第28話 敗けることに憧れていた

 けることにあこがれていた


 世の中で成功して生きられないので、私は負けることに人生の意義なり、意味をみつけなければならなかった。もっとも、巷間こうかんを見渡しても、人間の弱さ、人生の敗北はいぼくのなかにこそ、人生のもとむべき良心や正義の片鱗へんりんがあるようで、私はひそかにあんど堵している。

 私は、とくに過去の芸術家の生涯にそれを見ていた。西洋の画家で言えば、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホやアメディオ・モジリアーニ、ジュール・パスキンであり、日本の画家で言えば、関根正二、村山槐多かいた、田中恭吉きょうきち、藤牧義夫であろうか。それに日本の文学者で言えば、太宰治が四十をまえにして自死し、中原中也、立原道造、富永太郎、彼らは自爆するように若くして病死している。彼らの多くは生前貧窮と病苦のなか芸術と格闘し、作品をつくりあげていった。それぞれあまり長くない人生であったが、芸術史に残る仕事をした。

 私は、破綻はたんした人生のなかにこそ、本物の芸術が宿やどると思った。そのほうが、若い私の気持ちに合った。

 しかし、私は迂闊うかつにも、絵の修行をせずに無頼ぶらいの芸術家のスタイルを模倣することに没頭した。またしかし、私は反省しない。私は、まだ四十三歳(2008年当時)であり、まだまだこれからだと思えるからである。人によっては五十、六十になっても、まだまだこれからとう人もあるかもしれない。私は、これからじっくりと自分の仕事をやってゆくだけである。・・・私は、確かに社会的に言って、人生の勝者とう感じではない。どちらかと言えば敗者である。しかし、私は敗者と呼ばれて満足がゆく人間になっていた。

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