俺の屍は遺らない

葛哲矢

プロローグ 終わる元凶

 異世界を救って帰ってきたらそこは終末だった。


 まあ、終末だと気付いたのは帰ってからしばらくしてのことだったのだけど。


 哲学的ゾンビというらしい。

 生前と何一つ変わらず、特定の対象と事象を認識できない以外には本当に何一つ変わらない、一度殺された者たち。

 大多数の人々がそんな意味のわからない存在に成り果てていた。

 

 おかげで結構な期間を何も知らずに過ごしてしまった。

 なにせ彼らは終末について認識できないのだ。

 認識できないから考察しないし、対策しない。

 それどころか、一度も死んでいない者達が対策することを妨げる。


 少し想像してみればいい。

 大多数ゾンビが脅威を認識できず、少数生者だけが声高に危機を訴えたとして、大多数の誰がそれを支持するだろうか。

 生者の声は狂言として受け取られるのがせいぜいだろう。


 生者の中に強大な権力者が含まれていたとしても、彼らの支持基盤を失う発言はできない。仮に対策を打ち立てようにも、民衆に隠れて行わなければならず、大規模な対策は打てない。

 そしてゾンビの権力者もまた当然存在していて、そんな権力者はライバルの足元を掬うスキャンダルを探しているのだから、民衆どころか権力者からも隠れて対策しなければならない。

 結果として、何もできないのだ。何かしようとしてもただ権力を失うだけで、対策は何もできずに終わる。

 できるとしたら個人ベースの抵抗くらいのもの。

 そうして何も情報が流布されず――されたとしても流言飛語扱いで、ただただ崩壊が進行するのだ。


 やがては、狂っているのはどちらかなのか、それを生者までが見失ってしまう。


 そして気付いてしまう。


 生者だけを殺す異形の怪物。

 ゾンビが増えるたびに崩壊が進む空。


 そんなものを直視するよりも、認識できないほうがずっと楽だということに。

 それがであればなおのこと。

 一度死んでしまえば、怪物に襲われることもないのだから。


 自らゾンビへと成りに行く者が、生者から結構な割合で生じたとき、もはや終末は避けられなかったのだろう。


 そしてそんなタイミングで帰還したわけだ。

 最早どうしようもないタイミングで。


 ちなみに異世界を救ってきたと前述したが、それはその字面から一般的に(あるいはWeb小説的に)想像されるような『勇者として主人公特権チートを駆使して魔王を倒してきた』というような意味ではない。


 そんなわかりやすい元凶はいなかったし、なかった。


 その異世界が陥っていた危機はある意味でこの世界の現状と似ている。


 あそこでは人が人の形を保てなくなりかけていた。

 伝染病とか遺伝子変異とか、そういう話ではなく、ざっくり言えば魂の奇形化とかアストラル体の欠損とかの形而上的な話だ。言い換えると基底現実で物理的にどうこうしようとも解決できない危機だった。


 それを何かが引き起こしているというわかりやすい話ならばよかったのだが、前述の通り、そんなすべての元凶と呼べるものはなかった。

 強いて言うならば、あの世界のシステムがその元凶と呼べたかも知れないが、そのシステムがなくてはそもそも立ち行かない世界なのだから、それを取り除いて、はい解決とはいかないわけだ。手術は成功した、ただし患者は死亡した。では洒落にもならない。


 つまりあの世界を救うとは、そのシステムのデバッグとアップデートのことを指していた。

 デバッグのためには戦闘能力が必要で、アップデートには探索が必要だったから、一概に勇者とは違うと言い切れないところではあったし、旧来システムのバックアップがあったからチートがなかったとも言い切れない。


 それでもずっと思っていた。

 なんで自分なんだろう。なんで自分がこんなことをしなければならないのだと、ずっと思っていた。


 誰でもよかったわけではないことは知っていた。

 人としての形を失いつつある現地人にはできないことだったからだ。


 それでも地球人80億に迫る人々の中からよりによって自分がどうして喚ばれて、そんな奇形化した人と動物しかいないような世界で、十数年にも渡って悪戦苦闘を強いられなければならないのか。

 あそこを救ったのは結果論でしかなく、畢竟、生存本能以外に理由はない。

 最後らへんではその生存本能すらも擦り切れて、最早ただの惰性だった。


 挙げ句に用が済んだら送還されて、帰ってきたそこは終末なのだ。

 それ以前に、十数年もの期間、行方不明だった者が突然現代社会に突然帰還したところでまともな社会生活を送ることなど不可能だ。

 当初、この世界が手遅れだと気付く前から、すでに絶望していた。

 

 異世界で得た力で社会をぶっ潰そうなどという気力はもはや無く、まともじゃない生き方をするのも気が進まない。というかいわゆる裏社会というのだって、そこには法律以外のルールがあり、新規参入は難しく、入れたとして新参者が生きづらいのには違いない。力を振るって伸し上がるのでは社会転覆を図るのと大して変わりはしない。だからといって大人しく振る舞って力を小出しにして、割に合わないことをさせられて、良いように使われて捨てられるのはもう懲り懲りだった。


 そもそもシステムのバックアップを受けていない自分に何をどこまでできるのか。

 デバッグとアップデートに携わった関係で、ある程度の理解はあるものの、それらを自分だけで再現できるとはとても思えない。もちろん部分部分ならば可能だろうが、それで社会を突き崩せるかといえば否だろう。それにそもそもそんな気力はない。

 

 死にたくはないが、積極的に生きていきたいとも思えない。

 十数年もかけて何も得られなかった、それどころか失うばかりだったせいだろう。

 感受性とか人間性とかその他諸々の物質以外の何かを失い続けていた。

 だから未来のために何かを積み立てることがひどく億劫だった。


 生きるために最低限以上の労力をかけたくない。

 そんな精神状態だったのだ。


 そんなだから空の崩壊にも、哲学的ゾンビにも気付かなかった。


 言い訳をするなら、この世界で過ごした期間よりも異世界のほうが長かったせいで、色々な違和感もそういうものだと勝手に納得していた。空の崩壊は軌道エレベーターやら何やらのその影か何かだと思っていたくらいだ。いわゆる正常性バイアスというやつだろう。


 気付きたくなかった。

 気付いてしまったら、いよいよまともでいられない。


 気付いてしまったことが間違いだと思いたくて、打って変わってあらゆる手段を用いてこのすでに手遅れの終末について調査した。


 手遅れという証拠ばかりが積み上がっていく。

 けれどそれはこの事象を認識したときからわかっていたことだった。


 終末について思うところがないわけではない。

 なんだかんだいっても故郷だ。

 幾度も幾度も帰りたいと願った世界だ。

 思うところがないわけがない。


 けれどそんな感傷よりも優先するべきことがあった。


 終末にも段階がある。

 数少ない生者たちが徒党を組んでの最後の抵抗が不首尾に終わったその時が、最末期だった。

 ちょうどその頃には確信していた。

 どうやっても目を逸らせないと諦めた。


 十数年もかけて自分のやってきたことが、この世界故郷を滅ぼすのだと。


 元凶は自分だった。

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