第29話 気のふれそうな夜 絵が描きたい

 のふれそうなよる きたい


 鬱々うつうつとすると、ペンをにぎって、なにかを紙にいてみたくなる。一本の線は、二本の線になり、三本の線となる。線は直行し、曲行し、交接してゆく。たくさんの線が、私の屈託くったくを示すように紙いっぱいに埋め尽くされ、形象ができあがってゆく。それは幾何学的図形のようであり、また怪奇な動物の形のようでもある。私の思いが形になって現れてくるようで怖ろしくもあった。

 つかみどころのない無聊ぶりょうとらえられると、闇夜の道を駆けてゆきたい衝動がはらの底から湧いてくる。そうなると、もう、じっとして、絵を描くなどできない。夜の街に出て、酒をあびるほどみたくなる。

 この詩句は、絵画を描く詩句ではなかった。絵画制作の高揚感の先にある激越な情感を表わし、それは飲酒に惑溺することであり、色欲に惑溺することであった。

 阿佐ヶ谷の街には、飲み屋が駅前の西と東の通りに列をなしてあった。バー「山路やまじ」は静岡県三ヶ日町出身の当時41歳のゲイ男性が経営している呑屋だった。「山路」のった一番街は、「リッキー」もあったし「鈍我楽どんがら」「ギャングスター」「ミルクホール」「南部駒」「わこ」もあった。勿論もちろん、私が行った呑屋は一番街で半分にも満たなかった。たくさんのバー、スナック、居酒屋があった。呑屋ではないが、ラーメン屋の「ホープ軒」は何度行ったか判らないほど行った。昭和の終り頃は、まだ九州ラーメン風のスープは珍しく、旨いと思っていた。定食屋にも日参していた。後年ではあるが、一、二度「にしぶち」にも行ったことがある。ここは板前のいる店であった。のエビを刺身にしてくれた。

 一番街ではないが、「マンボ亭」には一時期毎日行っていた。店はウナギの寝床のような建物のなかにあり、暗い照明の店内の椅子に座って、ガラス扉を通して外の風景を見るのが好きだった。

 バー「ランボー」は詩人と云われていた六十年配のマスターが経営していた呑屋で、L字型のカウンター席だけ、10人座れない店であった。「ランボー」は木造家屋の急な階段の二階にあった。私は、とても楽しい時間をすごした。

 

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