第2話 海風は模倣されたのか

 立夏の頃は大体ゴールデンウイークと重なる。私は連休にはどこにも行かない主義だ。どこにも、と言っても旅行などに行かないという事で、スーパーやコンビニに買い物くらいは行く。

 立夏あたりから夜になると季節が夏の面影を宿すのが私にとっては連休よりも興味深かった。その夜気が好きでふらりとコンビニまで日が落ちてから散歩兼買い物によく行く。


 コンビニには国道にかかる歩道橋を渡らなければならない。そこで時々私にとって気になる事が起こる。

 夜風が吹く、ただそれだけのことだが、それが特別だった。理由はただ懐かしい感じがするからだと思っていたけれど、ある時気が付いた。


 あの歩道橋で浴びる夜風は海風に似ている。小学校低学年の頃、家族で海水浴に行った時の夜、アイスクリームを買いに小さな旅館からコンビニへみんなで歩いて行った、あの時の海沿いの道に吹いていた風にそっくりだったのだ。あの夜の海風に。


 海無し県のその中の一点である歩道橋に海風が吹くとは何故なのだろう。私の気のせい?その割にはあの夜風は海風に似すぎている。肌触り、重さ、そっくりだった。

 でも違うところもある。本物の潮風だったら塩分を含んでいて肌がべとつくはずだが、そういったことは無い。そして香り。潮風特有の磯の香りはしなかった。


 私の錯覚だろう、と思い始めたその時、鼻孔を間違いなく潮の香りが通過した。


 一陣の本物の海風だった。


 驚きに息を吞み、十秒ほど立ち止まったものの、ずっと歩道橋の上に佇むのも変なのですぐに私はコンビニに向かい、バニラ味のアイス最中もなかを買って帰った。帰り道でも勿論あの歩道橋を渡った。その時は模倣された海風は吹いていたものの、本物らしい海風は吹かなかった。私がゆっくり歩かなかったせいもある。アイス最中が溶けないうちに帰りたかったから。


 家でアイス最中をかじりながら私は考えた。あの本物としか思えない海風は何だったのだろう。内陸部で磯の香りとは。香りがするという事は、香りの根源があるはずで、するとこの海無し街のどこかに潮溜まりでもあるのだろうか。


 古代は日本列島の形も現在とは違っていたという。ひょっとしたらこの辺りも太古の昔には海だったのでは?その後に海水が引いた後も海のかけら、あの潮溜まりというものが遥かな時を超えてどこかに残っているのかも……。こんなふうに私は仮説を立てた。

 

 それ以来私は海の名残を探してしまう。ビルの裏の陰、住宅街の塀と塀の間にゆうに数万年を超えて人目を忍んできた潮溜まりがそのうち見つかってほしいと思う。それが存在するのなら、おそらくは歩道橋から見える範囲。


 きっと小さな潮溜まりだろう。だから普段は本物の海風ではなく海風の模倣しか吹かせない。だが、一日に数回だけ、きっと片手で数えられるくらいの回数だけ純粋な海風を吹かせられるのでは……。

 そうであってほしいと思った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る