第1話 賢者からの指令
「なんで俺なんだ、ってのは未だに思ってる」
仰臥すると自然と目に入る天を見つめながら男は呟く。
亀裂が走った空から零れ落ちる何かの破片がパラパラと舞い降りており、いっそのこと幻想的だったが、あれは破滅の象徴だ。
だって空の破片が落ちてきているのだ。
意味がわからない。空気くらいしかないはずのそこが破片を零すというのは如何なる現象なのか。
空間が崩壊しているのだそうだ。
それでも意味がわからない。
アレはきっと、人間が理解できていい現象ではない。
「アレが見えて曲がりなりにも戦闘力があるのがもうキミくらいしか探し出せなかったからだねー」
少年とも少女ともつかない声が律儀に、どこか誂うような声音で応答する。
「理屈はわかるさ。でもだからこそなんだよ。なんで俺なんだって思っちまうのは」
「そんなに世界を救う勇者になるのは嫌かい」
「誰か一人が頑張ったら救える世界ってのがあるとしたら、そんな世界が間違ってるって思う感性であるのは、まあ否定しないさ」
「へぇー。いや、正直面白いね。そういう見方をするんだ。だからキミはそんな平々凡々なのに、ここまで生き残ったってことかな。そういった意味ではボクの目がキミに留まるのはきっと必然だったのさ。そう、だからキミなんだよ!」
「今日日、『勇者は生贄の代名詞』ってのは常識だからな。つまりなんで俺が生贄になんなきゃいけないんだって嘆いているんだが、そこんとこ伝わってるか?」
どうして自分が選ばれたのかを疑問に思っているわけではなく、選ばれてしまったことを普通に嘆いているだけなのだ、と男は訴えた。
「もちろんわかってるわかってる。でもさー、ボクの計算によるとあと数時間で完全に世界は滅ぶ。多くの人間……哲学的ゾンビにはもう認識さえできなくなっている世界の崩壊はそのスケールから言えば秒読みで、もう終わっているとさえ言える。選り好みしている暇はないし、正直、これでもボクはかなり焦っている。なんで自分なんだ、ってのを一番思っているのはきっとこのボクだ。なんでボクはそんな計算ができる能力を持ってしまったのか。わかるからこその恐怖ってのは絶対にキミよりもボクのほうが強い。そしてできるならキミじゃなくてボクが行きたいし、キミよりもずっと強い誰かにできるならそりゃそっちを選ぶ。自己犠牲のつもりもなく『自分なら誰も犠牲にすることなく、自分さえも犠牲にせずに世界を救える』とか大言壮語を吐けるような誰かに頼めるならそうするに決まってる。こいつに任せて大丈夫か、なんて不安を抱かせない誰かがいるならそっちにするに、決まってる」
少年/少女の音声はまくし立てるように言い募り、しばらく沈黙した。だが――
「――キャハハ/キヒヒッヒヒヒ/ウフフ/ケケケケ/ケヒヒヒ/ギャハハハ/ウヒ/ニヒヒハハホホヘヘヘキキ/キククククケシシシイs――……失礼」
唐突にバグったように笑い出したと思えばまた唐突に落ち着いた声で謝罪した。
「――あーもうダメダメ。もっかい仕切り直し!」
バターンと、天井が抜けた廃墟のドアを開けて入ってきたのは、やっぱり少年とも少女とも付かない風貌の小柄な人物だ。
複雑な幾何学模様が描かれたカーペットの上で横になっていた男は上体を起こして、呆れたように溜息を吐く。
「何度目だよ、いい加減にしてほしいんだが?」
「む、まだ三度目だよ」
「あと数時間でタイムアップっていうのに悠長すぎないか?」
「あと数時間もあるんだよ? ぜーんぶ終わるのに、あと数時間もできることがないまま待たなきゃいけないんだよ? 存在を分解されて過去に飛ばされるキミと違ってボクはこの術式を発動した後はやることないまま待たなきゃいけないんだよ?」
「その辺、未だに理解できてないんだが、過去に戻って改変して世界救ったら、この場面自体がなくなるんだよな? ならその術式が発動した時点でその後とか考えなくてもいいんでは?」
「だから世界が終わる寸前ごっこをしてるんじゃないか。要はこの場面を再現すればいいんだから。キミはこの場面を本当のごっこ遊びにできるように奮闘してくれればいいんだよ」
「だから、その場合はその後の恐怖時間はなくなっているわけで、俺はここで仰臥している場面に行き着くってことで、やっぱり考えなくてもいい気がするんだが」
というかこんな簡単な寸劇でタイムパラドクスを誤魔化しきれるとは思えない。
「まあぶっちゃけるとその通り。これはタイムパラドクスを騙すためとかじゃありません」
「簡単にゲロったなこいつ。ていうかじゃあなんでこんな趣味悪い演劇させられてるんだ俺は」
ここでこうしているのはただの演出だが、存在を分解されて過去に飛ぶ――回帰する――というのは本当だ。術式が失敗すればただ存在が分解されるだけで、つまり死ぬ、と男は聞かされていた。
そんな場面を寸劇として演じさせられているのは悪趣味としか言いようがあるまい。まあ、本当にあと数時間で世界自体が終わるので、たった数時間の差でしかないといえばその通りだが。
「いやまー。うん、実はさ、回帰術式を発動させるのにこんな魔法陣とかいらないんだ。全部ボクと対象だけで完結してエフェクトとかも特にない。下手したらキミの死体がいつの間にかできているだけってことにもなりかねない。だからせめて前振りの演出くらいは凝りたくって」
「……」
言ってみればキミのためだよ、と訳の分からない理屈で恩着せがましく言う少年/少女に対して、男は絶句というより、もはや無感動だ。色々思うところが多すぎて感受性が殺されている。
「ボクもね、最初はもう政府とか巻き込んで大掛かりな装置とかそれを運用するためのリソースとかの確保に四苦八苦してそりゃあもうドラマティックにこの場面に行き着こうとしていたんだよ。なんかもうなんのために光ってるのかわからない魔法陣とか無駄に複雑な装置とか意味のない放電現象とか、そしてそれらをいかにもなエキストラたちが必死こいて維持して『ダメですもう保ちません!』とか誰だか分からないスタッフが叫んで臨場感溢れる危機感の中術式を発動してさ、あわや失敗か、と慄く中、キミが普通に立ち上がって、おもむろに握りこぶしを作ったと思えば『世界を救うための力は、手に入った。後は――任せろ』とか言ってあの元凶――ダンジョンに向かって飛翔する――っていう場面を作ろうと思っていたんだよ! でもできなかったんだ。仕方ないからしんみり系というか情緒系というか、まあ雰囲気だけでも演出しとこうかなって」
「……もしか、それ政府の人たちに言ったんじゃねえよな?」
「言ってないよもちろん。というか普通に、オリジナルならともかく、今のボクにそんなコネクションないしね」
「説明したら、話を聞いてもらうくらいはできたんでは? お前のオリジナルって、【賢者】なんだろ? それか【賢者】に紹介してもらうとか」
そういうコネを使えば実は自分以外にも条件に遭う(誤字に非ず)人物が探せたのでは、という恨みがましい疑問である。
「オリジナルよりボクの外見年齢は若いし、促成のせいか外見が結構違うから説明しても信じてもらえるとは思えないってのと、オリジナルはもうボクに全部の記憶を移植して、哲学的ゾンビとしても廃人化しているってのがあるね。あとついでに、さっきみたいに発作的にボク発狂するし、そもそも政府側の人間とかもう大半が哲学的ゾンビ化してるだろうし」
「重要情報が多すぎてもうわけわかんねぇな。ついでの比重がおかしいし。演出に凝ろうとする割になんでも軽く言いすぎでは?」
「ボクって劣化コピーでも天才だからねー。情報に重要度とかつけるの苦手なんだ。だいたい全部がボクにとっては等価だから」
まあ天才の価値観を理解できないのは当然だと思い、男は納得した。というか理解を放棄した。
何しろ【賢者】だ。
魔法がこの世界で発生して――発見されて?――から二十年弱の中で、『最も優れたる魔法使い』としての称号を持つ人物、そのクローン(本人はホムンクルスだと言っていた)だと名乗る者の言葉を信じるならば、色々な意味であらゆる価値観を共有できる気がしない。
「ゆっても、ボクの頭脳はそれほど天才ってわけでもないんだけどね」
男が理解を放棄したのを察したか、自称天才は言い繕う。かまってちゃんなのだろう。
「オリジナルより劣化しているっていうのもあるけど、そもそもボクたちは魔法への天才性を有しているだけで、いわゆるIQとかはそんなでもないんじゃないかな。
天才っていうのはいくつか種類があると思うけど、あえてそれらの共通点を挙げるとしたら、法則を類推する能力の高さだ。数学的な才能が強いタイプが天才として挙げられやすいのはそのせいだね。法則を表現するのに数字的記号より適したツールはない。要は傍から見て一番わかりやすいんだ。通常は認識できない法則を体感レベルで理解している人間の見えているものを、そうしたツールを介さずにそうでない人間に理解できるわけもない。
そういった意味で、オリジナルは魔法という既存とは異なる法則が発生した中でそこに向いた天才性を持っていたから、その法則を誰よりも理解できて、十年に一人レベルの天才性でも最高の天才として台頭したんだろうね。逆に言えば、魔法という法則がないところではその天才性が発揮されることはなかったかもしれないってこと」
母数が八十億と考えれば十年に一人というのはかなりレアなのだが、何故かその表現だと大したことがないように感じてしまう。天才ってやつは謙遜の仕方まで理解できない。そもそも謙遜になっているのかどうか。そのつもりがあるかも含めて、理解できない。
「で、まあそんな大したことない天才のしかも劣化コピーのボクでは把握しきれていない部分も多々あるんだけどね。オリジナルによると――基本的にタイムパラドクスなんてのは気にしなくてもいいんだよ」
「気にしなくてもいい?」
「極端な話、世界が崩壊するという結果が確定している現在に於いて因果律とかが崩壊したからってそれが何? ってこと。その因果律を内包している世界そのものが崩壊しようとしているんだから、そこを気にしたって仕方がないでしょ?」
「……いや、言われなくてもそこはそう思うんだが、それってこれからやることが無駄だって確定しているって話になるんじゃないのか? 因果律の崩壊ってのは、つまり終わり方が違うってだけだろ?」
実際に過去にタイムリープして行動する予定の男は、無駄なことに対して労力を割かなければならないのかと憂鬱になる。更に、憂鬱になる。
するとそんな男の様子を見て【賢者】は、何故かニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「キミの主観的には延命になるんだけどね。それこそ政府の偉い人とかは、たとえ無駄になる――世界を救えないと確定していたとしても、キミに取って代わりたいと思うはずだよ?」
政府の人に掛け合わなかった最たる理由がそれだと、【賢者】は言外に言う。
「まあ、それでも、せっかくだしそのあたりの理屈含めて、説明しておこうか。もちろん、ボクが把握している限りだけどね。なにしろ、時間はまだ後数時間はあるんだし、暇つぶしにはちょうどいいかもね」
言って【賢者】は廃墟の天井の抜けていない部屋へと男を促した。
本当に、このロケーションは演出以上の意味がなかったようだ。それが証拠に男が後ろ手にドアを閉じると、降り注ぐ空の欠片が一斉に部屋を埋め尽くし、あっという間にそこはどこでもない場所と化した。
そこはもう、終わった世界になったのだ。
「さて、まずは前提の確認からねー」
まだ生きている人物によって観測されることでギリギリで『終わっていなかった部屋』を後にした二人は、やけに立派なソファーに対面で腰掛けて話の続きをする。
「遡ること18年前、ちょうどボクのオリジナルが生まれた年、なんだか世界中で『何かがズレた』とか『感覚が二重になった』とか『何かが剥がれ落ちた』って感覚が生じたらしい。もちろんボク自身は生まれてないし、オリジナルも生まれたてだったからそんな感覚は知らないんだけど、キミは体験しているんだから詳しい話はいらないよね。それなのにどうしてこの話から入ったかと言うと、そのときに魔法がこの世界に生じたからだ。より正確には、その時までは魔法という法則がこの世界にはなかった、つまり、回帰魔法が遡れるのもその時点まで。その法則がないところにまで魔法の影響を及ぼせない。これはどうも大原則みたいで、今のところボクにはどうしようもないところだね。ここで忘れちゃいけないのは、
さてここまでが、回帰魔法についての前提だね。遡れるのは魔法発生のその日まで。次はこの回帰魔法を使って何を目的にしているか、ということだけど、大雑把にはこの終わる世界を終わらないように改変すること。もっと詳しく言うと、ダンジョンを攻略すること、になる。ただこれはちょっと色々憶測になりすぎて確かじゃない。魔法発生のその日に前後して――そう、前後して、今はダンジョンと呼ばれている異空間が発見された。そしてその日から徐々に世界の崩壊が――崩壊の予兆らしきそれが、そこかしこで観測されるようになった。だからダンジョンがその原因、あるいは元凶なんじゃないかって推測されている。まあオリジナルも同じ見解だから、それなりに確度は高いと思うよ。だからこの元凶を退治、或いは攻略、消滅させることができれば、おそらくこの世界崩壊は免れる。まあ、今の段階になってから攻略できても間違いなく手遅れなんだけど。だからこその回帰魔法ってことだね。キミは18年前に回帰し、できるだけ早い段階でダンジョンを攻略し、世界崩壊を止めなきゃいけないわけだけど、万が一違う可能性に備えて別の手段も模索するのがモアベター。けどまあそこまでは求めないよ。手遅れじゃない時点って、きっと思うよりも早いから。まあ具体的な年数は伏せておくよ。計算違いもありえるし、猶予がわかっていたらさぼっちゃうかもだしね。で、ここまでで気づいたと思うけど、早い段階で改変するって時点でいわゆるタイムパラドクスは避けられないんだ。世界が救える場合、この場面に行き着くことはないから。だから今現在を気にしても仕方がないってことだね。
ここまでが大前提だけど、次はタイムパラドクスに対する対策だね。これについては、言ってはなんだけど、そもそもタイムパラドクスなんてないんじゃないかってオリジナルは考えていたんだ。なにせ回帰魔法なんてものが存在する時点で因果律は狂っている。回帰魔法はオリジナルのオリジナル……ややこしいね、まあボクのオリジナルが作った魔法だけど、時間に干渉する魔法自体は他にもあった。……言いたいことはわかるよ。遅らせるとか早めるなら、時間が相対的な概念である以上、それは不自然な現象じゃないってことだよね? 遡るとなると話が違うって」
「いや、それ以前に、その回帰魔法とやらが胡散臭いって話なんだが。今の話を聞いていても、その回帰魔法が発動したことを実証なんかできないだろ。それとも……或いはお前は、何回目なんだ?」
男の指摘に、【賢者】は面白そうに目を瞬かせる。
「正直面白いね。こんだけ好き勝手話したのにちゃんと理解して指摘までしてくるってのは、本気で予想外だったよ」
キャハハハ、と一瞬また狂ったのかと思わせる笑い声を上げた【賢者】は、けれどすぐに笑い声を引っ込めて、謎めいたことを言う。
「でも残念。ボクはまだ一回も回帰魔法を経験していないよ。せいぜい半回だね」
「……なるほど、オリジナルからの記憶の引き継ぎが、回帰魔法とやらを使ったものだったのか」
「うんうん。理解力マジで高いね! 嬉しい誤算だよ、これは! いや逆に、こんだけ理解力と推理力があるのに無名って、そっちのが不安かも?」
そういった能力の高さと無関係のところに問題があったからこそ無名だったのではないかと、【賢者】は疑いを呈する。
「まあいっかー。そもそもここまで生き残っている時点で只者じゃないのは当然、問題がないわけないもんねー」
あっさりと疑念を放棄した。
「んじゃ、ちょっと話は前後しちゃうけど、回帰魔法についての話をしようか。
これねー、回帰魔法って言ってるけど、実際には類感魔法って言ったほうが近いものなんだ。トポロジーへの高度な理解が必要で、量子もつれの利用とか観測者の定義とか余剰次元と虚数領域のねじれジャンクションとか、ちゃんとした説明はすごく難しいんだけど、すごく端折ってめちゃくちゃ簡単に言うと、近いもの同士の片方への影響を残り片方にも転写するって魔法だね。1人の人物を時間軸上に2つに分けて並べて、現在時点の記憶を過去時点へと転写するわけだ。キミなら想像できるだろうけど、簡単そうに見えて越えなきゃいけないハードルはめちゃくちゃ高い上に多い。実際、オリジナルがこの魔法理論を完成させたのは、哲学的ゾンビ化した後だ。つまり殺されちゃった後なんだ」
「……ああ、ようやく納得できた。だから俺なのか」
「あー、そこに引っかかってたのかー。なんでオリジナルは自分を戻さなかったのかってことねー。ならボクの遍歴をもうちょっと詳しく話したほうが早かったかな。
えーっと、まずオリジナルがダンジョンへの大攻勢に乗り出す前に、ボク、というかボクの雛形を作ります。目的は、自分のバックアップだ。オリジナルをしても死ぬ可能性が高いと考えていたんだね。魔法発生以降、大抵の場合、殺されても死ななくなったとはいえ、すべての身体構造上の問題はないのに魔法能力を失い、一部の認識能力が失われ、生殖能力を喪失し――哲学的ゾンビ化してしまう。だけど逆に言えばそれだけだ。魔法理論を考える頭脳を失うわけではない。なんだかんだでオリジナルは天才だし、自分以外に自分の魔法理論を完璧に再現できる者がいないという自覚を持っていた。そこで自分のコピーを作ろうって発想になるのは、まあ割りとありがちなんじゃないかな。ゾンビアタックただし
「……いや、ところどころ理解できないところがあったが、つまり、【賢者】は回帰したってことか?」
「それがね、オリジナルの意識はボクに回帰したんだよ。言ったでしょ、半分だけって。一度類感魔法で書き込んだことで更に類似性の高い素体となったボクのほうに引き寄せられちゃったんだ。というか、その回帰魔法は未完成というか、欠陥魔法だったんだ。魔法能力と一部認識能力を失ったオリジナルの限界……その魔法理論が本当に正しいのか、シミュレートすることもできなくなっていたからね。だから、その回帰魔法によってオリジナルの意識……天才性を二重に受け取ったボクが、自分の体験も併せてアジャストして回帰魔法を完成させたんだよ。たまに狂っちゃうのはそのせいだと思う。
で、まあそんな廃人化したオリジナルを回帰しようにも、受け取った先がむしろ迷惑するし、ボクは完成時点に回帰したところでたかが知れている。世界を救うにはおそらくボクが生み出されるより前に行かなきゃいけないってのは、さっき言ったよね。いや、君を送り込んだ後に、ボクの意識が残っているようであれば、自分にも試すけどね。それは君が失敗したってことだろうから、別の人を探すなりするさ」
「いや、お前が戻ってまだ廃人化していない【賢者】を回帰させればいいだけじゃないか。お前の素体は【賢者】が哲学的ゾンビになる前に作られたんだろ?」
「……気づいてしまったね……」
「つまりやっぱり、俺は実験体か」
酷い話だった。あまりにも多言を弄する(しかもめちゃくちゃ早口だ)から何かと思えば案の定、男で実験して成功するなら、男が言ったような方法で【賢者】を回帰させることが本命ということだ。
「いやまあ、それも本命と言えばそうなんだけど、リスクがあってね。というのも、ボクがどっちに回帰するかわからないってこと。何せボクは欠陥ありとはいえ回帰魔法でオリジナルの意識を受け取っているわけで、下手をするとボクの素体ではなく、オリジナルのほうに、ボクが入り込んでしまいかねない。あるいは分裂したりね。ボクがオリジナルになってしまえば、それは劣化していくだけってことになる。取り返しがつかないんだ。このリスクはどうやったって回避できない構造上の問題だ。可能な限りやるべきではない。だからどうしたってリスクが最低限の君からってことになる。すると、君が過去改変に成功したら、もう回帰する意味は消えるし、そもそもボクという存在がなくなるかもしれない。だから結局、君が本命なんだよ」
「俺よりも劣化【賢者】のほうが成算が高いのでは?」
「うん、認める。要はボクのオリジナルの部分が、自分が劣化する危険を冒したくないと訴えてくるのが理由です」
降参、とでも言うように両手を挙げて劣化【賢者】は告白する。
劣化でもなんでも、男よりは優れている――上手くやれるという自負があり、その自負ゆえにオリジナルである【賢者】は自身の劣化リスクを許容できない。
ありていに言えば自己犠牲などまっぴらごめんということだ。たとえそれが世界を救うために必須だったとしても。
「気楽にされても困るから色々と言ったけど、まあそういうわけだからさ。キミしかいないわけじゃないけど、キミがやってくれるのが一番いいんだ。少なくとも、ボクやボクのオリジナルにとって、ね。だからお願いできないかな」
「ああ。……というか、最初から承諾はしているだろ?」
嫌厭するような態度でありながらも、劣化【賢者】に唯々諾々と従っていることからわかるように、男はそもそも回帰することを承諾したからこうしているのだ。
「そうじゃなくて、もうちょっと積極的になってほしいんだよ。今言ったみたいに、ボクというかボクのオリジナルの都合だけじゃなくてさ、実際的な話として、回帰魔法に抵抗されると失敗のリスクが上がるんだよ。回復魔法でさえ抵抗値によって通りにくくなるってことは知っているでしょ? 支援系の魔法が流行らなかった最たる理由だよ。あと最後まで医術が廃れなかった理由」
「ああ……また納得した。だからああいう演出に凝ろうとしたわけか」
演出を利かせて男の抵抗値をできるだけ下げようとしたわけだ。しかし見込みどおりには行かず、説得・誘導フェーズに移行したという次第だった。
「なんかもー、最初から全部打ち明けたほうがよかった? もしかして」
言外に劣化【賢者】は男の指摘を認める。
「ああ、実際のところ、催眠を掛けられている感覚があったから警戒していたってところはある」
「なるほどー。全部裏目ってたわけねー」
男にしても、催眠を掛けられようが何をされようが、世界の終わりに瀕したこの期に及んで抵抗する意味はないと理性では判っていたから、あえて指摘はしなかったのだ。けれど無意識のところで警戒が抵抗を生んでしまっていた。まだしも最初から説明を受けた上でのほうが抵抗を弱めただろう。言葉通り、裏目になっていた。
「じゃあ、改めまして、お願いするよ。どうか世界を救ってください」
ペコリ、と頭を下げる劣化【賢者】に、男は――
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