第4話 壊れてやがる

――――オウルシステム(ログ)――――

・オートレジスト

┡【自動治癒】:完了


―――――――――――――――――――


 このオウルシステム(ログ)とやらは、なんか痛みも痒みもなくなったな、というころに前触れなく目の前に出てきた。

 正確に言えばこの半透明のウィンドウが視界に現れたときに、意識しても痛みや痒みを感じないことに気付いた。


 驚いたと言えば驚いたが、どう驚けばいいのかわからなかったので、自動治癒という字面から連想する怪我のことを意識する余裕があったのだ。


 どうやら絵竜は未知の状況に襲われたとき、一旦そちらを措いて別のことを考えてしまう癖があるようだ。記憶喪失のせいで今現在までほとんど全部がそんな状態なのだが。


 おそらく悪癖だろう。未知の状況に素早く対処できないということなのだから。

 事故に遭ったのもそんな風に別のことを考えていたせいではないかと疑ってしまうほどだ。

 まあミクを庇ったというのだから、そんなことはないと思うが。

 危険に直面したときにはまた違った反応をするのかもしれない。


 それはともかく、その悪癖のおかげで今回は大きなリアクションをしなかった。だからこの半透明のウィンドウについては誰にも知られていないと思われる。そもそも絵竜にしか見えないのは食事が配膳されるときに看護師が何も反応しなかったことで明らかであり、ちょっと変な反応をしたところでまさか絵竜にしか見えないウィンドウが現れたなどと思われるわけもない。眼球の動きで察することができるような観察力を持っているならば、話は別だが。


 一応これが幻覚なのかと疑いはしたのだが、大怪我からの回復の早さが異常だということから、逆説的にこれはただの幻覚ではないと考えた。

 他人には見えず、どこかから投影されている映像でもなく、実体もないのだから幻ではある。ただし、システムと書かれている通り、幻を視界に投影する何らかの機能を持った機構によるものだと。


 (ログ)と書かれていることから、これはただの記録だ。

 オートレジストとやらが発動し、そのうちの自動治癒が働いて怪我を急速に回復させて、それが完了したことを通知した、という記録。


 オウルシステムとやらが絵竜に備わっていることを示す証拠。


 けれど絵竜はこれを一旦保留にした。

 下手に弄ろうとしてそれを誰かに見咎められることを嫌った。


 自分が異常な状態にあることは怪我が治る前から察していた。

 それについて病院が察していないはずがないことにも気付いていた。

 そして病院がそれを両親に伝えていない様子であることも察した。


 つまり病院は何らかの目的で以って絵竜を軟禁している。

 何が目的か判然としないながらも、この【自然治癒】に関わることであろうことは想像に難くない。

 従って絵竜は監視されている。ともすればこの部屋は監視カメラやら盗聴マイクやらが仕掛けられていないとも限らない。


 そう推測するには十分な状況証拠があった。

 

 それでも色々判別できない状態だったので、色々と確信が持てるまでは保留にしていた。下手にこのウィンドウを弄ろうとしてそれが悟られたら厄介なことになりかねない。何が目的かわからなくても、異常なことをこれ以上知られていいことなどないだろうと思ったのだ。

 

 だから例えばこのウィンドウの『完了』のフォントがいかにもタップしてほしそうに明滅していることも無視していた。

 幸いにして視界がうるさいと思って念じると視界の端に寄ってくれたので、さほど苦も無く無視できた。念じれば消えるかと思ったが、どうやらそれはなかった。控えめだが主張が強いウィンドウである。


 それを今になって意識して正面に迎えているのは、これを仕込んだのが病院ではないことにある程度の確信が持てたからだ。

 それと同時に、この異常回復が病院による仕込みでないことも確信できた。

 

 病院が何かしら違法な手段で以って実験的に絵竜に異常回復を施した可能性があったのだが、それはこのウィンドウの存在とそれを病院が知らないらしいことから違うと察することができたのだ。

 逆に、なんで明らかな異常である絵竜にそれらしい対応をしないのかがますます疑問だが、偏った参考文献とはいえある程度常識的なことについて知ったことで、絵竜の年齢でしかも記憶喪失の子供に異常の原因を問いただしたところで無駄に警戒させるだけと判断したのではないかと思っている。

 そんな子供がそれを察することができるのはなぜなのかという疑問については、自分自身のことだからこそわからない。両親の様子からすると、事故前の絵竜が特別察しが良い子供だったということもないようなのだが。


 今のところこれ以上判断する材料もないのでそれはさておき、病院にできるだけ情報を与えないようにこのウィンドウについて検証することにした。


 相変わらず『完了』のフォントが明滅している。

 タップしろということだろう。


 タブレットPCでもあればウィンドウを重ねてそれらしくタップできたのだが、はたから見て虚空を指さす様子はやっぱり不審だろう。本当に監視カメラがあるかどうかは知らないが、できるだけ取りたくない動作だ。

 トイレに立つ動作に紛れてタップする動作に見えないように手を動かして『完了』に触れてみても、何も変化はなかった。

 念じることに反応したことから少しは予想していた。おそらくは明確に意思を以って触れなければいけない。

 苦労して用を足しながら少し考えたが、おとなしく消灯時間まで待つことにした。暗闇ならば少々変な動作をしても不審に思われることもないだろうと。

 まさかトイレの中まで監視しているとは考えたくもないが、ここまで警戒したのがもったいないという気分になったのだ。どうやら絵竜はゲームなどで限りある消耗品を最後まで使えないタイプだと、またネガティブな自己像が判明した。


 かくして消灯時間を過ぎてカーテンから漏れる光以外はほぼ暗闇の中で『完了』をタップしようとした指先が暗くて見えず、やっぱり幻なのだと改めて感得した。ギプスで身動きがしづらい絵竜には少々辛い。


――――オウルシステム(ログ)――――

・オートレジスト          

┡【自動治癒】:完了

・オートアダプト

┡【暗視】:実行中


―――――――――――――――――――


 すると勝手にウィンドウに文字が追加された。

 そして暗いのに物が見えるという、なんとも形容しがたい感覚が視界に適用される。いや本当に、どう言えばいいのかわからない感覚だ。輪郭だけがわかるとか、あるいは赤外線カメラの映像のように熱源が色分けされて見えるといった状態ではない。目で見ているのと同じように見えるのに視覚で見ていないというか、明るいところと同じように把握できるのにそこが暗いことがわかるというか。いや本当にどう表現していいのかわからない。わかるのはこの【暗視】というのが、不可視光の変換や光の増幅によって暗視しているわけではないということだけだ。


 ついでにいうとこのシステムを作った奴の英語力は怪しい。怪しいことがわかるので絵竜が作ったのではない可能性がある。しかし意味記憶だけが思い出せる状態だと、エピソード記憶による固定観念に邪魔されることがないために知識的な面では引き出しやすくなっているという可能性もあるので、断定はできない。意味が分かればいいやと割り切っていただけという可能性もある。記憶喪失前の絵竜がこのシステムとやらを自ら構築した可能性はごく僅かにあるということだ。このことは何の判断材料にもなりはしないということでもある。

 

 思考を元に戻して、『完了』をタップする。


 すると、自動的にスクロールしたのか『・オートレジスト』の項目がウィンドウから消えて、『・オートアダプト』の項目が一番上の欄に移動した。


 思わず「たったそれだけのために視界を邪魔し続けたのかよ」と声を上げそうになった。

 なんとか声を抑えて、いや、と思い直す。


 この分だと【暗視】のように自動的に発動した項目の記録が他にもあったのだろう。それは自動的にこのウィンドウから消えたのだ。けれどこの『・オートレジスト』についてはあえて自動的にウィンドウから消さなかったということで、そこには意味があるはずだ。

 

 順当に考えれば『完了』をタップしないと【自動治癒】が止まらないということではないだろうか。

 【自動治癒】が掛かり続けている状態は望ましくないが、掛け続けなければいけない状況というものが想定されている仕様なのだろう。

 なぜ【自動治癒】が掛かり続けていると望ましくないのかを深堀してもいいが、まずはこのシステム自体を把握することが先決だろう。そもそもこのシステムが何なのかについては、考える材料がないので保留にせざるを得ない。絵竜の異常のほとんどがこのシステムによるものだろうと察せられる程度だ。そして少なくとも今のところは絵竜を害するどころか命を救っている。だから信用してもいいとかそういう話ではなく、絵竜がこのシステムが必要な状況にあるということが問題だ。


 このシステムを絵竜に仕込んだものが己であれ誰であれ何であれ、その誰かは絵竜には瀕死からわずか数日で寛解するほどの異常な回復力が必要であると判断したのだ。翻って絵竜がそんな状態に陥ることが想定されているということ。

 ラノベの主人公ならともかく、ティーンエイジャーがそんな状態に陥ることを想定されている状況が普通ではないことが今ならばわかる。とあるラノベの主人公はその状況で自分は普通だと言い張っていたが、主人公なら仕方がない。

 【暗視】だってそうだ。暗いところで動き回ることが想定される状況とはどんな状態だろう。あまり安穏とした状況は想像しづらい。


 備えるべきだ。

 少なくとも命の危機に陥ることが何者かによって想定されている状況にあるのだから。

 そしてそれに講じる手段は今のところこのシステムしかない。最優先で把握するべきだということに疑いない。


 まあそうでなくてもこんな得体のしれないものが自分に仕込まれている時点で調べない理由もないのだが。


 いかにもな『⚙』マークやらなにやらをタップしたり、過去ログが見られないか操作したりして調査を進める。


 その結果、わかったのはこのシステムが現在緊急時モードとやらにあり、ついでにそれ以前にこのシステムが絵竜に定着する前に緊急時モードに入ったために不完全な状態にあるということだった。


 つまり絵竜にこのシステムが仕込まれたのは事故の直前か、少なくともそれ以前のあまり長くない期間ということが確定だ。そしてシステムが完全に定着するまでこれ以上の操作は難しい。

 『⚙』マークをタップしてもバグった画面が表示されるだけだった。

 過去ログは一応追えたが、緊急時モードが強制発動してシステム定着が中断され、いくつかの【】で表される項目が実行されて終了したという記録があるばかりだった。

 では緊急時モードを終了させればいいのかといえば、それもどうやら違う。というか終了のさせかたがわからない。

 『完了』をタップしたことでも終了判定になっていないようなのだ。


 もしや鍵の壊れた箱の中に鍵がある状態なのかと危ぶんだが、少し考えて気付く。


 【暗視】が実行中だから緊急時モードが解除されないのかもしれない。

 けれど勝手に発動したので終了のさせかたがわからない。

 

 色々弄ってみたが、結局これ以上は何も進まない。

 

 諦めて寝た。


 自分が命の危険に晒されるような状況にあるということを自覚したはずなのに。

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