第9話 契約執行
「ずっと探してた。君のような存在を」
アリシアの頬を撫で、ギルバートはふっと意味ありげに目を細めた。
そして不意に自らのシャツのボタンを外し上半身を露わに晒す。
アリシアは目のやり場に困ってしまったが……視界に入る均等のとれた美しい躯体には、数多の印が刻まれていた。
「綺麗……」
思わずそう呟く。
「ありがとう」
ギルバートは、アリシアの反応に薄く笑った。
「見るだけで畏怖を感じる者もいるから、不用意には晒さないようにしてるんだけど……君は、お気に召してくれたようでなによりだ」
(そうなの?)
アリシアには、畏怖なんて感じない。禍々しくも美しい刻印に、目を奪われてしまうほどだ。
「この刻印は、代償と引き換えに悪魔の力を手にした証」
ならば、その刻印が多ければ多いほど、それだけの代償と引き換えに力を得ているということだろう。
「ただ、人の身で魔の力に手を出しすぎると、精神が蝕まれてゆく」
代償魔法に手を出したはいいものの、闇に飲み込まれ化け物となり退治されてしまう事例はアリシアも聞いたことがある。
そんなリスクを恐れ、代償魔法には手を出さす、魔力のみを使用するエレメント魔法しか使わない魔術師が大半なのだが……
やはりこの男も野心があり、代償魔法に手を出した一人のようだ。
「……より強大な力を得たいのは、復讐のため?」
「ああ、どうしてもこの手で消したい男がいるんだ」
「それは、魔術師の中にいる人なの?」
「これ以上は、まだ秘密」
ここまで巻き込んでおいて? そう思ったが、彼がそう言うなら深入りはやめよう。
けれど、ならばますます不思議だ。代償魔法で精神を犯されないように均等を保つ方法として、一番有効なのは力の強い白魔術属性の妻を娶ることなのに。
夫婦として契約を交わすことで、陰陽の魔力の流れを落ち着かせるのだ。
それなのに魔力を持たないアリシアを妻にすることのメリットは、なにもないように思うのだが。
「……本当に、わたしを妻にしていいの?」
「もちろん。君が欲しい」
「っ……」
ギルバートの言葉のどこまでが真実なのか、分からないけれど……彼はアリシアの復讐を手伝ってくれた時、言っていた。
自分も魔術師たちへの復讐を望んでいるのだと。そのために、自分の存在を必要としてくれるのなら……
「いいですよ、わたしもあなたを手伝いたいから。そのために必要なら、その儀式というのも受け入れられる」
「失敗すれば、命はないけど……それでも?」
「大丈夫です。もうこの世に、未練なんてないもの」
潔いアリシアの台詞を聞き、ギルバートは満足そうに目を細める。
「フッ、並の人間なら、ここは恐怖で泣き叫ぶところだと思うよ」
可愛げがない女とでも言いたいのだろうかと思ったが。
「いいね、俺好みの反応だ。パートナーにするなら、肝が据わった女がいい」
ギルバートにとっては、今の反応の方がお気に召したようだ。
「じゃあ、遠慮なく。そろそろはじめようか」
「っ!」
彼がパチンッと指を鳴らした瞬間、魔法陣から伸びてきた闇色のツタが、容赦なくアリシアの体に絡みつき始める。
「クッ……あぁあぁぁっ」
胸が焼けるように熱く、精気を吸い取られているような感覚がして……そこでブツリと意識が途絶えた。
「ここ、は……っ」
気がつくと奈落の底のような場所に漂っていた。
そこにはギルバートの気配もなく、なにも見えない。
闇色のツタが体中を這い回る言いようのない感覚に嬌声をあげながら、アリシアは藻掻くように宙へ手を伸ばす。
その瞬間、絡みついていたツタが消え、アリシアは見たこともない草原に放り出された。
どこからか川のせせらぎが聞こえてくる。そよ風に揺れる花の香りが鼻腔を擽る。
先ほどの地獄のような空間は、幻覚だったのだろか。それとも……
自分は儀式とやらに失敗し、命を落としてしまったのかもしれない。ならば、ここは天国だろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると、馬の蹄の音が近づいてきた。
「え……」
大人しく草原に座っていたアリシアの前へ、美しい白馬が現れる。
いや、ただの白馬ではない。
(ユニコーン?)
額に大きな角を持つ生き物が、頭を垂れアリシアの頬にすり寄ってきた。
立派な角で突かれたらひとたまりもなかったが、どうやらこちらに敵意はなさそうだ。
「ねえ、ここはどこなの?」
聞いても答えてくれることはなかったが、アリシアが頬を撫でるとユニコーンは気持ちよさそうに目を瞑る。
するとユニコーンの角が閃光し、胸に暖かな何かが宿るのを感じながら、アリシアの意識は再び遠のいていった。
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