧妙に組み込まれたその難問は、不思議なことに内部進学生の中でもごく限られた層にのみ解くことができる」というものだ。


 その噂の意味が理解できないほどぼくらは純朴ではなかった。でもそれを真に受けてしまうくらいに彼女は真面目で、追い詰められていた。


 夏休み明けの考査で、初めて彼女は成績上位者のリストからこぼれ落ちる。


 今でも思う――もしもあのとき、ぼくが何か行動していれば、あんな事件は起きずに済んだかもしれないのに。




「――調査フェーズ一巡目は以上で終わりだ。他のチームの調査が終わるまではこの教室で待機していろ。それと……鹿野、お前さんはもうちょっと手加減すべきだな」

「えー?」


 居たたまれないような顔色の行方先生に、ひめりはとぼけた声で返す。


 Aチームの調査はひめりの一存で進行した。ぼくが秘匿HOを共有しなかったことで、ひめりは逆にぼくの使命を考慮せずに済んでいる。それをメリットとして捉え、ぼくのPCを存在しないもののようにして調査を進めたのだ。


 調査する場所を選択し、対応するHOを獲得する。ペアを組んでいる以上、得られる情報量は同じ。その内容の活用は、開示していない秘匿HOがある分ぼくのほうに利がある。


 なのにまったく有利である気がしない。むしろハンデを貰ってもぼくが何もできないことを思い知らされているようだった。


 これで手加減? なら本気でやれば彼女はどれだけ――


「顔色が悪いな、柊木」


 いつになく真剣な表情で行方先生は言った。


「つらかったら無理はするな。体調管理も実力のうち、なんてくだらないことは言わないから、どうしても我慢できなくなったら保健室に行くといい」

「大袈裟ですよ、先生」


 ぼくは薄い笑みを作って返す。


「それに、途中で放り出すほうが真相が気になって体調を崩してしまいそうです」

「……責任感で言ってるなら、俺は責めないぞ」

「ぼくがいつ責任を感じてるって言いました?」


 焦点が合わない。行方先生の顔が霞んで見える。


「ただ後悔したくないだけです。だから続けさせてください」

「……分かった。好きにしろ」


 行方先生はファイルをまとめ、また足早に教室を去っていった。これまでの彼の態度からすれば生徒の体調不良なんて見て見ぬふりをしそうなものだったけれど、思いのほか手厚いというか、正直肩透かしを食らったような気分にさせられる。


「センセも煮え切らないなぁ」


 そういうとこが嫌いになれないんだけど、とひめりはつぶやく。


「君は、あの先生のことが好きなんじゃないの?」

「あー、うん、そだねー」


 誤魔化すように目を逸らす。というか、あからさまに誤魔化していた。


「おかしいと思ったんだ。行方先生がいる前でぼくのことを責めるような言い方をするなんて、今までの君ならしないはずだったから」


 好いている相手が聞いているのに、あんな詰め寄るような物言いをするだろうか。あるいはひめりなら気にせずするかもしれないと思っていたけれど、今の反応で疑惑は確信に変わった。


「まぁぶっちゃけ、好きか嫌いかでいえばどっちでもないかなー」


 あっさりとした白状のわりには白黒つかない回答だった。


「そういう軸であの人とのことを測る段階はとっくに過ぎちゃったっていうか。すごーく端的に言えば、小中高大ずっと一緒の腐れ縁みたいな」

「君まだ高校生でしょ」


 思わず素で突っ込んでしまった。


「それだけ親密ってことなんだね」

「親密かー。それもそれでなんだかむず痒くなっちゃうけど」


 少しずつひめりの本音が見えてきた気がする。わざと見せられているような気がしないわけでもないが、それでも重要な糸口だ。


 どちらにせよぼくは、鹿野ひめりが何を知っているかを知らなくてはならない。


「行方先生は何者なの?」


 なるべく率直にぶつける。どうとでも返せばいいけれど、有耶無耶にするようなら問い質す。行方先生と親しいひめりなら、彼の全貌とはいかなくとも一部の事情を知っているはずという読みだった。


「しがないフリーランサー」


 ひめりは水面のように静かな表情で、答える。


「あるときは教員、あるときは会社員、またあるときは警備員。いろんな職を転々としては所属した組織の内部情報を白日の下に晒す、正義の諜報員」

「……それ、本気で言ってる?」

「正義の、以外は全部本気だよ」


 嘘かどうかを見抜く能力はぼくにはない。ひとまずは信じるところからしか、ぼくは始められない。


「そんな諜報員がどうしてこの学校に?」

「学校側に雇われたからだよ。ある生徒を監視するためにね」

「ある生徒って?」

「千明ンなら考えればすぐに分かるよ」


 いくつかの名前を思い浮かべる。ぼくなら分かる、か。


「あの人がただの先生じゃないことは分かった。でもどうして彼はぼくらにマダミスなんてものをさせているの?」

「さぁ? センセなりの気遣いなんでしょ、たぶん」


 もはやひめりからは行方先生への憧憬は感じられない。そういうふうに演じることで得られていた優位性は、ぼくの前ではもう要らないということだろう。


 なんだよ。ひめりだって他人のことを言えないじゃないか。


「今、君だって他人のこと言えないって思ったでしょ」


 図星を突かれ、繕うこともできないぼくを見てひめりは笑った。


「そーなの、ひめりも君と同じ嘘つきなの。本当の自分は見せられないから、なるべく良さげなガワを作って身にまとう。たとえ嘘でも嘘だとバレなきゃ本当と同じだもんね」


 でもそれって普通のことでしょう? とひめりは続ける。


「さっきはごめんね、責めるような言い方になっちゃって。途中から自分のことと混ざってちょっとだけ感情的になっちゃったんだよ。できれば痛み分けってことで許してほしいな」

「……そもそも怒ってない」


 驚いていただけだ。あんなふうに言われるのは初めてだったから。


 信頼を失うことが怖い。正体を知られることが怖い。そんなことを考えているのは自分だけだと思っていた。多くの他人はありのままに生きていて、自分を繕うのは能力が低い証拠だと、そう考えていた。


 だからひめりに糾弾されたとき、ぼくは期待してしまったんだ。


 この闇を抜ける方法を、知っているんじゃないかって。


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