第3話 活字に 肉体を溶かしてでも生きのびたい

 活字かつじに 肉体をかしてでも生きのびたい


 これは若気わかげの詩句である。今の、私には思いつかない。もはや、私はそれほど他人のことを信じることは出来ないし、それほど他人に無用な幻滅も感じていない。

 この詩句は、私が絵画表現を始めるとき、表現生活での出発点のものであった。

 私は死にたくなかった。永遠に生きていたかった。しかし、生命のさだめで、やがては私の肉体も滅びることに決まっていた。それならば、せめて自分の精神だけでも、思念だけでも生き延びさせ、自分は死なない、と思い込みたかった。

 五十八歳の私は、活字に思念や精神の一部なりを転換できても、それほど嬉しくはない。老年となった私は、作品をどんなにうまく作り上げたとしても、他人には思った通りには伝わらないことを知っている。大概の作品は曲解、誤解され、他人の感受性で変容され消費される。私の作品は、他人に何かしら感じるきっかけを作っているに過ぎない。私の作品内容はほとんど不問に附され、私は作品によって生き延びることは出来ないと思った。

 たしかに、実際私の絵画は、私の手許をはなれ思いがけない所にあるかもしれない。しかし、額縁に入った絵画は壁に掛けられ人々の理解と共感を受けているわけではなかった。

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