第一章

第一話 七人のかわいそうな子どもたち




「今頃はどの辺りにいるんだろうねぇ」


 鹿野かのひめりが誰にともなく呟くと、隣の席に座っていたさざなみ雄星ゆうせいが手を止めて顔をひめりのほうに向けた。


「昨日はほとんど移動だったみたいだからね。今もホテルから出たばかりとかじゃない?」

「うえぇ、大変そう。絶対楽しくない」

「苦労の分だけ代えがたい思い出もできるってものだよ」


 雄星の真面目な返答を聞いて、ひめりは理解に苦しむように眉をひそめた。


 私立七宝しっぽう高校第二学年の生徒が三泊四日の修学旅行に出発したのは昨日のことだ。朝八時には大型バスに乗り込み、片道四時間はかかる空港へと旅立った。


 今この教室に残っている生徒は、皆それぞれの理由でそのバスに乗り込めなかったメンバーだ。一例として、雄星は左脚を複雑骨折している。その治療が間に合わず修学旅行への参加を断念した。サッカー部の主将でもある彼が欠けたことで、優れたリーダーシップを発揮できる人物が他にいない彼の所属クラスは大いに荒れていた。


「皆向こうで上手くやってるといいんだけど」


 雄星の心配に思うところがあったのか、彼の席の後ろで黙々と課題プリントに取り組んでいた九条くじょう亜月あづきが顔を上げる。


「漣くんが気にする必要はないと思いますよ。まとめ役がいてもいなくても各々に好き勝手やるだけだから」

「九条さんは辛辣だなぁ」

「事実ですし」


 きっぱりと言ってのける亜月に、雄星は曖昧な笑みを浮かべる。


 亜月は眼鏡に一つ結びの黒髪という、いかにも優等生然とした見かけ通りの言動をする。彼女は雄星と同じクラスだが、普段はそれほど接点がないのかやり取りも淡白だ。


 亜月が手を止めたことで、教室内でシャーペンを走らせる音もまた聞こえなくなる。修学旅行に参加しなかった理由はそれぞれにあれど、学内での素行が良いのは少数派だった。


 中でも御先みさき奉司ほうじは窓際の席に着いてからというものの、筆記用具すら出さずに外を眺めるばかりだ。そんな彼が気になるのか、亜月は何度か彼に声を掛けていた。


「御先、いい加減課題やりなよ。出席数に入れてもらうにはどのみちやらなきゃいけないんだから」

「うっせーな」


 一瞥すらしない奉司に亜月も愛想が尽きたらしく、再び机上のプリントへと向き直る。


 彼らのやり取りが終わってから数分後。鼻をすする音とともにひめりの背後の席で突っ伏していた女子生徒がのっそりと身体を起こす。その顔には制服の袖の痕が真っ直ぐに引かれていた。


「ハハ、夕奈ちん爆睡してたねぇ」

「……いや、寝てないし。ちょっと頭重いから机に載せてただけだし」

「またまたぁ、いびきかいてたじゃん」

「それはダウト」


 伊丹いたみ夕奈ゆなは低い声でひめりをあしらいつつ、うつ伏せで乱れた髪を整える。血圧の低そうな重い目つきだが、特に機嫌が悪いわけではない。


 ひめりが明るく柔和な女子高生の見本だとしたら、夕奈はクールで垢抜けた都会派の女子高生といった風貌だ。遅刻の常習犯で、修学旅行にも朝起きられないからと参加を辞退している。曰く初日は起きられても宿泊先で起きられる自信がないとか。


「何見てんの」

「ん? いやぁ、夕奈ちん顔が良くて推せるな、と」

「なんじゃそれ。よくわからんけど、褒められてる?」

「もちろん、比較的褒めてるよぉ」

「比較的なんだ」

「そこ、ふわふわした会話してるんじゃない」


 横から亜月が注意すると「はーい」「さーせん」と二人の女子は突き合わせていた顔を離してまたプリントと睨めっこを始める。この一連の流れも既に何度か行われており、亜月もそれがポーズでしかないことは薄々理解している様子だった。


 締まりのない空気が充満する教室の窓を外から風が叩く。ひと雨降りそうな薄暗さでは、奉司の退屈な気持ちも晴れようがない。


 このままでは誰が閉塞感に耐えかねて教室を飛び出すかわからない。亜月ですら気分転換の提案を考える、その間際だった。


 がらっと乾いた音がして教室の前の戸が開いた。大股で入ってきた男に視線が集まる。


 無精ひげを生やした野暮ったい容姿の男だった。背が高いうえにサイズの大きな白衣を羽織っていて、かなり大柄に見える。一方で腰から下にかけて伸びる脚は植物のように細くひょろりとしていて、上半身の体躯と釣り合いが取れていない。


行方なめかたセンセだ!」


 突然ひめりが立ち上がる。行方と呼ばれた男は小さく左手を上げて「よぉ」とだけ言った。


「修学旅行に行きそびれたはぐれ者共の会場はここで合ってるか?」

「合ってないけど合ってる」

「どっちだよそりゃ」

「行きそびれたんじゃなくって、自分の意思で選んだんだよ」


 ね、と言って振り返るひめり。頷く者は誰もいなかった。


「あれー?」

「俺もそういう風には聞いてねぇよ。はよ座れ」


 ひめりが席に着き、行方が教壇に立つ。行方は抱えていた荷物を置き、出席簿の名前を確認する。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……七人ちゃんといるな。過半数が不真面目なようだが」

「センセ、その中にひめりは入ってないですよね?」

「元気がいいのは認めるが、お前さんはマジョリティだ、良かったな」

「あはは、良くないなぁ」

「ともかく諸々説明させろ。お前さん以外見事にきょとん顔なんだよ」


 行方は置いてあったチョークを握り、黒板に縦書きで名前を書く。


「行方さとし、担当は主に三年の物理。非常勤だから二年の君らとは面識ないのが当然なんだが、そこのアホみたいな例外もいる」

「誰が例外だー!」

「怒るべきとこズレてんだわ」


 くつくつと笑いながら、いつの間にか手に持っていた指示棒でひとりの生徒を指す。


「九条亜月さん、だっけ。一番真面目そうな君に質問です」

「な、なんでしょう」

「本日の君たちの課題は何ですか?」


 亜月が固まったのは一瞬で、答えが口から出るまでには三秒とかからない。


「昨日渡されたこの課題プリントをこなすことでしょう」

「その通り。しかしここでひとつ問題があります」


 行方は芝居がかった動きで教室内を見渡す。


「俺が教室に入ってきたとき、まともにプリントを消化しようとしていたのは九条さんとそこの爽やか少年だけだった。プリント自体はさほど量はないが、各々で解くには面倒な難易度だ。そうだろ?」


 亜月はやや迷いながらも渋々首肯する。爽やか少年と呼ばれた雄星を含め、異を唱える者はいなかった。


「はっきり言って、この状況はプリントを作成した先生方も織り込み済みだったみたいでな。修学旅行を直前に控えてもなお慈悲深い先生方は、君たちが課題をこなせないようなら別の方法で救済を行いましょうと仰せになった」

「……チッ」


 不機嫌そうな舌打ち。発したのは奉司だ。


「だったら最初からそれにすりゃあ良かったんじゃねえのか」

「まぁそう急ぐなよ。気の短い男はモテないぜ?」


 涼しい顔で行方は続ける。


「その別の方法ってのを考える余裕はさすがの先生方にもなかったようで、そこの裁量は他学年の担当教員に託すことになった。勉強からは逸脱せず、かつ息の詰まらない、きちんと評価を付けられるような教育的催事を行ってくれと言付けを残して――」

「もったいぶらなくていいから早く教えてよー」

「……俺の提案はシンプルだ。君らにはこれから、騙し合いのゲームをしてもらう」

「騙し合い?」


 ひめり、雄星、亜月の声が重なる。


「なにそれなにそれ、面白そうだねぇ」

「それって勉強から逸脱してませんか」

「てっきりデスゲームでも始めるのかと」

「三者三様の反応どうもありがとう」


 なんか物騒なのが交ざっていたが、と行方は初めて冷や汗らしきものを浮かべた。


「まず要点から言うぞ。やりたくないならやらなくていいし、説明を聞いて面倒だと思ったらプリント課題に戻ってくれてもいい。最悪そちらを提出すれば出席は認めてやれるからな。ただし、ゲームもプリントもやらないなら欠席扱いだ。それが評定に響かないような奴はこの場にはいないはずだろう」


 誰も頷きはしなかったが、ひめりですら冷やかすような発言をしなかった状況から、おそらくは皆がうっすらと理解していた。


 この教師は、評定を餌にしてゲームへの参加を強要していると。


「なぁに、ゲーム自体はそう複雑じゃない。マーダーミステリーと言えば知っている者もいるだろう。少なからず頭を使って論理的思考をしてもらうことになるから、勉強から逸脱しているとも言い切れない。国語の授業で小倉百人一首を使って遊んだ経験があるだろう、それと同じだと思ってくれ」

「……面白いんじゃない?」


 最初に手を挙げたのは夕奈だった。


「うちは参加するよ。遊びながら出席扱いにしてくれるとか、願ったり叶ったりだし」

「夕奈ちんがやるならひめりもやろっかなー。ゆーくんもやるでしょ?」

「僕は説明を最後まで聞いてから決めようと思うけど……プリントも途中までやってしまったし」

「私も同意見です。命までは取られないとはいえ、やはり心配ですので」

「亜月ンだけさっきから物騒なの、なんなの」


 けらけら笑うひめりとは対照的に亜月の表情は硬い。発言こそないものの奉司と他のメンバーも参加には難色を示しているようにみえる。単に面倒なのか、騙し合いという行い自体に抵抗があるのかまでは窺い知れない。


 行方は教壇の上から教室を俯瞰していた。生徒の食いつきが悪いことも織り込み済みの、余裕の表れのような。あるいは、ここから誰一人として逃がさないとでもいうような、剣呑な目で。


「もちろん説明は丁寧にさせてもらう。ただその前に、皆の参加意思は確認しておきたい。御先奉司くん、君はどうだろう」


 奉司は頬に添えた手を離し、返答する。


「やるよ。出席かかってんなら、どうせ拒否権なんてねぇし」

「わかった。じゃあ、その後ろの――柊木ひいらぎ千明ちあきくんは?」


 指名され、教室にいる全員の視線が一点に集中する。


 ぼく・・は答える。


「参加します」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る