第23話 生きていられるのなら便器のなかでも生きていたい

 生きていられるのなら便器のなかでも生きていたい


 絶体絶命、神経が草臥くたびれはてたときに出た言葉である。生命への執着、ただ、それだけかもしれない。しかし、人間だれしも、生き残って、世界を見続けたいと思うだろう。人間の願いは、最後は見ることである。感じることである。触るのも、味わうのも、聞くのも、自分の生命を感じるためかもしれないが、他者を感じることが出来なければ死んでいるのと同じである。

 また、人間は最終的には何も所有できない。形のある物は自己の死をもって所有の終了をむかえ、形のない物は、悪評も好評もしばらくは持続する。悪評は永遠に継続するかもしれない。

 何故なぜ、生きていたかったのか。生きる意味はなにか。生きるのに意味はないのかもしれない。生きていたいから、生きているだけかもしれない。

 生きる意味はなにか。私の場合は、自己の表現活動を通して世の中に影響を与え、もって自己の存在を世の中に定着させる。大仰おおぎょうな言い方をすれば、そうなるが、実際は低価格でしか売れない版画が、忘れた頃に売れてゆくだけで、世の中への影響やら存在の確定やらは望めそうになかった。

 今では「生きていられるのなら、便器のなかでも生きていたい」とも思わない。私は、幸せになったのである。時間がって、私の半生は幸せが確定した。この詩句ができた頃と、今では状況が変わっている。この頃は、三畳ひと間のアパート独居で、伴侶はんりょもなく、定職もなく、表現活動も定まらず、不安定に日々を過ごしていた。屈託くったくが煮詰まって出来た詩句であった。そして、生命への執着も、若さゆえに一層激越であった。まだ、人生を生き切っていない実感は、私を狂おしくさせていた。しかしまた、今度は老齢期になり、末期まつごの水をとるときに、この詩句を思うのかもしれない。

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