第8話 新婚初夜

「えっ、ルーシーさんも魔力がないんですか?」

 のぼせていた体調も良くなりギルバートから解放されたアリシアは、部屋に戻りルーシーと少し話したのだが。

 そこで聞かされた事実に驚きを隠せなかった。


「はい、驚きますよね。ギルバート様のように身分の高い魔術師に仕えられるのは、中流階級以上の者であることが一般的ですもの」


 それがこの島での普通なのだ。けれど、この屋敷の使用人やギルバート直属の部下たちの中には、ルーシーのように魔力を持たなくとも、才能や実力を買われ働いている者も少なくないという。


「私は幸せ者です。下流階級の身でありながら、こんなに伸び伸びと働かせていただいているのですから」

 ルーシーの表情に嘘はなさそうだ。

 彼女にとってここは、本当に働きやすい環境なのだろう。


 聞けば、この島で唯一下流階級の者でもそれなりの給金がもらえる、あの差別が横行しているカフェ『エデン』より、よほど待遇も良さそうだった。


(この島に、こんなにも環境が整っている場所があるなんて)


 にわかに信じられない。それが正直な感想だ。


「明日の夜には、結婚式の準備が整います。今夜はゆっくりとお休みくださいね、アリシア様」

「っ……ありがとうございます」


 自分が魔術師と結婚……実感がわかぬまま、怒濤の一日を終えたアリシアは、寝慣れないふかふかな天蓋付きベッドに入り目を閉じた。




 次の日は、朝からバタバタと結婚式の準備に追われ、昼には寸法を測られ、溢れる程の純白のドレスの中から夜に着る物を選んだ。

 ギルバートには、オートクチュールじゃなくてごめんねと言われたが、さすがに一日で一からドレスを制作するなんて無理な話だし十分だ。


 屋敷の使用人たちは、みな突然現れた魔力を持たない花嫁を、心から歓迎してくれているようだった。

 昨日までの生活と一変し、夢でも見ているようだが、夜になりウエディングドレスを身に纏っても、アリシアの心が浮かれることはない。


 迎えの馬車に乗り、付き人と小さな湖畔の教会に着くと、教会の中で待つギルバートの元まで一人で向かい、慎ましやかな式が始まる。


 立会人の初老紳士に、いついかなる時も夫となるギルバートを支え寄り添い供に歩む覚悟はあるかと問われ、すでに魂まで捧げると誓ったアリシアとしては、なんの抵抗もなく誓いの言葉を口にした。


 ギルバートも同じ誓いを立てると、アリシアの頬に誓いのキスを落としたのだった。




 二人きりの結婚式を恙なく終え屋敷に戻ると、ドレスを脱いで一息吐く暇もなく夕食を済ませて、湯浴みをするようにとルーシーに言われた。


 また湯浴みのお世話をさせてくださいと言われ、昨日と同じように一人で入りたいと頼んだが、今日のルーシーは引いてくれない。


「今夜は大事な夜ですもの。私にも湯浴みのお手伝いをさせてくださいませ」

「え?」


 結婚式も終え、もう今日の一大イベントは終わったつもりになっていたアリシアは最初首を傾げたが……ルーシーの言葉の意味を理解し、なんともいえない表情を浮かべてしまった。


 そうか、結婚式を終え自分たちは形式上夫婦となったのだ。


 そして今夜は、新婚初夜となるのだろう。




 結局ルーシーに押し切られたアリシアは、湯浴みの世話をされ、風呂上がりには上品なバラの香りがするオイルで、丁寧にスキンケアまで施された。


 その後、滑らかなシルクの手触りが上質な薄紫色のネグリジェを着せられ、昨日同様柑橘系の爽やかなジュースを一杯いただいた後、ギルバートの待つ寝室へと連れて行かれる。


 だがルーシーの甲斐甲斐しいお世話もここまでのようで、一人で部屋の中へと入れられドアを閉められてしまった。


「来たか」

 窓辺でウィスキーの入ったグラスを傾けていたギルバートが、こちらに振り向きコトリと机にそれを置く。

 その何気ない仕草や視線が妙に艶っぽく感じられて、アリシアは思わず息を呑んだ。


 胸元のボタンを二個ほど開けたラフなシャツ姿が、彼の色気を増しさせているのかもしれない。

 出会ってから今まで、上質なスーツを纏った隙のない格好しか見ていなかったから……


 チラリと見える胸板に、入れ墨のようなものが見えた。悪魔と契約を交わしている魔術師の体には、刻印が浮かんでいるものだと聞いたことがある。


 彼もこの世のものではない存在と、契約を交わしているのだろう。


「あの……」

 なんて声を掛けていいのかわからずにいるうちに、おいでと手を差し出された。

 黙って従い手を取ると、そのまま彼の胸へと引き寄せられる。


 アリシアだって子供じゃない。新婚初夜になにが行われるのかぐらい承知のうえだ。

 けれど、子供時代は姉の期待に応えるべく勉学に明け暮れ、ここ数年はグレッグへの復讐だけを糧に時間を費やしてきたせいで、色事に関しては無縁な日々だった。


 そのことに後悔はないけれど、こんな時どう反応するのがまっとうなのか分からないし、困ってしまう。


「緊張してる?」

 無意識に強張っていたアリシアの緊張を解すように、ギルバートが腰のラインを思わせぶりな手つきで撫でてくる。


「っ……それなりには」

 変な声を上げそうになったのをグッと堪え、アリシアは彼の胸に顔を埋めたまま答えた。


「なにも心配はいらない、ただ黙って身を委ねていればいい」

「……はい」

 アリシアが頷くと、彼は口元に微かな笑みを浮かべた。


「では、儀式を始めよう」

 儀式という言い回しに多少引っかかりながらも、アリシアは大人しくベッドに押し倒される。


「今から君には約束通り、その肉体と魂を捧げてもらう」

「……え?」

「いいな」


 拒否権のない同意を求められた。けれど、彼の言うとおりこれは最初に交わした約束の通りだ。


「はい」

 頷いたと同時に、部屋を照らしていた明かりは全部消え、アリシアが寝かされたベッドを囲うように闇色の魔方陣が浮かび上がる。


 悪魔の生け贄にでも捧げられるのだろうか。そう他人事のように思いながらも、アリシアはこの状況を受け入れた。

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