第11話 今際の際に思うこと
そうして辿り着いた。
ここまで来る間に、ふと思いついたことがある。
まるでダンジョン物のラノベで読んだダンジョンブレイクみたいだな、と。
ダンジョンというモンスターが出没する不可思議空間から魔物が溢れ出すというやつだ。
絵竜が読んだそれでは、ダンジョンがある異世界と地球が融合したせいでダンジョンというモンスターを封じ込めている空間から溢れ出したという設定だったか。
現状から推測するに、『魔物』どもは明らかに自分たちの発生範囲を広げるように動いているので、その設定ではなく、侵略が目的と考えるのが妥当だろうが。
けれどそんなこと、今の絵竜にはどうでもいい。
思いついたのは、もしかしたらこの状況――『魔物』が刻一刻とその出現範囲を広げている――の元凶があるとしたら、それはダンジョンなのではないか、ということだった。
そして問題は、その思いつきが正解だと、なぜだか完全に信じ込んでしまっていたことだった。
ダンジョンだとしたら、今のこの、ダンジョンブレイクを鎮めるためにはダンジョンに侵入しなければいけないということになり、時間がかかることが問題だ――なんてことを考えていた。
だから辿り着いたそこで、愕然としてしまった。
なぜだかあると確信していた『空間の亀裂』みたいなものが、なかったからだ。
それがなかったことで、そんなものがあると確信してしまっていた自分に気付いて、二重の意味で衝撃を受けた。
だってそれは、失ってしまった記憶の中にある、引き出せる知識だということだから。
母親とは一般的にどういうイメージかとか、警察官とはどういうイメージなのかとか、そういった通念に属するレベルで、絵竜にとって当り前のことだったということなのだから。
『魔物』が溢れ出てきているならば、それはダンジョンがあって、そのダンジョンとは『空間の亀裂』から侵入することができるものである、というのが記憶を失う前の絵竜にとっての常識だったということなのだ。
ではこれはなんだ?
実際に観測した事実と食い違う常識を持つ
今の絵竜には、前の自分が妄想を常識にまで思い込んでしまう狂人だったという結論しか導き出せない。
ああ、でも、それさえも、この視野狭窄も思考の偏向さえも、現実逃避だ。
――――オウルシステム(ログ)――――
・■■収奪機構派遣個体を発見
―――――――――――――――――――
アレが
ヒトガタの謎の靄が佇んでいる。
けれど絵竜が【思考加速】を起動してまで現実逃避しているのは、ソレのためではない。
ソレがいる場所。
やや大きめの家宅。未だに炎上している。嵐みたいに灰が吹き荒れている。庭が広い。火災の発生源にしては形が残っている。生け垣はすべて燃え尽きている。門扉は壊れている。塀は残っている。
その表札に『織守』とある。
普通だったら『おりもり』と読んでしまうところを、絵竜は『おりかみ』と読むのだと知っている。
ミクが、自分を名字で呼ばないようにと言っていた時に教えてもらったからだ。
『おりもり』と誤読されるのも、『おりかみ』が『折り紙』だと揶揄われるのも、嫌だからと。
『織』の画数が多いのも地味に嫌だとか言っていたっけ。
『織守ミク』を略して『おりかみく』と呼んだヤツは絶対に許さないとかも。
そんな話をしていたせいで、ミクがどういう漢字を当てられているのかは聞けなかった。絵竜的にはそっちのほうが重要だったのだけど。
そんな他愛のない、けれど致命的な記憶が、未だ少ない記憶だからこそ鮮明に思い出された。
ああけど、いい加減目を逸らすのも限界だ。
火災の中心部にいた生き物が生き残っている確率は限りなく低い。
そして織守邸には元凶がいる。
【思考加速】のせいで判然としないが、元凶は生者である絵竜がこの距離まで近づいても動かない。
アレはそういう性質なのか。
『魔物』を派遣するだけで、自体は動かないのか。
そうだとしたら、ここがそうだった。ここに元凶は発生した。
一体どんな確率なのだろう。
絵竜が記憶を失う破目に遭った当時も、ミクが狙われた。
まるで狙いすましたように彼女の家宅に元凶が発生した。
確率ではないとしたら?
必然だったなら?
ミクは何か特別だったのだろうか。
神代の妄想みたいに、ミクには何かあったのだろうか。
過去形でしか考えられない。はっきり言葉にできないけれど、もうわかっている。
最初から手遅れだったなんてこと、もうわかっていた。
両親だって、手遅れだろう。
それどころかこの街全体だって怪しい。
もう絵竜には何も残っていない。
僅かに積み上げたものも、取り戻す手掛かりも、何もかも。
何をしたらこうならなかったのだろう。
こうなるとわかっていたら何か変えられただろうか。
わからない。
何をしたらこうならなかったのかわからない。
――せめてそれくらいはわかりたい。
だからアレは
これ以上殺される前に
復讐なんて御大層なものではない。
失ったというにはあまりにも持っていたものが少なすぎる。
だから、強いて言うなら好奇心だ。
他に何も無いから。
手に入れてから、アレらに対する感情を決めたいと思う。
もちろん、負の感情以外の何かを懐けるような予感はしないけれど。
「だから、邪魔するな……」
いつの間にか【思考加速】は停止している。
体感時間が元に戻り、アレを壊そうと決めた瞬間に、アレとの間に一度に数えることが難しいほどの『魔物』が発生した。
やはりアレ自体には戦闘能力はないのか。故に身を守るために『魔物』を召喚した? そして『魔物』発生タイミングから見て、絵竜の攻撃意志に反応したのかもしれない。
根拠といえばそれだけだが、直感がそれらの推測を正解だと告げる。
あるいは知識にあるのかもしれない。
もはやその知識も当てにならないが。
正誤はこの際どうでもいい。
しかし発生した『魔物』は絵竜が最下級と見做したチンパン(略称)だ。
最後に立ちはだかる壁としては程度が低い。
例えば四足獣であれば撤退を余儀なくされたのは間違いない。
それをしないのならば召喚できなかったと考えていい。
好都合なのでこれ以上深堀りして考察する必要はない。時間をかければ更に召喚される可能性があるということさえ念頭に入れておけば良い。
襲いかかってくる爪の攻撃を躱して引き込み、焼け焦げた門扉を使って頭を潰しながら最低限の考察を済ませた。
後はここまで来るのに散々に頼った謎の格闘技術で押し進むだけだ。
もちろん最下級とはいえ成人男性を容易く屠れる『魔物』相手だ。そんなのが最低でも十体、間違いなくそれ以上いる。被撃ゼロとはいかない。それに仕留めている暇が無い。そんな隙を作れば【自動治癒】でも追いつかないほどの飽和攻撃に曝される。頭ではわかっていたが、つい癖で止めを刺してしまう。おかげで爪撃を流し損なった左の手首が飛んだ。【身体強化】で頑丈になっているが、ただでさえ腱を容易く切断する非常識な切れ味の爪を、払い除けようとして強く振ったのが仇となった。自分の力で切り飛ばしてしまったようなものだ。【焼灼止血】なんていう新顔が起動し、切り口が発火する。発火の原理はともかく、焼いて止血とか乱暴にも程がある。だが仕切り直しもできない状況下では便利だ。火を攻撃に転化できる。ただの機構の癖に、生き物染みて『魔物』が攻撃に怯むことは確認済みだ。というかヤツらは普通に燃えて死ぬ。思い出したので方針転換して、まだ炎上している家屋へと叩き込むことにした。数を減らさないと辿り着く前に行動不能に陥ってしまうからだ。事実として【自動治癒】がなければとっくに動けなくなっている。だが大きな動きをすると隙が大きくなり被撃が増える。「くそっ、がっ」悪態が血と一緒に口から漏れるがどうしようもない。焦燥に駆られる。それに呼応してか【爆炎】なる新顔が唐突に発現して眼の前が真っ赤に染まって耳を聾する轟音が響く。炎が吹き荒れている。視力と聴力を【自動治癒】によって取り戻してようやくそれを認識する。
なんらかの対空手段。
それがなんだったのか、最期まで絵竜は確認できなかった。
いや、しなかった。
胴体を半ばまで切り裂かれる。
【自動治癒】でも追いつかない致命傷だと、直感でわかる。これはどうやっても助からない。
けれど関係ない。もう元凶は視認できている。【爆炎】を元凶に向けて発現する。
炎上する家屋の傍で佇んでいるような奴に炎が効くかは知らない。けれど爆圧だけでも、不満足の体から繰り出せる体術より威力があるのは間違いない。これでどうにもできなかったら今の絵竜に手立てはないということ。
けれど効いたらしい。
――――オウルシステム(ログ)――――
・■■収奪機構派遣個体を討伐
→【回帰】可能
・生命維持限界状態
┡【記録保護】:強制実行
┡【回帰】:強制実行
―――――――――――――――――――
ザリザリと削れるみたいに薄れゆく意識の中で、ちょっとだけ思った。
ああ、このシステムって呪いみたいなもんなんだな――なんて。
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