第9話 バッグの中身

 トートバッグの中から、何か音がした。いや、正確には声だ。よく知っている鳴き声、ウミネコの声だった。

 それに気が付いたのはとりあえず渚町駅に行った時である。海を見つけに。服装はコットンのズボンとレースをあしらったやはり綿百パーセントの半袖カットソー。髪の毛はバレッタでお団子にまとめた。その髪型は五月に見かけたヘアクリップの女の子に似ていたが、お手本にしたわけでは無いし、私は大人で外出用ヘアなので彼女よりちょっとちゃんとした感じになった。

 手に持つのは必要なものを入れたトートバッグ。

 

 電車に乗るのは楽しい。ラッシュとは無縁の時間帯だし、窓から潮溜まりに似た部分を目で探すのも良い。街中にも海辺のペンションを思わせる外観の建物が、たまにあったりするので私は陸の上でもやはり海を意識し続けた。

 そして渚町駅に着いた。潮溜まりや波を探して散策する。予想していたが、渚町駅周辺は普通のよくある駅前だった。日本各地にある駅前という事は、海あり県の街の駅前にも似ているという事だ。私は内陸部の海のかけらの存在に希望を持った。

 

 小さな規模のいわゆるエキナカで目に入るのはチェーン店のコーヒーショップ、チェーン店のパン屋さん、数百円でハンカチや髪につけるシュシュなどの髪飾りが買えるチェーン店のお店などだった。

(こういった、髪飾りの類を昔は小間物って呼んだんだっけ、違ったっけ)

そんなことをふと考えたりしながら歩んでゆく。駅の外はやはり暑かった。たちまちに汗をかく。早くもカットソーが背中に張り付いた。

 

 暑さだって海を探す基準になるかもしれない。海沿いの道は海風のおかげで内陸部より気温が低くなる傾向がある。少しでも涼しさを感じる方に歩こうと散策の方針を決めた。

 

 駅から少し離れただけでチェーン店とは違う、個人経営らしい商店が並ぶ通りに来た。商店が並んでいても、商店街とははっきりと違う。駅前通りというものだ。

 中華料理店や喫茶店、果物屋さん等が目に入る。雰囲気は好きだったが潮溜まりを隠しておけるような物陰はなかなか見つからない。美容院の後方に海の気配を感じてひょいっと覗くと、個人経営のコーヒーショップがあっても潮溜まりは無かった。

 だが、私はそのコーヒーショップが気に入った。カレーライスやってます、と店の前に立てかけてある小さな黒板にチョークで書いてある。文字はトリコロールカラーだった。

 外観は海から引き揚げられた岩を丁寧に削って煉瓦状に整え、四角く積み上げたような外観だった。窓枠は銀色の金属で、船の手すりを私は連想した。


 お腹もすいたし、カレーライスを食べようと私は店に入った。程よく散り散りに私以外のお客さんは席についていた。席について、キーマカレーとアイスカフェオレを注文する。

 その時、何か音がした。スマートフォンの呼び出し音の類では無い、自然の軋みのような音だ。どこからするのかときょろきょろ見回してみる。他のお客さんたちには聞こえていないようだと確認すると、私はすぐに海に関することだと気が付いた。

 陸の海に関することは今のところ私しか分からないのだ。

 不審がられないようにさりげなく音の出所を探す。耳をそばだてて数秒後、すぐに分かった。私のトートバッグから音が出ている。やはり子供時代に海辺で聴いたことがある音だ

 

 ウミネコの鳴き声。


 初めて聞いた時、その名にふさわしい猫っぽい鳴き声に感心したものだった。

 そおっとトートバッグの中を見てみる。白い羽毛の生き物がバッグの奥底へ逃げるのが見えた。試しに手を入れてみてもすぐにバッグの底に突き当たる。ウミネコしか行けない世界がバッグに出来たらしい。ウミネコの姿は隠れて見えなくても、声だけは届いていた。

 まあいいか、と私は頬杖をついて鳴き声を聞きながら注文品を待った。やがてやってきたキーマカレーとアイスカフェオレをウミネコの声を聴きながら食べた。

 

 周囲の人々は、私がウミネコの声を聴きながら食事をしていると想像もしていないに違いなかった。駅名を信じ、海を探しにやってきた人がすぐそばにいるとも全く気が付かないだろう。

 それは不思議で楽しいことに思えた。

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