第9話 起き上がらない
「アンタ、何者なの?」
記憶喪失の少年にそれを問うことの無意味さについて。
そりゃあ、絵竜だって自分の立ち回りを思い返せばそう問いたくなる気持ちはよくわかる。
十二歳だか十三歳だかの少年がいくら超人的な身体能力をオウルシステムに付与されているとしても、それを使いこなして三体からの怪物を一方的に殲滅する立ち回りを見せられるのかといえば、ラノベのことを知ったからこそわかる。ありえない。そんなのは主人公特権でもないと無理だとわかる。アニメ化すれば『このキャラクターは特殊な訓練を受けています』というテロップが浮かび上がっているに違いない。ターゲット層によっては『良い子も悪い子も真似しないでね』とかもありそう。人の遺体が画面に出てくるようなアニメがそんなターゲット層を持つとも思えないけれども。
そんな下らないことを思いつく辺り、絵竜は結構なオタクだったのかもしれない。また一つ要らん自己像が手に入った。
どうでもいいことだ。
神代の問いも、その端を発した疑惑も誤解も、それを解くことも。
「ミクの家はこの近辺か?」
「え、あ……って、わっかるわけないじゃん!? つーかここどの辺よ、アタシが知りたいわ!」
「……」
すごく尤もな言い分だった。
目を回している隙に移動させられた挙げ句一軒家の屋根の上とか、それで自分の位置がわかる人はごく少数だろう。わかったとして方角くらいではないだろうか。
「いやでも、警察官なんだし、この街の地理くらいは頭に入ってるんじゃないのか」
病院と火事現場を結ぶ線から大体の位置を割り出すくらいはできるのではないだろうか。正規警察官なら。
「ぅ、うぐ……っ」
痛いところを突かれたというように神代は呻く。
まあ神代が偽だろうがなんだろうがどうでもいい。彼女がミクの家の位置を割り出せないという現実が変わるわけでもないのだし。
「ていうかケータイ返せっ。あれがあればGPSでわかんだから」
「……病院に置いてきた」
なんだろう。神代にしたこと悉くが裏目に出ている気がする。
いや、絵竜に非があるのは確かだが、それでも神代がいちいち偽らしい特徴ばっかり備えているのが良くない。
「よし、一旦落ち着こう。まず、ミクの家の方角は病院から火事現場の方角にあったか?」
「……」
神代は右を見て、左を見て、お米の国の人のように肩を竦める。
「なぜそれすらわからないのか」
「しょ、しょうがないってか、わかるわけねーし!? あたしアンタに拘束されて、ちゃんと火事の方向だって見てないんだかんな!?」
「それでも建物の窓の方角くらいは普通把握しとかないか? 病棟が西か東かとかから……」
「はいはい悪うございましたね地図が読めない女で! つーかなんでアンタにミクちゃんの家とか教えなきゃいけないわけ!?」
今更といえば今更な指摘だが、尤もな指摘でもある。
だが絵竜に抜かりはない。
「お巡りさんに道を聞くのって何かおかしいか? そして教えるのはお巡りさんの職務では?」
「……一瞬納得しそうになったけど、道や住所ならともかく個人宅を聞かれても答える義務はないし、そもそもアンタ、フツーに犯罪者だかんな? 最初のきっかけは酌量の余地があるとしても、その後は完全に」
抜かりしかなかった模様。
反論がないわけでもないが、言い合いをしている暇が惜しい。
「なら避難所の位置は? そういうとこはでかいからわかるんじゃないか?」
「いやだから、それをアンタに教える義理は」
「ならあんたをここに放置して俺はでかい建物を探し回るだけだな」
「じゃなくて! アンタの目的を教えろっての!」
「ミクの家を探してるんだからミクを守るために決まってんだろうが。何を今更」
「それがどうしてかって聞いてんの! なんであの子を守るためにそこまでやるのかって! 記憶喪失を装ってるのはなんのため? あの子に知られちゃいけないことでもあるってことでしょ? 当人にも秘密裏にあの子を守らなきゃいけないってことで……あの子に何があるの?」
「これはまた……」
盛大に勘違いをしていらっしゃる。
おそらく神代の中では絵竜は秘密組織のエージェントか何かになっているのだろう。超能力に目覚めた者を集めてヒーロー的な活動をするような、そんな組織の。そんな組織はミクに何か特別なものを見出しており、そんな彼女を守るために絵竜が派遣された、などと思い込んでいる。
神代が見た目の言動に反して深く物事を考えているのはわかったが、思い込みの激しさがその思考力をただの妄想にしてしまっている。
「いやでも、記憶喪失の十二歳の少年が単にミクが可愛いから守らなきゃって思ってるだけと考えるよりは説得力があるのか?」
冷静に鑑みると神代のほうが真っ当な考えのような気がしてしまう。いや、絵竜がミクを守りたいと思っているのはそれだけではないのだが、傍から見てどうかという意味で。
「は、はぁ!? 本気で!?」
「まあうん。七割くらいは」
アイデンティティとかレゾンデートルとかの象徴云々も結局はミクがすごく自分にとって好みだからというのに端を発しているわけだし、ある意味十割では?
「ごめん十割かも」
素直に訂正する。
神代はあんぐりと口を開けて呆気に取られていたが、ややあって顔面を紅潮させる。それは怒りではなく、おそらくは羞恥の赤だ。いや、絵竜が恥ずかしいことを言ったから共感性羞恥で顔を赤らめているとかではなく、自分の勘違いに気付いて羞恥しているという意味だ。
「というかその設定だったらオレはミクの家くらいは把握してないとおかしいしな」
ついでに言えば、ミクを庇った事故の現場は絵竜が早朝のランニングで到達できる距離だ。つまり絵竜の実家からそこまで遠くない。ミクの家からもそう遠くないということで、絵竜が記憶喪失でなければ少なくとも成人女性という決して軽くない荷物を担いでまで道案内に神代を連れては来ない。街の大きな病院から自分の家の方向くらいは普通わかるだろうからだ。よって少なくとも絵竜の記憶喪失を否定しては神代の憶測は成り立たない。成り立つのは神代なみに絵竜が方向音痴だった場合だ。まあこれは否定する材料が今のところないのだけど。
「ぐぁ!?」
別にそのつもりもなかったが追い打ちになってしまった。
そんな神代の悶絶の声とは関係なく、
――――オウルシステム(ログ)――――
・魔物の接近を感知
―――――――――――――――――――
「げ」
オウルシステムのウィンドウが強制的に視界に入り込み、警告を発する。
「ていうか魔物ってなんだよ」
それにさっきはわざわざ視界に入り込んでこなかったのになぜ今回は、という疑問もあったが、その理由はすぐにわかった。強制的に通知しなければ間に合わないからだ。
警告に続いて【走査】が起動して脳内に直接その『魔物』とやらの位置が示される。
スリーマンセルで動くのがあのチンパン(仮)のデフォルトなのか、三体が勢いよく絵竜たちのいる屋根に登ってきている。建物の影になって視界には捉えられない。
視界に捉えたときにはもうその爪を振りかざして襲いかかってきていた。
――あ、これは間に合わないな。
冷静に思う。
冷静に近いうちの一体の爪を躱して懐に入り込み、投技でもう一体にぶつけて二体とも地上に落とす、が。
もう一体は対処が間に合わない。
「――ぇ、」
そんな言葉にもならない小さな呟きが神代の最期だった。
神代はチンパン(略称)になんの反応もできず、至極あっさりとその喉を半ばまで切り裂かれ、ぐるりと白目を剥いて崩れ落ちた。
噴き出した血が絵竜にも飛び散ってかかる。
絵竜は冷静に、神代を殺害したチンパン(略称)を回し蹴りで地上へと落とし、自らもそれを追って飛び降り、一体の頭をついでに踏み潰し、残り二体も前と同じように処理した。
一応ということでまた屋根に登り、神代の様子を見るが、すでに絶命していることを確認できただけだった。
「……起き上がらない、よな」
それは当然だ。頸動脈や頸静脈は疎か第二中枢神経にまで達する傷を負って生きているはずがない。知識もそう言っている。これで生き返らせるのは人間の取れるあらゆる手段を以ってしても不可能だと。
頭を振って切り替える。ミクがこうなる前に探し出さなければ、と。
「……結局、魔気回路活性者ってなんだったんだろうな」
何一つそれらしいところを見せなかった神代を振り返って、そんなことを思った。
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