第10話 逃避的進行

 道案内を失ってしまったが、いずれにせよあのまま連れ回したところで時間短縮に繋がったかといえばそれは怪しい。

 彼女を担ぐために移動速度も落ちていたし、『魔物』とオウルシステムが呼称する存在が跋扈している現状だと、庇うために一々足を止めなければならず、結局のところは差し引きゼロくらいかもしれない。道案内として役に立っていなかったことを鑑みればプラスですらあるかもしれない。

 つまり彼女を連れてきたことがそもそもの失敗だった。


 絵竜が神代を殺したようなものだ。それも無意味に。


「だからなんだって話だけど」


 強がりだ。

 罪悪感を感じないはずがない。けれど罪悪感というよりも、『身を挺して他人を庇うような人物』という自分への定義が崩れたことがこの苦い気持ちの主因だ。


 あの瞬間、間に合わないと事前に悟った。ならばリスクを負ってでも、神代を庇ってなんとかしなければならなかった。

 あの場での正解は、間に合わないと悟った瞬間には彼女を抱えて撤退することだった。おそらくタイミング的に絵竜は背中に致命傷を負っただろうが、【自動治癒】がある絵竜ならば生き延びる見込みはあったのだから。


 全部、後だから言えることだ。


 それでも、咄嗟のときに、自分のリスク回避を優先する。

 今の自分はそんな人物なのだと突きつけられた。


 記憶を失ったからそうなったのか。

 それとも相手が神代だからそうしてしまったのか。

 ミクが相手だったらどうしただろう。


 神代がやられる前だったら断言できた。

 今は、わからない。何も断言できない。


 ミクを探し出したいのに、見つけたくないという相反する感情が渦巻いて、じわじわと絵竜を苛む。


 それでも、わかりやすいだろう避難所である『中学校』を探す。

 (無事な)ミクを探すなら火事現場にこれ以上近づく意味はないからだ。あの近辺にいる人間は――生き物は、限りなく高い確率で、もう死んでいる。

 『魔物』が多いのだ。思っていたよりもずっと遭遇する機会が多く、遺体や破壊された車の残骸(まだ炎上しているのもあった)を見ない道のほうが少なくなっていた。


 しかも『魔物』はどうやら、しているようなのだ。

 言い訳になるが、神代のときに間に合わなかったのもそのせいだ。発生位置が近すぎて、構える暇が足りなかった。

 どこか特定の位置から湧いて出てきているのではなく、その場に唐突に出現している。おそらくだが、火事現場から同心円状に発生位置が広がっているような状態だ。その出現パターンで火事現場に近づけば密度が上がるのだからそう考えるのが妥当だろう。もしくは放射状なのかもしれないが、それを確かめる手段は絵竜にはない。


 それより問題は、発生位置が広がる条件だ。

 単純に時間経過ではない気がする。

 観測データも何もないのではっきりとは言えないが、気になったのは、遺体のある地点で『魔物』が発生したことだ。

 あのただ生き物を殺す機構、という印象の『魔物』が、すでに死んだ生き物の近くに発生する意味は何か。

 生き物が死んだからそこに発生することができた、と考えられるのではないか?

 生き物を殺すことでそこに発生できるような何かのエネルギーを得たのか、生き物がそこに存在することで発生を妨げているのか、どちらなのかはわからない。

 絵竜生き物の近くに発生したことを考えると前者だが、これまで発生を目撃した位置が、魔物のほうが火事現場に近く、絵竜のほうが遠かったことから、後者も捨てきれない。何より絵竜はその場に必ず一人だった。

 最初の発生地点がどうだったか知れればもう少しこの仮説に自信が持てたのだが、残念ながら知識には何もない。事故前の絵竜も地理には疎かったということだろう。


 いずれにしても、生き物が多い場所には出現しづらい、と仮定できる。


 ならば避難所のように人が多い地点にはまだ発生していないはずだ。

 もちろん『魔物』は彼らを殺すために群がってくるだろうから、安全ではない。むしろ多くの生き物を殺すために多くの『魔物』が押し寄せているため、危険度は一人で行動する絵竜よりも高い可能性すらある。更には殺されれば殺されただけ『魔物』は出現するという仮説が正しければ――


「……詰んでないか、これ」


 思わず足を止めてしまうほどの気付きだった。


 この状況を打開する方法が一つも思いつかない。

 絵竜個人はもとより、例えば国家であったとしても。


 これは兵器が自由に扱えないこの国だからという話ではない。

 絵竜の仮説通りなら、条件さえ揃えば場所を問わず、唐突に『魔物』という殺戮兵器が送り込まれるのだ。例えば軍施設だったとしても、時間帯によっては無人ないしは少人数の空間なんていくらでもできるだろう。そんなところに発生されては一切の損害なしに撃退なんて不可能な話だろう。そして損害するたびに発生範囲が広がるのだから、それはもう対処不可能だ。


 もし有効な対策があるとすれば、『魔物』を発生させている元凶を突き止め、それをなんとかして止めることだ。

 そしてその元凶がある、もしくはいるとすれば、この状況からすると火事現場以外には思い当たるところがない。


「どうする……」


 このまま居場所も(無事かも)わからないミクを探し回るか。

 それとも元凶を探すか。


 首尾よくミクを探し出せたとして、どうやって守る? 先がないことはわかりきっているのに?

 いや、神代のように、絵竜よりも事態を早くから察している者もいる。彼女の上司は神代よりももっと情報を持っているはずだ。すでに対策は始まっているかもしれない。ならば絵竜は耐えるだけでいい。人がなるべく多いところで、多くの人が死なないように立ち回ることができれば――


――神代があんなにあっさりやられたのに?


 仮にも警察官を名乗る一般人よりも抵抗力を有するはずの神代があっけなくやられてしまった。彼女に限らず、そこかしこで警察官の遺体は見ている。そんな彼ら以下かもしれない多数の一般人を守るように立ち回る? それもいつまで耐えればいいのかもわからないのに?


 不可能だ。

 

 絵竜はオウルシステムがあり、かつ一人だから今までなんとかなっている。それでも無傷ではない。【自動治癒】や【強制覚醒】、それに新顔である【痛覚鈍麻】が発動する場面が幾多もあった。余人を気にかけていられるような余裕はないのだ。


 決まった。

 

 あの火事現場に元凶がいる/あるとは限らない。

 それでもミクを探し出すよりは、そして守り切るよりは可能性がある。


 そう考えて、絵竜は火事現場へと向かった。


 この決断が、ミクを神代のように見殺しにしてしまうかもしれないという不安からの逃避だとは、うっすら自覚していた。





 マスコミか、自衛隊か、どこのそれか知らないが、いつの間にか火事現場付近に接近していたヘリコプターが墜落した。

 燃料に引火したのか知らないが、また爆発炎上した地点が増えた。


「――ははっ」


 思わず笑ってしまった。

 対空手段まであるなんて想像もしていなかったからだ。

 どうして墜落したのかはわからない。何かの攻撃を受けた衝撃音でようやく気付いたのだ。あるいは空を飛ぶ『魔物』でもいたのだろうか。だとしたらいよいよ対抗手段がない。空は地上よりも遥かに『生き物』の密度が低いのだから。それなのに今まで視界に入らなかったということは、『生き物を殺害することで発生する何かのエネルギーで魔物は出現している』という仮説がますます有力さを増すことになる。他にも多くの可能性が考えられるので、相変わらず断定はできない。現時点で断言できるのは、『魔物』というのは種々雑多な物だということだ。対空手段を持つ物がいても不思議はない程度に。


 チンパン(略称)は雑魚だった。おそらくは最下級に位置する。記憶している最初の火事現場に近付くに連れ、他の種類にも出くわすようになり、負傷する頻度が劇的に上がった。目的地半ばではもう、チンパン(略称)とは比べ物にならないくらい速かったり、力が強かったり、何かよくわからないものを飛ばしてきたりと、大してサイズも違わないのに常軌を逸した力の『魔物』と遭遇した。なるほどあれなら走行中の軽トラックを弾き飛ばせるだろうと納得したが、物理法則はどこ行ったと思わず叫んでしまうほどだった。

 なんとか物理で倒したが。

 自分でも謎の格闘技術であった。

 特に――なんで体高だけで成人男性の平均を超える四足歩行の獣型の『魔物』を徒手格闘だけで倒せるんだ。対四足獣の格闘技なんてあんのか。どんな十二歳だったんだ、赤広絵竜は、と。

 こんな状況でなければ自分がわからなさすぎてそれだけで錯乱していたこと請け合いである。

 現状は、錯乱している余裕なんてない。

 もしくはずっと錯乱しっぱなしだ。


 当然進行速度も落ちて、それまで切れる気配のなかった息が上がってきた。火災の熱さと煙のせいもある。いや、あるいは、オウルシステムで【】を働かせている何かしらのエネルギーが尽きてきたのだろうか。

 

 そう。その存在に気付いた当初から気になってはいた。明らかに超常の力を発揮しているオウルシステムはどんなエネルギーを使用しているのかと。


 この世に無償で動く機構システムがあるわけがない。何かしら代償はあるはずだった。けれどそれを絵竜は一切自覚できていない。今だって、単純に【身体強化】の効果が落ちて体調に現れているのかも知れないというだけであり、オウルシステムを動かしている何かのエネルギーについてはまるで感知できていない。


 そうなると、オウルシステムが動くために必要なエネルギーは、絵竜に知覚できないものであることは間違いなく、それは体調に影響を及ぼさないか、もしくは、絵竜自身とは別の所から引っ張ってきているか、だ。


 なぜ今、そんなことを気にしているのかといえば、これが仮に後者であった場合、今の絵竜は処刑場に自ら向かっていることと同義であるからだ。


 つまり後者の場合、オウルシステムが弱まったタイミングが問題だ。

 元凶がいる/あるであろう位置に近付けば近付くほど弱まっているとしたら、オウルシステムを動かしているエネルギーをその元凶が収集している可能性が俄然高くなる。


 つまり――『魔物』の出現範囲が広がっていることと併せて考えれば、オウルシステム稼働力と魔物を『発生』させるエネルギーは同一のものであり、元凶はそれをオウルシステムが吸収できない形にしているという仮定が成り立ってしまう。


 言うまでもなく、オウルシステムが元凶の傍では使えないかもしれないということだ。


 考えるまでもなく、絵竜は死ぬだろう。

 今だってなんで死ななかったのかわからない状態なのだ。


「全部憶測だが……考えれば考えるほど、詰んでる……」


 『魔物』が強くなっていくだけでも困難なのに、こちらが弱体化、どころか無力化させられるとか、どうしようもない。


 それでも、ここまで来てしまった。


 例の四足獣を倒すのに時間をかけすぎた。

 そして消耗しすぎた。オウルシステムの弱体化なのか、単純にオウルシステムの強化が追い付いていないのかわからないほどに。


 今から引き返しても、おそらく四足獣ほどではないにしても強力な『魔物』が再発生しているだろう。もう一度あれらを突破できるかと言われると、良くて五分五分だろう。発生範囲が更に広がっているだろうことを加味すると、発生圏から逃れられる確率は一割に満たないように思える。


 憶測が間違っていることを願いながら進むしか、今の絵竜にできることはなかった。 




 ――それだけのはずないのに。

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