第8話 テストコンバット

「あ、このままだと内臓破裂か」


 窓を飛び出してから気付いた。


 神代のことである。

 身体強化している絵竜は3階の高さくらい、地面がコンクリートだろうとアスファルトだろうと大した問題はないが、着地の衝撃で肩に担いだ神代の腹部は圧迫され、内臓破裂および場合によっては肋骨骨折から気胸まで負ってしまうかもしれない。

 かといって今から神代の抱え方を工夫するのは難しい。


 仕方ないので着地寸前に神代を放り投げた。


 彼女には道案内してもらわなければならないので、喋れなくなっては困る。


 どうにも今の絵竜は知識が引き出されるまでワンテンポ遅い。というより、考えなくてもわかるようなことを即座に判断できない。というか判断する前に行動に出てしまっている。

 言うまでもなく記憶喪失のせいだろうが、おそらく『緊急時モード』とやらが発動しているせいでもあるに違いない。行動が拙速になるよう誘導されている気がする。


 そんな言い訳めいたことを、一拍遅れて落ちてきた神代を受け止めて肩に担ぎ直しながら考える。


 振り回した神代が完全に目を回して伸びてしまっているからだ。こうなっては道案内も望めないだろうに、こんな当然の帰結も行動に出てから思いついた。遅すぎるという話である。


 尤も、向かうべき方向はわかっている。このまままっすぐ、火事が起きている方向だ。

 彼女に案内してもらいたいのはその近辺にミクの家があるかどうかと、その詳細な位置と、そこにミクがいなければ避難所の位置だ。

 火事の方向にミクの家がなければ遠回りになるが、その場合は少なくとも火事には巻き込まれていないということで、最低でも猶予が見込める。それほど時間のロスを気にしなくてもいいだろう。いや、気にしたほうが良いのだけど、神代が復調するのとどちらが早いかなんて判断しようもないことにかかずらうよりは、確実に判明している方を選択したというだけである。


 そういうわけでまっすぐに火事の方向へ向かう。


 なお、まっすぐというのは字義どおりの意味であり、道の有無は無視するということを示している。さすがに木々や建物は避けるか飛び越えるかするが、そんな駆動をする絵竜に担がれている神代への負担は相当のものだろう。


 そのことに走っている最中に気付くが、パルクールじみた道なき道を行く移動術には手が必要だ。木々の枝や建物の縁を掴むのにせめて片手は開けておきたいので、前で抱きかかえるという方法は採りたくない。


 神代も警察官を名乗るくらいだし、トレーニングを受けているだろう。だからまあ、大丈夫だと思う。いやさすがに、警察官が受けるトレーニングがどの程度のものかまでは知識にないのだけど。あと、神代の体格的にそれほど体力に優れているようにも見えないけれど。正規の警察官ではない疑惑の6割がそこから来ていたりするが、絵竜は努めて無視した。


 そうやって火事現場に近づいていたのだが、とある二階建て一軒家の屋根の上を器物損壊してまた一つ罪状を加算したときに、地上に違和感を覚えて立ち止まる。


 一目でわかった。


――アレが怪物か。


 なるほど、異形だ。

 姿形は実在の動物などを歪にデフォルメしたような感じだが、それよりも異形に感じるのは、その怪物が何か変な、色も定かでない湯気のようなものを纏っていることだ。それが怪物の輪郭を曖昧にして、異物感を強調し、何か物騒な感じを醸している。


 生理的と言うか、本能的にわかった。

 アレが人間の、いや、生き物の敵であると。

 アレは生き物を殺すためだけに存在するのだと。


 それが証拠に、アレらに殺された遺体に必要以上の損壊がない。

 

 加虐を楽しむこともなく、食らうつもりがあるわけでもなく、どこかに餌として保管しようという様子もない。

 ただ殺されただけの人の遺体。


 怪物の有機的なフォルムに反して、そこには機械じみた印象しかない。


 そのせいなのだろうか。

 

「――ひっ、あ、あれ……って、死んで、死んでる?」


 絵竜が人の遺体に対して感じるものが、怪物の異様な気配に当てられてか目を覚ました神代のように、戦慄や忌避感、あるいは怒りではなく、違和感であるのは。


 ――彼らはなぜ起き上がらないのだろう。

 

 そんな奇妙な違和感を懐いている。


 あたかもアレらに殺された者は息を吹き返すのが当然のことだと、絵竜が認識しているかのように。


 そんなこと、あるはずがないのに。


 それにそんなことは今、重要ではない。


 拘束を解いた神代を横に放りだして、何か文句を言ってくる彼女をまるっと無視してアレらを強襲する。

 具体的には3階分の高さからの飛び蹴りだ。


 いくら身体強化しているからといって受け身も何も取らずにしかも勢いをつけてこの高さから飛び降りれば、無事では済まない。病院の窓から飛び降りた際には膝のクッションくらいは使っていた。けれど、例えば飛び降り自殺で下に人がいた場合、身を投げた側ではなく下にいた側が死んでしまうことのほうが多いように、被害の大きさは受け止める側のほうが大きく、また飛び降りた側は相手がクッションになってある程度被害が軽減されるのだ。


 もちろん絵竜にそんな計算があったわけでもなく、考えていたのは別のことだ。


 チンパンジーの身長を人間大にしたみたいな形状の怪物に絵竜の飛び蹴りが突き刺さる。

 斜め上からの打撃を食らったチンパン(略称)はまるで地面から跳ね返されるようにして吹き飛んだ。


「――物理法則には従っている」


 それを確かめたかった。

 もっと言えば、物理的な作用で倒せるかどうか。

 神代が思っているように、なんらかの超能力でしか倒せないのかどうか。


「重さも見た目通り」


 塀から更に跳ね返ってきたチン(チンと略称のダブルミーニング)を蹴り上げると、一メートルほど浮き上がる。


 軽くジャンプして後ろ回し蹴りでチンパン(略称)の頭部を踵に引っ掛けるようにして引き込み、アスファルトの地面に叩きつけ、僅かに跳ね返った瞬間を狙って踵で踏み潰す。


「……そこまで頑丈ではない、か?」


 グシャっとチンパン(略称)の頭部は潰れた。


 アスファルトが少々抉れるように凹み、いくらか飛び散っているが、動物の骨は鉄材並みには頑丈なはずなので、この程度で四散することはない気がする。ちょっと比較になる知識がないので定かではないが。


 そしてチンパン(略称)は、その身体全体が、纏っていた不気味な湯気のようなものに変化して、あたかも風化するかのように消え去った。


「格闘で倒せないわけではない、と」


 これは【身体強化】が何か超常的に作用している可能性もあるので、確実ではないが、通常物理攻撃でも怪物を倒せるという傍証の一つにはなる。


 更なる検証のために、何か長大な爪を振りかざして襲いかかってくる残りの怪物どもの攻撃を避けながら砕けたアスファルトの破片を拾い上げ、怪物どもに投擲する。


 さすがに銃弾ほどの威力は見込めないが、多少のノックバックが見られた。


 間接攻撃が効かないわけではない。やはり銃器が自由に使えれば仕留めるのは難しくないような印象を受ける。


「でもおかしいな」


 怪訝に思うことはあるが、今の時点でこれ以上の検証は危険だ。

 できる限り速やかに始末するべく、チンパン(略称)を仕留めたのと同じように、塀とか地面とかに頭を叩きつける方法で仕留めた。


 数秒を置かずに怪物は風化する。

 仕留められたことがすぐにわかるのはいい。残心を最低限にできる。


――怪訝に思うのは、あの程度の衝撃でノックバックが発生したということだ。


 絵竜が記憶を失うきっかけになった事故。

 その事故では、逆さになった軽トラックが歩道に突っ込んできたということだった。

 怪物が関わっているのなら、その状況は怪物が走行中の軽トラックを、逆さになるように投げるか弾き飛ばすかなどをしていたと考えるのが自然だろう。走行中の軽トラックを凌駕する運動量で対抗しなければそんなことはできない。あんな軽いアスファルトの破片でノックバックするような重さでは、不自然極まりない現象ということだ。


 いくつかこの不自然さを成り立たせる理屈は思いつくが――あの怪物どもは完全に物理法則に従っているわけではない。死体が残らないという以外にも、それがあることを念頭に入れておくべきだろう。


 屋根上に放りだしておいた神代の元へとツーステップで戻ると、四つん這いになって下を観察していたらしい神代が目を見開いて絵竜を凝視してきた。


 その目に宿っているのは、明らかに恐怖だった。


 怪物に向けていたそれと同じ視線。


 それを受けて絵竜は、神代は顔芸が達者だな、と改めて納得していた。

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