第25話 何処にもよらないで還る

 何処どこにもよらないでかえ


 始まりから終焉おわりへと、または、終わりから始まりへとゆく。

 これは、輪廻転生りんねてんせいの思想であった。「何処どこ」かは別の次元の場所へ寄り道をせずに戻ることを言っていた。もっとも、戻るとしても、今の自分として戻るのではなしに、自分ではない魂の状態で戻ることになる。そして、この世に再び戻るときは、以前の自分ではない自分になっている。つまり、輪廻転生しても、自分であることは一回かぎりであり、人生は一度きり、とうのは本当だと思う。

 しかし、例外はあり、死んで、また、生まれて、前世ぜんせの記憶はないはずであっが、記憶がある場合がある。前世は戦場にいた。そして、そこで戦死して、今ここにいる、等である。生まれかわりの子供が、知識もないのに専門知識を開陳かいちんして、特定の場所、事柄を言う。個人的な情報は合致がっちして、前世の家族に会いにゆく。そして、話の辻褄つじつまが合う。有り得ない、信じられぬことではあるが、事実は動かし難い。

 ひとは、いずれ死ぬ。そして、人生は終わる。しかし、事実は終わっていなかった。どうう仕組みか、人間の仕掛けたことではない大きな歯車が回転していたのである。われわれは、何者であったのか。神の存在を言いたがる者たちの気持ちもわかる。あまりに壮大な仕掛けは、ひとの考えの及ばぬところである。しかし、地球は、宇宙は、幾層にも重なった次元で構成されている世界で、まだ人間には、それらは観測できないが、実際はそうだろうと思われている。たぶん、われわれは原始人のような知識と暮らしぶりで、人間を観察している者たちからすると滑稽こっけいなのかもしれない。この文章も妄言もうげんまみれで、随分滑稽であることだろう。

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