第2話 初めましての飴細工
ぱくぱく、ぱくぱく。
食器同士をぶつからせることもなく、目の前の鬼は器用に食事を進めていた。
お米、お野菜、お肉、時々お汁。
やけに行儀良い三角食べを披露しながら、鬼は私が用意したご飯を平らげていく。
そんな様子を真正面から眺めている私も私だが、この鬼はこんなに呑気で良いものなのだろうか。
ずっとこの家に閉じ込められていたのなら、私を殺して逃げ出してもおかしくないというのに。
白い首をこくりと波打たせて、鬼は最後の味噌汁を飲み干した。
満足げな笑みを浮かべて、鬼は手を合わせる。
「御馳走さん!お陰でだいぶ落ち着いた」
「あ、はい、お粗末さまでした」
ニコニコと笑い、身体を伸ばす鬼。
形のよい狐目を細め、すっかりリラックスした様子だ。
やはり、幼い。
語彙はあるようだが、一つ一つの動作が容姿に対して子供っぽい。
それがどうにも不自然だった。
「なぁなぁ」
鬼が、正座のままひょこひょこと私に近づいてくる。
のけぞった私に、さらに顔を近づけて、鬼は口を開いた。
「あんた、名前は?」
「私、は、
「そうか」
鬼はしばらく黙り込むと、私の目をじっと覗き込んできた。
人のものとは違うその瞳に、思わず息を止めてしまう。
「杏。お前、俺が何か分かるか?」
突拍子もない質問に、反応が遅れる。
今この鬼は、何を聞いた?
「え?」
「……杏、俺が何か分かるか?」
そんなこと、私に聞かれたって困る。
それでも、鬼の視線がやけに縋り付いてきて、私は戸惑いながらも答えた。
「えっと、なんか凄い……鬼」
「あ〜……それはまぁ、分かるんだがな」
折角私が絞り出した答えだというのに。
鬼は左右に揺れながら、うんうんと頭を悩ませているようだ。
「鬼ってことは覚えてんだ。封印される前のこともな。俺様は鬼で、沢山仲間もいて……なんか、人間が来て、気がついたら?これだ」
一つ一つ思い出しながら、鬼が話す。
「でも、なんでだろうな。俺様の部分、記憶だけもやがかかってるみてぇに見えねぇんだよ。名前も、なんにもわかんねぇ」
ゆらゆらゆらゆら。
ずっと揺れていた鬼は、とうとう左側へと倒れ込むと、何を思ったかころころと回り初めた。
「あーどうしようかねー、このままじゃ俺様、自己紹介できねぇねー、こうなったらもう、新しく命名してもらわねぇとねー?ね?」
「ね?と言われましても」
しまいにはこちらを向いた状態で静止するので、私は返答に困ってしまう。
正直、これでもいっぱいいっぱいなのだ。
今だって、夢か何かであってほしいと思っている。
それなのに、この鬼からねだられたのは……まさかの名付け。
混乱必須。
まともに対話を試みている私は、褒められたっておかしくないレベルだと思う。
「な、な、つけてみねぇか?俺様の名前」
期待を込めた表情で、鬼が迫ってくる。
答えるべきなのだろうか。
もし私の与えた名が気に入られなかったら、その場で殺されるかもしれない。
けれど、断り続けてもなにをしでかすか……
「ど、んな……名前がいいんですか?」
「そうだな……俺様っぽくて、いい感じの」
それは実質丸投げではないのか。
とにかく、何か考えなければと、私は鬼をじっと観察した。
この鬼を表すもの、ポジティブに受け取れて、美しいもの。
第一印象。
私はこの鬼に、どんな感想を抱いていた?
悩む私を、美しい瞳が覗き込んでくる。
(そうだ!)
ぴったりな名が浮かび、思わずその場で立ち上がった。
こちらを見上げて、きらきら光るそれ。
「琥珀。貴方の目の色から、琥珀はどうでしょう?」
「琥珀……!」
自らの口でそう繰り返し、鬼、琥珀はにっ、と嬉しそうな笑顔を浮かべる。
すると、大型犬か何かのように私目掛けて飛びついてきた。
「ぎゃっ」
あまりの勢いに私が潰れた悲鳴をあげるのを気にも止めず、鬼は私に擦り寄り続ける。
「琥珀!いいな、琥珀!ありがとな〜、杏!」
「重っ、痛っ!?つつ、角が当たってる!!」
しまいには、片方が折れた角がぶつかってきたので、思わず琥珀を押し返した。
私の手が、折れた角に触れる。
途端、琥珀の動きが止まった。
「琥珀、さん?」
戸惑ったように身を震わす琥珀を、恐る恐る覗き込む。
「っあ〜!びっくりした。なんだ今の」
しかし、もう少しで顔が見えるというところで、琥珀がもとの調子に戻ってしまった。
私が安堵の息を漏らしていると、何やら目の前に光るものがうつる。
硬く艶めきながらも、繊細に伸びていくそれ。
「さて、名付けの礼だ。受け取ってくんな」
先程まで何もなかった場所に、一輪の椿が咲いていた。
陽の光を受けて反射する作り物の花は、本物とはまた違った甘い香りを放っている。
「これって、飴細工?」
「あぁ!杏も食べられるはずだ」
そう言われたものの,目の前のこれはあまりにも美しすぎて、すぐに食べる気にはなれなかった。
私がじっと飴を見つめていると、琥珀は突然____今のところ彼の行動は全て突然だけれども、飴細工を私にぐっと押し付けてきた。
唇につたわる、硬さと甘さ。
目を丸くする私に、琥珀は嬉しそうに目を細める。
「改めて……俺は琥珀。初めまして、だ杏」
きらきら、きらきら。
光輝く居間の真ん中で、飴細工が溶け始める。
椿の赤が私の唇に溶け落ちていった。
「へぇ……綺麗だねぇ」
琥珀の瞳に赤が写り込んで、蠱惑的ないろとなる。
どうしようもなく惹き込まれて、食われてしまいそうな恐ろしさが、私の背中を這い上った。
「こ、こは」
「ただいま〜!」
そんなとき。
玄関の扉の開く音と、母の元気な声が響き渡った。
菓子と、私と、あやかしと。 夜猫シ庵 @YoruNeko-Sian
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