第15話 旦那様に甘やかされる一時
前回のお茶会から少し間が開いた頃、また交流会が開かれるようだから行ってくるようにとギルバートに言われた。
せっかくミリーたちと知り合いになれたのに、あれからアリシアは一度もカフェへ足を運べていなかった。
多忙すぎて行く暇もなかったのだ。
最近は、ギルバートが手配した家庭教師により、上流階級での振る舞い方についてたたき込まれていた。社交界デビューのためだ。
「明後日に予定されている夜会の前に、カフェで息抜きでもしてきなよ」
「……はい」
そう言われ、素直に頷きながらもアリシアは渋い顔をしてしまった。
ギルバートは、明後日行われる上の位の魔術師たちが集う夜会にて、結婚したことを報告しアリシアを正式に妻としてお披露目する予定のようなのだ。
気負わず自分の隣で澄ましていればいいと彼は言うけれど、社交界なんて別世界の催しでしかなかったアリシアにとっては、一大イベント。
気楽に参加出来るわけがない。
(夜会なんてわたしには荷が重い……重すぎる……)
「はぁ……ストレスと緊張で胃がやられそう」
「ハハッ、君って普段から肝の据わった女性なのかと思っていたら、意外と繊細だよね」
「い、意外とって……」
そんなアリシアの反応を見ても、ケラケラと彼は笑っていた。
「だって、初めて会った時の君は、人一人殺す覚悟を秘めた目をしていたんだ。そんな君が、夜会ごときで緊張するなんて」
「あれは……そうかもしれないけれど」
そこを突っ込まれてはなにも言えなくなる。
けれど実の所、本来の自分は、すぐに姉の後ろに隠れてしまうような引っ込み思案で、とても自ら前に出て目立ちたいタイプではない。
「……どちらかと言うと、今のわたしが本来の姿なの。幻滅した?」
かっこつけててもボロが出るだけなので白状する。
自分は彼が期待するような、どんな時でもどっしりと構えていられるような女性ではない。
本当に幻滅され今更いらないと捨てられたりしたら……その先は、あまり考えたくなかったが。
「幻滅? 俺が、君に?」
「っ……きゃっ!?」
ギルバートは、なにを思ったのか突然アリシアをひょいっと持ち上げると長椅子に座り膝の上へと乗せてきた。
「な、なんですか、突然……」
「妻が不安を覚えている時は、抱擁して慰めるのが夫の勤めでしょ?」
言いながらギルバートが、いい子いい子と頭を撫でてくるけれど、これは妻への抱擁というより子供をあやしているような態度だと思う。
「……わたし、子供じゃないんですけど」
「ん? ああ、知ってるけどさ。もしかして、別の意味の抱擁で慰めて欲しかった?」
「ひゃっ」
艶っぽく耳元で囁かれ、アリシアは思わずピクッと肩を竦める。
「ハハッ、ごめんね。残念だけど、それだけは出来ない。君からユニコーンの加護を無くす訳にはいかないからね」
「っ……そんなこと、望んでません」
(あなただって、残念だなんて微塵も思ってないくせに)
調子の良いことを言っているけれど、ユニコーンの件がなくとも、彼は自分を女性として見てはいないんじゃないかとアリシアは思う。
まあ、ギルバートがこうして一線を引いてくれているおかげで、アリシアとしても助かっている部分があるので文句は言えないのだけれど。
「とにかく、あまり気負わなくていいよ。失敗してもいい。たとえば、夜会当日緊張で足がもつれて、自分のドレスの裾を踏んで転んだりしても」
「え、縁起でもない……」
本当にやらかしそうで、アリシアの表情が引き攣る。
「わたしがおかしなことをしたら、あなたにまで恥を掻かせてしまうことになるのに」
正直、自分はそれが一番怖いのかもしれない。
夜会に場違いな自分を妻として引き連れて、ギルバートが笑いものにされたりしたら……
「なんだ、そんな心配? 大丈夫、俺が羞恥心なんて持ち合わせてると思う?」
「…………」
あっけらかんと言われ、言葉を失う。
確かに、そんなもの持ち合わせていなさそうだ。
さすがに失礼かなと口にはできないけど。
「他には、なにが気掛かりなの?」
「他には……あなたが築き上げたこのお屋敷は、とても居心地が良くて好きだから、ここを追い出されることになったら、寂しくて悲しい気持ちになると思う」
もし自分が失敗して、幻滅されて、見限られたら……
「そっか……嬉しいよ。この屋敷は、俺の理想とする世界の縮図だ」
素直に答えたアリシアの言葉に、ギルバートはクスリと笑う。
「君の心配事はなんとなくわかった。けど、大丈夫。君がなにかやらかした程度で、君の価値は変わらない。周りの反応は知らないが、俺の中での君の価値はね」
「…………」
ギルバートは、自分なんかのどこにそんな価値を見い出してくれているのだろう。
今のところ、なんの役にも立てていない自分なのに……
「いつだって君は君の思うように自由でいていいよ。予想外のことを仕出かしてくれたほうが、面白いし」
「面白いって……」
なんだか自分の心配事が、とてもちっぽけな物のように思えてきた。
いつの間にか自分は、魔術師社会の中でうまくやらなければと思ってしまっていたのかもしれない。
彼が自分に望んでいたのは、魔術師の妻として適応してゆくことではなく、その枠を壊すことだったというのに。
「ありがとう、ギルバート。じゃあ、あなたを困らせられるぐらい、自由な振る舞いを心掛けてみようかな」
彼のこの余裕を崩せるぐらい困らせるのは、逆になかなか難しそうだが。
「ハハ、面白い心掛けだね」
アリシアの言葉に、望むところだとギルバートが笑う。
なんだか少し心が軽くなった気がして、吹っ切れたようにアリシアも笑った。
ギルバートの言葉で肩の荷が下りたアリシアは、軽い足取りでカフェ『エデン』へと足を運んだ。
約束をしているわけではなかったが、定期的な妻同士の交流会への参加は、暗黙のルールのようなので、ミリーたちも来ているだろう。
カラン、カラン
「いらっしゃいませ。あっ、先輩!」
アリシアの顔を見て、ベルが嬉しそうに駆け寄ってくる。
先日またミレイユに絡まれていたようだったので心配していたのだが、その後も元気に働いているようでよかった。
そうアリシアが胸を撫で下ろし掛けた時だった。
「アンタ、許さないんだから!」
(な、なに!?)
突然の金切り声に驚いてそちらに顔を向ければ……
そこには、頭から水を掛けられ呆然としているミリーと、そんな彼女を睨み付けるミレイユの姿があったのだった。
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