第二話 鰯の頭も新人から
マーダーミステリー。
参加したプレイヤーがミステリーの中の登場人物となり、事件に巻き込まれるなどして謎の解明を求められ、推理し、犯人を暴き出すことを目的とするパーティーゲームの一種だ。
マーダーミステリーをプレイするにはまずキーパーと呼ばれるゲームの司会進行役が最低一人は必要になる。役割上キーパーは行われる謎解きの全貌を知っており、逆に参加者はそのシナリオを知らないことが要件だ。人生で一度しか遊べない、ネタバレ厳禁のゲームだと言われる所以はそこにある。
行方の概要説明を聞いた後、学校に居残った七人全員がゲームへの参加を表明した。皆の顔つきから鑑みるに、出席日数を盾に取られて仕方なくというよりはこのまま課題をこなしていても閉塞感が増すだけだという見方も強かったのだろう。
単なる居残り補習ならまだ耐えられた。今頃同級生たちは旅先で楽しくやっているはずで、自分たちの状況とはあまりに落差がありすぎる。無類の堅物で知られる亜月ですら、その差には黙って耐えられなかったということだ。
七人全員の参加を確認した行方はひめりを連れて隣の教室へと移動した。マーダーミステリー(略してマダミスと言うらしい)には各人に与えられる役柄があり、その割り当ては他のプレイヤーには見えない所で行われる。そこで伝えられた内容が秘匿情報としてプレイヤーの行動指針に影響を及ぼすことになる。
「そういやあの子、行方先生と仲良さそうだったね」
隣で夕奈がふとそんなことを言った。
「さっき連れていかれるときもさ、『きゃー、センセにえっちなことされるー』とかさ。すげぇ懐いてんじゃん、ドン引きだわ、とかうちは思ったんだけど」
「懐いてるというか、異性として好きなんだろうね」
「お、千明サンそういう話題イケるクチ? 意外だね」
「人並みだよ」
課題プリントを解く必要がなくなり、雑談していても亜月が注意してくることもない。代わりに亜月は落ち着かない様子で、視線を机の上と掛け時計の間で行き来させていた。
落ち着かない、といえばもう一人気になる生徒がいる。窓際のぼくとは反対側、廊下に一番近い席に座っている男子だ。
「伊丹さん、あそこの彼って誰か知ってる?」
「夕奈でいいよ。彼は……亜月、知ってる?」
「いきなり話振らないでください」
迷惑そうに睨みながらも亜月の対応は早かった。机を夕奈のほうに寄せて、声の音量が一段階下がる。
「
「へぇ、よく知ってんね」
「委員長なので」
「それ理由になってる?」
少なくとも亜月の中では筋の通った理由になっているらしい。
数久田玲生。亜月の情報が確かなら知らないのもおかしくはないのか。ここに集まった面々だって、皆が皆と面識があるわけではなさそうだ。
「いいこと考えました」
亜月がこう言うときは大した提案でもないことを僕は知っている。
「各々で自己紹介をしましょう。これから三日間役割を演じて騙し合いをするわけですし、素を知っておいたほうがいいかと」
「あぁ、うん」
思ったよりもまっとうな提案だった。翻って、この場の誰もがきっかけを探していた提案でもある。
ここに集った七人(今はひめりが離席しているから六人だが)はクラスがそれぞれバラバラだ。唯一雄星と亜月が同じクラスだがそれ以外は綺麗に分かれている。一年生の時に同じクラスだったり接点があった相手はいるものの、基本的にはまったく異なるコミュニティに属する面々が揃っている。
雄星や奉司のような目立つ存在はクラスが異なっていても顔くらいは知られている。雄星はサッカー部の主将で体育会系の象徴みたいな男だし、奉司は今時珍しい近寄りがたさの不良生徒だ。方向性は違えど、どちらも学年に一人はいるタイプの人物像だといえた。
そういったカテゴリで考えると、亜月のような優等生は各クラスにひとりかふたり居る場合が多く、意外と印象に残りづらい。期末試験の後に貼り出される順位表の上位勢は名前を知られていることが多いが、九条亜月という名前はあったかどうかも覚えていなかった。
「いいね、自己紹介。僕からやっていい?」
雄星が立ち上がり、早くも一番手に名乗り出る。
「漣雄星。二年C組でサッカー部所属。好きなものは夏とハンバーグ」
よろしく、と雄星は爽やかに笑ってみせる。最初に名乗りを上げただけあってお手本のような自己紹介だ。真っ先に亜月が拍手し、それに続いてまばらに拍手が続く。
次に視線が向いたのは奉司。相変わらず窓辺に寄りかかっていた彼が視線に気づいて身体の向きを変える。
「御先奉司だ。二年A組。好きなもの……餃子」
「思ったよりわんぱくな好みだね」
事実上指名した形になったやましさなのか、雄星は興味ありげに反応する。そんな雄星に奉司は刺すような視線を返した。
「悪いか」
「いや、僕もハンバーグと言った手前少し恥ずかしくって。食べ物で繋いでくれて助かったよ」
奉司は何も言わず、また窓のほうへと視線を移す。機嫌が悪いというより、普段からこういう態度なのだろう。
雄星も予想していた反応なのか、特に表情は崩さないまま今度はぼくのほうを向いた。このまま反時計回りに進行していこうということらしい。
雄星に倣い、席を立つ。関心ありげな視線が集中する。
「柊木千明です。二年F組で部活は文芸部に名前だけ置いてる。好きなものは
「見かけによらず渋いね。すぐに出てこないよその名前」
雄星は褒めているつもりだろうけれど周囲の反応は微妙だった。一応姓と絡めたつもりだったのだけれど、気づいている人は居なさそうだ。
「よろしくお願いします」
居たたまれなくなりながらもなんとか拍手を受けて席に座り直す。さっきよりも据わりが悪く感じられた。
「次はうちだよね」
よいさ、と声を出して立ち上がる夕奈。
「伊丹夕奈。B組で部活には入ってない。好きなものはポテロングとコカコーラ。よろ」
「休日にそのセットで食べてる姿が目に浮かぶね」
「お、雄星くん喧嘩売ってます? 花も恥じらうJKがそんなジャンキーな休日を送ってるとお思いで?」
「でも好きなんだろ?」
「それはまあ、そう」
随分と軽妙なやり取りだ。夕奈は口元だけでにやりと笑い、示し合わせたように雄星が拍手を送る。
拍手が止んで夕奈が座ったのと同時に、亜月が立ち上がった。
「九条亜月です。漣くんと同じ二年C組で部活動は無所属です。好きなものは、強いて言えば固形のラムネ」
亜月がちらりと雄星のほうを見る。雄星は表情を変えないまま黙っていた。
「よろしくお願いいたします」
他と同様に拍手は起こる。ただ雄星が彼女の自己紹介に触れないだけで、その音は控えめなものになった。亜月は戸惑う様子も見せず、淡々とした表情で席に着く。
「次、お願いします」
雄星の役目を引き継ぐようにして亜月が言った。彼女の向いている方向は廊下側、数久田玲生の席だ。
呼びかけられた玲生は初め、机に顔を伏せたまま無反応だった。それを亜月が肩を揺すって無理矢理に起こそうとする。
「マダミス、参加するんですよね? なら自己紹介お願いします」
亜月の口調には圧があった。さすが委員長を自称するだけのことはある。
上半身を揺さぶられた玲生は緩慢な動きで身体を起こす。小さく縮こまるように伏せていた彼は意外にも恰幅が良く、アメフトでもやっていそうなくらいに肩幅が広かった。長い前髪が顔の上半分を覆っていて、表情が読めないのもそのイメージを助長する。
「…………すく……いです…………E組……」
それらの印象に反して、玲生の声はか細く聞き取れないようなものだった。もう一度聞き直すにも彼は復唱を拒否するかのように身体を丸めてまた顔を伏せてしまった。
「……よろしく」
さすがの亜月も躊躇われたのか、最低限の返答だけして席に戻る。あるいは反応を得られた時点で亜月の役目は終わっていて、その後に玲生が何を言おうと意に介さないつもりだったのかもしれない。
重い空気になってしまった。普段クラスメイトが詰め込まれて人口密度の高い教室では誰かがフォローを入れるのだろうけれど、今は期待できない。すきま風が吹いて肌寒さすら感じるようだ。暦の上ではまだ秋に入ったばかりなのに。
「うっはぁ、お葬式みたいになってるねぇ」
不意にひめりの声が聞こえた。彼女は教室の後ろ側の戸を頭一つ分だけ開いて外から教室の中を覗き込んでいた。
「なんかあった感じ? だめだよ喧嘩しちゃあ」
「何もありませんよ」
亜月の声は少し震えていた。廊下側に近い分驚きも大きかったらしい。
「そうだ、あなたも自己紹介して。ちょうどあなた以外は全員発表したところだから」
「そーなの? あー」
そこでひめりは何か納得したように口を開けた。今ので状況を把握したのだとしたら大したものだ。
教室に入ったひめりは自分の席に着くのではなく教卓の横に立った。転校生が自己紹介するときに立つポジションだ。
「鹿野ひめり、十七歳。職業は女子高生」
「それは知ってんぞー」
夕奈が茶々を入れる。亜月は失笑し、ひめりも神妙な顔つきから機嫌よく微笑んだ。
「好きなお菓子はモンブランでー、えーと、あとなんか言っておいたほうがいいのって?」
「そだな、好きな映画とか言ってみ?」
「『キューブ』。オリジナルのほうね」
「……意外といい趣味してんじゃん」
自分から振っておきながら、夕奈は若干引いていた。
「まぁ気軽にひめりって呼んでね。ひめりも皆のこと好きに呼ぶから」
よろしくね、とすっきりした笑顔のままひめりは席へと戻る。底抜けに明るい彼女の振る舞いに、気づけば教室の空気は一変してしまっていた。
「で、行方先生とは何を話したんだ?」
席に着いたひめりに、隣から雄星が言葉を投げかける。
「何って、説明通りだったよ。役割を貰ってー、これは秘密にしなきゃいけないって情報を教えられてー、ルールに従ってゲームを楽しみます、って宣誓した。先生に」
「へぇ……」
いかにも今思いついたような洒落に、珍しく雄星は曖昧な笑みを浮かべていた。
訝しむ気持ちはわかる。行方先生の奇術師じみた身なりと言動は、教師だからといってそうそう信用できるものではない。奉司でなくとも警戒心を抱くほうが自然だ。
「まぁ確かに胡散臭いよね、行方センセは。けどああ見えてけっこう頼りになるんだよ? ひめりが保証する」
「君に保証されたら信じるしかない、か」
「私はまだ信用しかねます」
亜月が口を挟む。
「いくら先生だといっても、ゲームで補講の評価をつけるなんて変です。救済というのも実は彼の独断で、ゲームに参加したところで出席扱いにはしてもらえないなんてこともあり得ます」
「そこはちゃんと約束通りにしてくれると思うな。嘘をつく人じゃないよセンセは」
「騙し合いのゲームを唐突に始めるような人が、ですか?」
亜月とひめりの視線が宙でぶつかる。
「真面目すぎだよ亜月ンは。先生が遊んでくれるんだから素直に楽しめばいいのに」
「あなたこそ不真面目すぎませんか。教師に色目なんか使って」
「ちょっとちょっと、あんたら熱くなんなって」
夕奈が見かねて仲裁に入る。
「さっき皆同意したじゃん。マダミスやるのは決まったことなんだから、仲良くやろうよ。もし成績に入らないなんてことになったら他の先生に訴えてやればいいんだし、そしたらあの行方って人も困るでしょ」
「……それもそうね。ありがとう、伊丹さん」
「夕奈でいいよ。あと礼は要らんし」
争いがひとまず収まり、また教室が静かになる。
衝突を防いだ功労者はやれやれと首を振って頬杖をつく。気だるげであまり積極的に見えない彼女が、ひょっとするとこの教室で一番冷静なのかもしれない。
ぼくの視線を感じたのか、夕奈と目が合う。周囲を気にしながらこそこそと距離を詰めてくる夕奈に、ぼくのほうからも顔を近づける。
「さっきはああ言ったけどさ」
面白い遊びを思いついた子どものように夕奈は囁く。
「実は結構楽しみなんだ。皆とゲームやるの」
ぼくもだよ、とぼくは答えることにした。
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