第6話 外側から
まだ梅雨は明けない。梅雨といえば街中の海関連で不思議なことがある。いや、私が不思議な感じ方をすると表現するべきか。
雨が降ると家の周りは海の気配を漂わせるのに、あの歩道橋は逆なのだ。つまり、歩道橋は潮風も吹かなくなるし潮の香りもしなくなる。
その代わり、建物が変化する。
歩道橋の近くにマンションが建っている。近年流行りのタワーマンションなどではない、四角いシルエットをした少し病院にも似た感じの外見のマンションらしいマンションだ。
ホテルにも少し似ている。
六本足の歩道橋を通るのは散歩がてらコンビニに行く時が殆どで、雨が降っている時は行かない。梅雨でも雨が止むと、せっかく傘を差さずに歩けるのだからと散歩へ行くことが多い。そんな時にマンションが少し化けるのだ。
とりわけ、夜。
外観は変わっていない。しかし無性に懐かしい存在に変わる。あれは海水浴へ行ったときに泊まった旅館から見えたちょっとお高めのホテルに化け始める。
歩道橋から見える並んだ窓の明かりは誰かの自宅の明かりではなく、休息のために用意された旅人のための明かり。
あの建物の中にある沢山の部屋で繰り広げられているのは日常などではない。
スーツケースや旅行カバンをもって海辺へやってきた人たちのための客室なのだ。
いつもの石鹸やシャンプーではなく、ホテルに用意されていたものを旅人は使って休息する。部屋の数だけ“いつも”とは違う日が繰り広げられているはずなのだ。
子供の頃の私と母の会話も蘇る。海辺の道をアイスを買いに行った時の会話か。
「あんなホテルにも泊まってみたいなあ」
「そのうちね、お金かかるから」
その後も何度か旅行に行った。海にも、海以外にも。大人になってからは小さい旅館もそれはそれでいいものだと分かった。でも子供の頃の憧れはホテルに化けたマンションを見るたびに思い出される。
子供の頃の私が、このホテルに泊まっているような気がする。
アメニティグッズの石鹸や歯ブラシ、ホテル独特の自宅とは違う匂い、きっちりと整えられたベッド、ベランダ付きの客室、そこから見える風景はいつもとは違う。
でも分かっている。そこには私はいないのだ。あのとき泊まっていたのは小さくても雰囲気の良かった和風の旅館なのだから。
成長してから洋風のホテルに泊まったことだって何度かあるのだ。
でも憧れは消えない。見えなかった内側を夢見続けている。
たぶん、私はまだどこか、あの海辺の夜道を歩いてる時のままなのだろう。ずっと結晶のように固まったまま。
だから大人になって洋風のホテルに泊まっても、泊まれたのは大人の私だから、子供の時の私は満足できないのだ。結晶の中には時間は流れない。大人になってからの経験は影響しない。あの頃はあの頃のまま。変化は訪れない。
単なる洋風のちょっと高級なホテルへの憧れなのだから、それを持ち続けても困るほどではない。思い出して気が沈む失敗の記憶の類では無いのだから。
最近考える。この、子供の頃の憧れを持ち続けているのはやはりそれに美を感じているからではと。
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