第26話 死んで 時間とぶ 三回忌

 んで 時間ときとぶ 三回忌さんかいき


 他人が死ぬと、生きている人たちは死者の時間の経過を気にする。

 しかし、この詩句は、私が死んだときの実感を表現したものだった。もっとも、私は、まだ死んでいないので、死んでからの実感など言えるわけもなく、詩句は成立していない。しかし、無限の時間の底に落ちてゆくような実感はある。

 母が死んだ。父が死んだ。母は七年前に死んだ。母は死ぬまえに、病院で一週間ほど苦しんで死んだ。死ぬひと月まえには、元気で、鶏の手羽先やらカレイの唐揚を嬉しそうに食べていた。死ぬ三年まえには、元気であった。死ぬ十年まえは、もっと元気であった。死ぬ三十年まえは、私のことを心配していた。死ぬ四十年まえには、私の弁当を毎朝作っていた。死ぬ五十年まえは、幼い私の手をひいて歩いていた。

 私は、大勢の肉親の死に接し、死ぬと時間は、たちどころに過ぎてゆくものだと実感している。祖母に至っては死んで三十三年も経過している。しかし、私の記憶のなかでは、祖母は生きている記憶があり、生きているときの姿、仕草など、今でも目に浮かぶようである。

 時間の経過はすさまじい。やがて、私も時間の流れにみ込まれて、人々から記憶もされぬままに忘却ぼうきゃく彼方かなたへ追いやられるだろう。

 私は、この詩句にあるような状況に対し恐怖しかない。天井も底も知れぬ時間のなかに私が落ちてゆく。そして、そのまま永遠に回帰できないとしたら、何を頼りにしていたらよいのかわからない。

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