第7話 サイコパス認定は覆りそうにない
少し状況を整理してみよう。
――――オウルシステム(ログ)――――
・オートレジスト
┡【身体強化】:実行中
┡【思考加速】:実行中
・オートアダプト
┡【暗視】:実行中
┡【暗号解析】:実行中
⚙
―――――――――――――――――――
危機感に呼応してか、【思考加速】とやらが発動した。未だにひっきりなしに鳴り響くサイレンの音が引き伸ばされて、ほとんど音というより微弱振動としてしか感じ取れなくなる。思考を加速しているというより、まるで自分だけ速さの違う時間の流れに身を置いたかような不可思議な体感。
なんにせよ助かる。これ以上時間の浪費は避けたかった。
まず、不審者こと神代凜花は本物の警察官である可能性がごく高い。しかし真夜中の病室に忍び込み絵竜から事情聴取しようとしたことは正規任務から逸脱しており、翻って彼女個人はそれほどに絵竜から事情を聞き出すことに重要性を見出している。
その事情とは、絵竜が記憶を失いこの病院に入院する破目になった原因である『怪物』とやらに関わることだ。その怪物とやらを絵竜が『倒した』と神代は言っており、その事情を聞き出そうとしていたということは、その怪物への対処に警察が苦慮していることを示している。それは同時に、その怪物には銃器が効かないということを示して――いない。警察が持つ拳銃は諸外国からは豆鉄砲と称されるほど低威力であり、しかも発砲したら出世の道が閉ざされるほど制限が厳しい――と知識にはある。そこから推察するに、有効に銃器を運用できているとは考えにくい。銃器、というか通常武器が効かないと断定するのは早計だ。
神代はそれを知っているだろうか。ある程度の説得力は示されたとはいえ、未だに彼女が警察官だという確信が持てない。それは彼女が、化粧で誤魔化しているが若いためであり、スタンドプレーを敢行するほど浅慮であるためだ。
彼女が怪物には『特殊な能力』でしか対処できないと認識していて、そのために有効な対処法を探すために絵竜から聴取しようと考えたのだとすれば、彼女の行動には筋が通る。同時に彼女の上司が絵竜から聞き取りをさせなかったのは、有効な対処法がないのではなく、現行制度ではその手段を行使できないだけで、記憶喪失の少年から聞き出すことに意義を感じなかっただけではないだろうか。それでも事情聴取くらいはしてもよかったと思うが、何らかの事情があったのだろう。あるいはその事情とは、彼らが認知しているという『特殊な能力』が関係しているのではないだろうか。
オウルシステムによれば神代は『魔気回路活性者』だ。それが具体的に何を指すものか知らないが、それが『特殊な能力』を発揮できる状態にある者、という意味だと仮定する。いわば超能力者だ。それは一般的に周知されるほどではないが、一部界隈では認知されている存在であると神代は肯定した。一般的に知られていないということは、逆に言えば一部界隈によって隠蔽されているということだ。従って神代はその隠蔽される対象だ。そんな神代が警察官を名乗っている。警察手帳の偽造は割と重罪だったはずだ。偽造されたのでなければ本物だろう。ただし、本物だからといって正規のものとは限らない。
どう見ても警察官ではない、隠蔽されるべき対象である神代が、本物の警察手帳を持っていることが真である場合、それを発行できる立場の者が神代にその身分を用意した、ということにならないか。その目的は超能力者の隠蔽と同時にその能力を利用するためだろう。神代が絵竜を『世を忍ぶ悲劇のヒーロー気取りのガキ』と見做したのも、自分がそうだったからという決め付けではないか。
すなわち上司が絵竜から事情聴取を避けた理由とは、神代よりも更に若い絵竜をどのように隠蔽するべきかという対処が決まっていなかったからではないだろうか。記憶喪失が偽装であれ本当であれ、絵竜が騒ぎ立てるつもりがないことが明白であるため、後回しにされていただけという線が濃厚に思える。
やや根拠が薄い感じもするが、大筋は通る。神代が色々と誤解しているという前提が正しければ、ほとんど間違いないと確信できるほどだ。
神代の思い込み激しい感じからするに、きっとその前提は当たっている。
絵竜の置かれている境遇についてはこれでいいとして、目下の問題はその境遇に対して絵竜はどうするべきか――ではなく、現行体制では対処困難な怪物とやらが暴れまわっているという状況にミクが巻き込まれていないかを確かめることだ。
いや、巻き込まれているかどうかはこの際確かめなくてもいい。彼女がどこにいるのかを突き止めて、守りに行くべきだ。
「――ギッ、ぃっ……ぅ!」
突然、内側から突き刺すような酷い痛みが眉間の辺りに走った。
思考が中断される。(ログ)の表示画面でも、一瞬だけ『中断』と表示されて、【思考加速】が消えた。
「ほっ、はひ!?」
神代が驚く。
それはそうだ。彼女の視点からは、警察には柄悪い者もいると首肯した途端に絵竜が苦鳴を上げてダバダバと流れるほどの鼻血を出したのだから。
――――オウルシステム(ログ)――――
・オートレジスト
┡【自動治癒】:起動
⚙
―――――――――――――――――――
他の『実行中』の【】の項目がすべて消えて【自動治癒】だけが実行される。
程なくして『完了』になった。
どうやら【思考加速】は負荷が大きいようだ。あるいは並列的に実行できる【】の数に制限があるのか。どちらなのか気にはなるが、いきなり【暗視】が切れたせいで暗順応していない視界がいきなりウィンドウ以外のものが隠されたようになり認識が混乱を来してそれどころではない。と思えば【暗視】が実行中になって、視界が元に戻った。【暗視】はそれほど負荷がないということなのか。【自動治癒】はそういえば『起動』だった。『実行中』との違いはなんだろう。
いまいちこのシステムの仕様が掴めない。だが検証するのは後でもできる。ログは残っているのだから。今は状況を進めることだ。
鼻血を乱暴に拭ってから、神代の口から猿ぐつわを取り外す。唾液でベトベトだ。
ベッと横に向けて吐き出された神代の唾には赤黒いものが混じっている。絵竜の包帯についていた1週間ものの乾いた血だろう。吐き出すのは正解だ。衛生的に考えて。それを仕返しとばかりに絵竜の顔に吐きつけなかった辺り、思っていたより彼女は寛容なのかもしれない。せっかく手で防御していたのだが。
「美人の唾なら喜んで受けるヘンタイがこの世にはいるからね」
あたかも絵竜がそうであると言わんばかりだ。
あと、美人は美人だが自分で言うなよ。というか、そういうヘンタイに出遭った経験があるのだろうか、もしや。
色々指摘反論したいところだが、努めて無視する。
「さっさと解いてほしいんだけど? ていうか解け」
猿ぐつわを外したことで拘束も解かれるものだと思っていたらしい神代が命じてくるが、口を自由にしたのは単に【】の節約のためだ。さっきの痛みは、確証がなくても同じ事が起こりかねない状況を避けさせるのに十分な威力だったのだ。
「その前に聞きたい。ミクの家がどこにあるか知ってるか?」
神代があの事故について調査していることは確実なので、その被害者であり目撃者であるミクの個人情報も調査しているのではないか、と訊いてみた。
「はぁ? ……ちょっと待って。さっきから気になってたんだけど、あの窓からチラついてる赤いの、何? あと、なんか五月蝿くない? つーか、あんたアタシのケータイどこやった?」
携帯端末のことなら切り裂いたシーツの残りで包んでいる。バイブレーションが煩かったので。
「火災が頻発してる。だからミクは無事か知りたいからアンタに聞いてる」
神代の言う赤い光は救急車のランプのそれだろうが、彼女が求めているだろう答えを返す。
「は、はぁ!? ちょっ、さっさと解け! そんでケータイ返せ!」
「落ち着け。話の流れから、あんたの言う怪物が暴れてるのかもっては予想できてる。だけど夜だから光が見えるだけでそんなに近くない。急行するにしてもピンポイントで向かわなきゃいけないんだ。だからミクはどこだ? 避難所なんかはあるか? あるならそれはどこだ?」
絵竜の計画としては、まずミクの家に向かい、そこにミクがいるなら良し、いないなら避難所にいると仮定してそこに向かうというものだ。
あまりにも一方的な絵竜の都合なのに諭すように言われて混乱したのか、きょとんとした神代はうっかりというように、
「えと、ミクちゃん
「オッケーわかった。ありがとう」
具体的な場所を言われても記憶喪失の絵竜にはどうせわからなかったので、その程度の情報で十分だ。
神代が知っていることがわかればよかったのだ。
「どういたしまして……?
……なぜ解かない?
……なぜ窓を開ける?
……そんでなんでアタシを担ぐ?
前向きの俵担ぎって超怖いな?
――つーか窓枠に足を掛けてなにすっつもりだテメェ!?」
状況報告ありがとうと言いたくなるような神代の問いかけをまるっと無視して、彼女の言葉通りに神代を肩に担いだ絵竜は3階の窓に足を掛ける。
幸いにしてこの部屋の窓枠はずいぶんと広く、芋虫みたいに暴れる不安定な神代抱えたままでも通り抜けるのにそう不都合はなかった。
――――オウルシステム(ログ)――――
・オートレジスト
┡【自動治癒】:完了
┡【身体強化】:実行中
・オートアダプト
┡【暗視】:実行中
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おそらくは神代が想像した通りに、絵竜は窓から飛び出した。
いや、神代は自分が放り出されると想像したのかもしれないが、絵竜も一緒に飛び出しているだけで彼女を見舞った現象としては同じだろう。
「――いやぁぁぁああああ!!」
泣き叫ぶ神代の悲鳴が夜空に轟いた。
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