第5話 ありえなくね?
――――オウルシステム(ログ)――――
・魔気回路活性者の接近を感知
┡状態:緊張
・オートレジスト
┡【強制覚醒】:起動
・オートアダプト
┡【暗視】:実行中
⚙
―――――――――――――――――――
不意に目が覚めた。
それと間を置かず、カチャカチャと控えめな金属の擦れる音が聞こえる。
「(魔気回路活性者?)」
表示されたままだったログに追加された記述を見て、何者かがこの病室に入ろうとしているのだとすぐに察することができた。魔気回路活性者というのがよくわからないが、あまり穏当な感じはしない。というか穏当でないから強制的に目を覚まさせられたのだろう。寝起きなのに頭がぼんやりする感じもない。
ただ、現在絵竜は半身がギプスで拘束中の上にこの病室にドア以外に逃げ場はない。窓には柵がついているのは確認済みである。
――――オウルシステム(ログ)――――
・魔気回路活性者の接近を感知
┡状態:緊張
・オートレジスト
┡【強制覚醒】:起動
┡【身体強化】:実行中
・オートアダプト
┡【暗視】:実行中
⚙
―――――――――――――――――――
いやだから拘束されているのに【身体強化】されても仕方がないのだが。
と思って肘まで覆われている腕を伸ばしてみる。
――メシャァ!
「うわっ」「ぅえ!?」
そして扉を開けて入ってきた誰かの悲鳴と絵竜の驚愕の声が重なる。
絵竜は聞いたことのない異音と共にギプスで固定されているはずの腕が伸びたことに驚いたわけだが、ハスキー気味だが高い声の誰かは自分が何か音を立ててしまったのかと慌てているようだ。絵竜と違って暗いところで何も見えていないためだろう。
つまりチャンスということだ。
思考する前に体が動いていた。拘束されているはずの足を曲げて再び異音を響かせながらベッドから飛び出し、低い体勢から侵入者の足を掬って体勢を崩して背面に回り腕を取って極めながら押し倒す。
「ぃづぅ……っ!」
呻き声を上げる侵入者の口を押さえ、噛みつかれかけたので裂けたギプスの下から包帯をはぎとって口に突っ込み、これ以上騒げないように完全に制圧した。
制圧したのだが、ようやく思考が追い付いてきて、だいぶ困惑する。
主に自分の行動に。
意識を乗っ取られたとかそういうのではなく、まるでこうすることが当たり前みたいに体が動いた。
順当に考えればオウルシステム(緊急時モード)のせいだろうが、(ログ)は更新されていない。
ひとまず、やってしまったものは仕方がないので制圧した侵入者を観察する。
女性だ。見覚えはない。これで看護師とか医者とかだったら早まったことをしてしまったと思うところだが、女性の格好はどう見てもその類ではない。ビジネススーツみたいな格好だ。横顔から伺える年齢と見合っていない気がする。包帯を吐き出そうとむがむが言っている。絵竜の血を吸って鉄臭い包帯なので臭いとでも言いたいのかもしれない。違うか。いずれにせよこのままだと騒ぎを誰かが聞きつけるかもしれない。殺してしまうか。あっさりとそんな思考が湧く自分に驚く。もちろん却下だ。死体を出すと始末が悪い。だが殺さないまでも意識を失わせたほうがいいかもしれない。この女性が侵入した目的がなんであれ、ここまでやってしまっては穏当な関係は見込めない。だからといってここでこの女性をどうにかしても病院から脱出してそれからどうするという話だ。
というかなんでこんなことしてしまったんだろう。命の危険が示唆される状況で監禁されて体も拘束されているという状態が実はすごくストレスだったのか。すごくストレスだった。そんなところに真夜中の寝込みの状態に見覚えのない人物の接近なのだからこの行動も仕方がない。こうして理屈を並べると自分は納得できるが、それをこの女性に求めるのは難しかろう。説得は困難ということだ。
一旦気絶させるのが妥当だ。
そうと決まればすぐに行動する。額を押すように顎を上げさせてむき出しになった頸の頸動脈をきゅっとする。
程なくして女性の体から力が抜けた。
一旦女性の背中から離れてギプスを取り除く。グラスファイバー製と思しきこのギプスは体の可動域が裂けていただけ(足首はさすがに裂けなかったようで固定されたままだ)でついたままだったのだ。引き裂いて全身から取り除く。
そんな場合ではないのにずいぶんな解放感だ。でも臭い。さすがに臭いを落とすところまではやっていられない。
女性が侵入してきた目的が知りたい。ギプスを引き裂くときに結構な音が鳴ったが、誰かが駆けつけてくる様子はないから盗聴マイクはないのかもしれない。それでもこの病室で尋問するのは気が進まない。だからといって他に適した場所に心当たりがあるはずもない。病院から脱出するにしても女性を担いでそれをして見つからないはずもない。せめて病院内の構造を把握していればどこか空いた病室なりに連れ込めたのだが。
――――オウルシステム(ログ)――――
・オートレジスト
┡【身体強化】:実行中
・オートアダプト
┡【暗視】:実行中
┡【走査】:実行中
┡【探索】:実行中
⚙
―――――――――――――――――――
実を言うと期待していたのだが、オウルシステムは応えてくれた。というかある意味このシステムのせいでこんな状況になってしまっているのだから、これくらいやってくれないと困る。
絵竜を中心にした地形――この場合は建物の構造と、そこにいる生物の情報が頭の中に浮かび上がる。システムウィンドウのように視界に投影されるというわけではないので、とても形容しづらい。
なんにせよこれで無人の部屋を探し出せる。
シーツを切り裂いて縄にして女性の手足を拘束し、俵担ぎにして、生物と出くわさない様に無人の部屋に忍び込んだ。絵面がひどく危ないものになっているが、絵竜に自覚はない。
さてしかし、防音設備が整っているわけでもないのだから、尋問で女性に大声を上げさせないようにしないといけないが、そんな便利な手段に心当たりはない。
オウルシステムも無反応だ。手段がないのか、それとも緊急時モードに含まれていないのか。
それに今更だが『魔気回路活性者』というのが気になる。この女性がそれに該当することは間違いない。それが具体的になんなのかは想像しかできないが、システムが【】で示すような何らかの超常的な能力を活性化しているということではないだろうか。ラノベでいうところの魔法とか異能力とか呼ばれる類のものが使えるとしたら、ただ手足を拘束した程度では直接尋問するのは危険かもしれない。医者や看護師、両親やミクに反応しなかったシステムがこの女性の接近に限って【強制覚醒】までして通知してきたのだから、可能なだけ警戒するべきだ。
ここまでやっておいてなんだが、このまま彼女を放置して病院を脱出するのが正解な気がしてきた。女性を不審者として病院を通じて警察に届けるという発想は絵竜にない。病院は信用できないと認識しているからだ。
脱出後どうするかの目途は相変わらず何も立たないが――
サイレンの音が耳に届いた。
ここは病院だ。絵竜が運び込まれたことからもわかるように救急指定病院なのだから、サイレンの音が聞こえるのは別段珍しい話ではない。絵竜もこれまでの入院期間で何度か聞いている。けれどだからこその違和感だった。音が違う。いや、聞いたことのある音と一致するものもある。混在している。
気になって窓から外を窺う。
初めて知ったがこの病院はやや小高い丘の上にあるようだ。街が見下ろせる。その街明かりの中に明らかに違う色が混じっている。火事だ。つまり消防車のサイレンの音が混じっているのか。いやそれだけではない。パトカーもサイレンを鳴らしている。気のせいか、爆発音も混じっている。黒煙が増えているから気のせいではなさそうだ。
身体強化とは聴覚も強化するのか、やたらと煩く感じる。火事といっても割と遠いというのになんでこんなに煩いのだろう。
知らず、呼吸が乱れていた。
どうしてだろう。直ちに危険ということはない。それはわかっているのに、わからない。なぜこんなに動悸が激しくなっているのかわからない。
いやわかった。あの街にはミクがいる。両親がいる。彼らが巻き込まれていないかと不安になったのだ。
両親より先にミクのことが思い当たったのはそれが絵竜の率直な優先順位だからだ。完全に彼らのことを思い出せない絵竜は顔を合わせて会話した数が多いミクのほうに親密感を覚えている。母親はともかく父親に至っては一度しか顔を見ていない。
それだけでなく、事故の際に絵竜はミクを庇った。その情報がある。事故前の絵竜がミクをそれだけ大事に思っていたとかそういう話ではない。それは絵竜が初対面の女の子を庇うような人物であるという、今や失ったパーソナリティの情報だからだ。それも、今でも同じことをするだろうと確信できる情報だ。体験しても追認できない物証や口頭で母親から齎されるそれらとは密度と実感が違いすぎた。
大げさでもなんでもなく、自己同一性とか存在意義とか、そういったものの象徴が『絵竜に庇われたミクという少女』なのだ。
だから絵竜は彼女が危ういならば救わなければならない。絵竜とはそうした人物であるから。
そのためには何が必要か。
使いこなせているとはとても言えず、どこまで何ができるのかわからないオウルシステムに頼ることはできない。
今現在発動している【】だけでも病院を抜け出すくらいは訳が無いが、闇雲にあの火災現場に向かったところで絵竜にはそこにミクや両親がいるのかどうかもわからないのだ。
いずれにせよ情報が必要だ。
ミクが巻き込まれているかどうか。
両親が巻き込まれているかどうか。
ここにまで被害が及ぶのかどうか。
そしてその情報を得るための手段は、今現在だと一つしかない。
この女性だ。
彼女が何かを知っているという根拠は薄弱だが、タイミング的に関係がありそうだというのは牽強付会が過ぎるだろうか。
だってどう考えても記憶喪失の少年を真夜中に訪ねる理由が思い当たらない。
絵竜が遭った事故に関係していることだろうと制圧してから思い当たったが、それを真夜中にする理由とはなんだ。
少なくとも真っ当な理由ではない。
事故状況を聞くに不審極まりない状況だったわけで、その調査というのがありうる線だ。すると彼女の身分は保険調査員か警察か、あるいは被害者側の遺族か、それに依頼された探偵か何かということになる。
絵竜は後ろに行くほど可能性があると見ている。
警察のケースが最悪だ。何しろ制圧してしまって拘束している。どんな法に触れるのかまでは知らないが、公務執行妨害は確実に付くだろう。
けれどその可能性は小さいと見ている。何しろ公共権力がわざわざ真夜中に一人で訪ねてくる理由がないからだ。よほど緊急だったとして、病院に取次を求めるのが自然だろう。少なくともあんなふうに忍んで侵入してくる必要はないはずだ。後ろ暗いことをしている証拠と言えよう。すると彼女の身分や立場は情報を引き出す交渉材料になるかもしれない。
そう思って女性の懐を探ると出てきたのが警察手帳である。
絵竜の思考は止まった。
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