第6話 魔術師の花嫁になったわたし

「な、なにをヒソヒソと話してっ……いるのですか?」

 さっきまでの威勢はどうしたのか、怯えた表情でグレッグはこちらの様子を伺っている。


 だが、ギルバートは、まるでグレッグの声など届いていないように、アリシアだけを見つめていた。


「契約成立だ。俺の花嫁殿」

「本当にいいの? わたしの望みは、あなたと同胞の魔術師への復讐ですよ」

「同胞?」

 アリシアの言葉に、ギルバートは氷のように冷たい微笑を浮かべる。


「あんな下品な輩と同じに思われるのは、不服だな」

 気分を害してしまっただろうかと思ったが、アリシアを見つめる彼の目はどこか楽しげだ。


「奇遇なんだけど、これは運命の出会いだったのかもしれない。俺もずっと望んでた……魔術師たちへの復讐の機会を」

 その嬉々とした表情は、狂気を孕んでいるようにも見え、美しさも相まって思わず肌が粟立つ。


「それで、俺の花嫁殿。この男には、どんな復讐をお望みなんだ?」

「ひっ!?」

 顔面蒼白のグレッグは、歯をガチガチと鳴らしながら、やめてくれと訴えるように首を横に振っている。


「この男は、わたしの姉を殺したの。だから……」

「ゆ、許してくれ! おれは、真剣にハンナに惚れてたんだ! なのに、あの女っ、魔力もない下流階級の女のくせに、このおれ様からの好意を無下にしたからっ、だからっ」


 だから、殺されても当然だったとでも言いたいのか。話にならない。

 よくも惚れていたなどと言えたものだ。本気で愛していたなら、下流階級の女のくせになんて言葉が出てくるだろうか。


 アリシアは、なんの同情も芽生えないまま望みを口にした。


「姉と同じように、この男も火炙りにして」

「承知した」


「やめてくれーっ、命だけはっ、グアァアァアァアッ!!!!」


 ギルバートが手を翳す一瞬で、グレッグの体が炎に包まれる。


 アリシアは、もがき苦しむ彼の姿を、目を逸らすことなく見届けた。




 全てが終わった後、張り詰めていた緊張の糸が切れ、アリシアは脱力感に襲われた。

 ヘナヘナと地べたに座り込んだところを、ギルバートに軽々と横抱きにされどこかへと運ばれてゆく。


 廊下ですれ違った美女たちがこちらを見て、あの子は誰だと騒いでいた気もしたが、そんなこと気にする余裕もないぐらい、アリシアはぐったりしていた。


 ああ、これで全て終わった。刺し違える覚悟もしていた復讐を遂げたのだ。


 だが、その代償として、この島ナンバー3と呼ばれる魔術師に自分の全てを捧げると誓ってしまった。


 魔術師の花嫁なんて、魔術師の次に嫌いな人種になってしまった。

 けれど、まだなんの実感もわかない。

 生きる糧だったとも言える憎しみの炎が消え、抜け殻になったような気分だった。


(この肉体も魂も捧げろって言われたんだっけ……怪しい魔術の実験台にでもさせられるのかな)


 この先、どんな苦痛が待ち受けているのだろう。

 なぜこの男は魔力も持たない下流階級の自分なんかを拾い、花嫁に望んだのだろう。


 わからない。でも、もうどうでもいい。


(なんだか、疲れちゃった……)


 ここ数年の疲労が一気に襲ってきたかのように、アリシアは気がつくとギルバートの腕の中で意識を失っていた。




「ぅ、ん……」


 意識を取り戻したアリシアは、まだ重たい体をなんとか起こす。

 そこはまったく見覚えのない天蓋付きのベッドの上だった。

 見渡すと白系の調度品で統一された品の良い部屋が広がっている。


 ぼんやりとした意識のままだったが、ギルバートの屋敷まで連れてこられたのだなと察しはついた。

 冷たい石畳の監禁部屋にでも閉じ込められ、実験の時にだけ外に出されるような生活も覚悟していたので、目覚めたのがふかふかのベッドの上だったことに拍子抜けする。


「まあ、お目覚めになりましたのね、お嬢様」

「え?」

 この屋敷の使用人と思われる女性が部屋にやってきた。綺麗な人で、年齢はアリシアより少しだけ年上だろうか。

 いきなり自分なんかを、お嬢様だなんて呼ぶものだから驚いてしまう。


「ギルバート様から、お嬢様のお世話を任されました。私、ルーシーと申します。あの……差し支えなければ、お嬢様のお名前をお伺いしてもよろしいですか?」

 そういえば、ギルバートにもまだ名乗っていなかった気がする。

 名前も知らない娘を花嫁に望むなんて、冷静に考えれば考える程正気の沙汰じゃない。


「わたしは、アリシアと申します」

「アリシア様、なにかありましたら、私になんなりとお申し付けくださいね」

「……ありがとうございます」


 なんだ、この待遇の良さは。アリシアは困惑した。

 予想していた奴隷のような扱いとは、かけ離れている。

 だが、まだ油断できない。魔術師なんて、この世界で一番信用できない存在なのだから。


「ギルバート様が、アリシア様をお連れになって戻られた時には、屋敷の者たちも大騒ぎでしたわ。ようやくギルバート様が花嫁を見つけて来たのですから」

「えっ……」


 一瞬否定しかけたが、彼女の言っていることは間違いではない。

 口約束ではあったが、彼の花嫁になるとアリシアは受け入れ、その代償にギルバートはグレッグをこの世から葬ったのだから……


「あの、ギルバート様は」

「アリシア様がお目覚めになったら知らせるようにと言われております。けれど、まずはその前に軽く湯浴みなどいかがですか?」


 状況を把握したくて逸る気持ちもあったが、言われてみれば自分は仕事着のままだったし、じっとりと嫌な寝汗も掻いていたようで、肌がベトベトして気持ち悪い。


「……そうですね。お願いできますか」

 アリシアが遠慮がちに湯浴みの準備を頼むと、ルーシーはもちろんですと笑顔で応えてくれたのだった。




「ふぅ……生き返る」

 軽い湯浴みと言っていたので、お湯で体を流す程度だと思っていたのに、ルーシーが案内してくれたのは、お湯の張った大浴場だった。

 湯浴みのお世話をさせてくださいと言われたが、同性とはいえ体を他人の洗われるなんて恥ずかしすぎる。

 だから丁重にお断りして、一人きりにさせてもらった。


 なにが入っているのか、乳白色のお湯に浸かっているだけで、お肌がすべすべになってきた気がする。


「これが、上流階級の暮らし……」

 アリシアの住んでいた地区には、湯に浸かるなんて贅沢な習慣はない。

 冬でも冷たい井戸水を汲んで行水が普通だった。


「これから、どうなっちゃうんだろう。わたし……」


 大きな湯船にポツリと浸かっていると、今更ながら心細い気持ちになってくる。

 復讐に目が眩み冷静さを失ってしまっていたが、とんでもない人物と契約を交わしてしまったのだ。


 煮るなり焼くなりされても、文句は言えないような立場の相手と……

 それなのに、今自分は広い浴槽で贅沢な思いをさせてもらっている。


 混乱からか、なんだか眩暈がしてきた……


(とりあえず、お風呂からあがったら、ギルバート様とちゃんと話をしなくちゃ)


 そう決意しながらも、まだ風呂からあがるのは、もったいない気持ちがして、アリシアはしばらく湯船に肩まで浸かっていたのだった。

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