第二十一話 からっぽの箱


 ぼくは首を縦に振った。でも無条件にというわけではない。


 ひめりの使命は任意のPCを生贄に捧げること。生贄に捧げるとはすなわちPCの消失ロストを指す。消えてしまったPCは以後プレイヤーが操作することができない。つまりシナリオに関与することができず、調査の手数が減ってしまうのだ。


 仮にぼくのPCが消失した場合、ひめりが村側の人間であることを他のメンバーに伝えることは不可能になる。ガイドブックには早期に消失したPCのプレイヤーはまた別のPCを貰って途中からシナリオに参加することもできるが、その場合前回のPCで知り得た情報を共有するのはルール違反とあった。したがって故意の消失では状況は好転しない。


 ならばぼくの考えるべきことはふたつ。今のPCで、いかにひめりの持つ情報を逆利用するか。そして次に他のメンバーと合流するまでどう生き延びるかだ。


 幸いひめりは当面の間、ぼくを生贄として用いるつもりはないらしい。来たるべき時が来れば可能な限り班員を生贄とするとはいえ、数を減らせば自分の正体が暴かれるリスクも高まる。それよりは生きた手駒として扱ったほうがいいという判断だろう。


 賢明だ。賢明すぎて、やはりぼくの知るひめりではないように感じる。


 それとも、ぼくがひめりのことをまるで知らないだけなのか?


「ねー千明ン。もっと欲張ってもいいんだよ?」


 ぼくの提示した協力の条件に、ひめりは半信半疑のようだった。


「千明ンの秘匿HOの開示は求めないこと。生贄にする対象は二人で話し合って決めること。それだけで千明ンの力を借りられるのはお買い得すぎるよ」

「お買い得ならいいんじゃないか」

「裏があるって思っちゃうよー」


 あるに決まっているだろう。君だって承知しているくせに。


 半ば脅しの体をとっているものの、ひめりからすれば秘匿HOの漏洩という大きなリスクを背負って交渉しているのだ。裏があるならなるべく明らかにしておきたいだろうし、リスクを看過できなくなってぼくのPCを消失させざるを得なくなるのは惜しいはず。


 ひめりのCO時点で有利なのはぼくの側だった。だからこそ交渉の余地があり、ぼくは一方的に強い制約をひめりに課すことができたのだが、その交換条件が思いのほか緩いため、ひめりは裏を読まなくてはいけなくなった。


 計り知れなさを残してある限り、ひめりはぼくとの協調に慎重にならざるを得ない――それこそがぼくの目的だと、気づかれるまでは時間稼ぎとして機能し続ける。


 結局だ。またぼくは自分を誇大して見せ続けなくてはならない。


「そろそろいいか?」


 黙ってぼくらの取引を見届けていた行方先生が口を開く。


「今から調査フェーズを始めるが、その前にこれを渡しておく」


 差し出されたのは現在滞在しているとされる民宿の間取り図だった。



           ↑

 民宿本館     別館へ

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┃        │   │   物置   ┃

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┃        ┃   ┃        ┃

┃        ┃   ┃ 従業員部屋  ┃

┃   食堂   ┃   │        ┃

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┃        ┃   │        ┃

┃        ┃   ┃ 従業員部屋  ┃

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┃   厨房   ┃   ┃        ┃

┃        │   ┃   娯楽室  ┃

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┃ 浴室 ┃脱衣所┃   │        ┃

┃    ┃   ┃   ┃ 受付・事務室 ┃

┃    ┃   ┃   ┃        ┃

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┃男便所│            

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┃女便所│            

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 民宿別館

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┃   物置   │      ┃女┃男┃

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┃        │      ┃所┃所┃

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┃   客室   ┃ 縁

┃        │ 側

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┃   客室   ┃       庭園

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┃   書斎   ┃

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┃  玄関        ┃

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  本館へ

   ↓



「……これまた手が込んでますね」


 あまり推理小説を読まないぼくでもミステリーの雰囲気を感じる。架空の建物なのか実在する建物なのかは分からないけれど、こうして間取り図を目にすると非現実的なシナリオにも俄かに現実味が感じられる。


「えー、でも前のほうがイラスト入ってて可愛かったよー?」


 一方ひめりは期待外れとでもいうように唇を尖らせていた。


「前回のはまぁ、あれだ。意識を向けさせるフェイクのつもりで描いたんだが興が乗って作り込みすぎたっていうか、な」

「変なとこで凝り性だよねぇ、センセって」

「ほっとけ」


 その作り込みすぎた地図に誘引されてぼくらは仲間内の相談を疎かにしてしまったわけだから、結果的には無駄ではなかったことになる。悔しいから口にはしないけれど。


「察しているとは思うが、今回の調査範囲はこの民宿内で完結する。場所を指定すればそこに応じた調査HOを提供する」

「他のチームとは別行動ですけど、同じところを重複して調査することにはなりませんか?」

「そこは俺が事前に通知する。時系列的にも他チームがいれば気づくはずだからな」

「なるほど」


 考えようによっては手番が早いチームほど調査場所を好きに選べるということか。合流時に情報を共有する前提だからさして優位性はないように思えるが――


「身を隠すことはできる?」


 ひめりの質問は、容易くぼくの思考の先をいっていた。


「可能だが、調査の過程で見つかることは避けられない。ゲーム的な話をすれば、後から調査しに来た側に調査済みの事前通知をしない程度の効果だな」

「じゃあ、入ってきたPCに不意打ちすることはできる?」

「結果は保証しないが、実行自体は許可しよう」

「成功するかは何で決めるの? ジャンケンとか?」

「そんな不確定要素は俺の卓にはねえよ」


 ゲームの管理者たるKPは不敵に笑う。


「不意打ちは罠を仕掛けるようなものだと考えろ。不意打ちの実行を選んだ時点では何も起こらないが、後発の調査PCには確実にイベントが起こる。それがきちんと成功するかどうかは襲われる側の設定で決める。ランダム要素は抜きでな」

「でも襲う相手が選べないんじゃ結局ランダムだよ?」

「論点をすり替えるな。俺が保証するのは、相性次第でもたらされるゼロか百かの結果だけだ。成功の保証までしたら強権が過ぎるだろうが」

「それもそっかー」


 ひめりは特に残念がるわけでもなく間取り図に視線を落としている。さっきまではあれほど天真爛漫だったのに、今は何を考えているのかまったく分からない。


 能ある鷹は爪を隠す。普段の子どもっぽい言動は油断を誘うための偽装なのか? だとしたら、いったい誰を油断させようとしている? 彼女の正体は、いったい――


「考えすぎてるね、千明ン」


 ひめりの小さな顔がひょこっと視界に入り込む。柔和な雰囲気を醸す垂れ目が、ぼくの戸惑いを強かに捉えていた。


「心配しなくてもひめりはあなたの味方だから。今信じることは難しいかもだけど、それはこれからのひめりを見て決めてくれればいいよ」

「……他のプレイヤーを不意打ちできるか確認するような人の言葉とは思えないな」

「プレイヤーじゃなくてPC。そのふたつはまったく別だよ?」

「それは、そうだけど」

「でしょ? ひめりはPCとして、勝つための方法を選んでるの」


 その割り切った態度が、どうしてもひめりの印象と結びつかないから動揺しているのだ。


 与えられたHOが仲間を欺き裏切るものだからといって、プレイヤーであるひめりの性格までも変貌するわけがない。明るく無邪気なひめりのまま、合理性をもって他プレイヤーに害をなす行為を選んでいるに過ぎないのだろう。


 所詮はゲームだ。非道な行為も作中でなら許される。


 それでもぼくは割り切れず、自分の手を汚す覚悟もない。


「あ。ひめり分かっちゃった」


 猫のように丸い瞳が、ぼくの中身を覗き込む。


「千明ンはたとえゲームの中でも皆を裏切って信頼をなくすことが嫌なんでしょ。ひめりに従うしかなくて皆に危害が及ぶのを止められませんでした、って言ったって許してはもらえないとか思ってるんでしょ」

「……違う」

「違わないよね? いつもあなたは自分の嘘が暴かれないかばかり気にしてる。自分を大きく見せたり、底知れなく演出したりして身の丈以上の評価を得ようとしてる。あなたの正体はからっぽの箱でしかなくて、そのままじゃ誰にも見向きされないと思っているから」

「君は」


 困惑とも、嫌悪とも異なる感情が胸に渦巻く。


 ぼくはただただ、知りたかった。


「君はどうして、ぼくのことが分かるんだ」

「そんなの簡単だよ。だって――」


 だってあなたが嘘つきなのは・・・・・・・・・・・・・今に始まったことじゃないもんね・・・・・・・・・・・・・・・


 ひめりははっきりと、そう言った。

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