菓子と、私と、あやかしと。
夜猫シ庵
第1話 麗しき鬼とココア味
うちの遠い祖先は、妖を打ち滅ぼす力を持っていた。
そう、お爺ちゃんから聞かされ続けたのも昔の話。
ちょっと大きいだけの家を残して、元気だったお爺ちゃんは数年前に亡くなってしまった。
そんなに田舎でもない、住みやすい京都の一軒家。
遺書もなにも残さなかった祖父はうちの親戚を散々悩ませ、その末に私の家族がこの家へと移り住むこととなった。
最初は落ち着かなかった家屋も、時が経てば我が家へと変わる。
そんなある日。
「……あれっ?」
ジャムの瓶を探すため、タンスと床の隙間を覗き込んだときのことだった。
ホコリにだいぶ隠されてはいるが、明らかにそこだけ木目が違う。
筆舌に尽くしがたい程の好奇心に誘われ、私は精一杯の力でタンスをずらしていった。
お爺ちゃんが生きていた時から、ずっとそのままのタンス。
その下に何があるのか。
なんとか移動させたその下にあったものは、小さな金属製のハンドルであった。
引っ張って見れば、ギシギシと音を立てて床が剥がれてゆく。
(これって、隠し部屋!?)
人一人入れる程度の、細い階段が下へと続いていた。
思わず、ごくりと喉を鳴らしてしまう。
入って、大丈夫なんだろうか。
中は暗く、床もいつのものか分からない。
腐っていたら、大怪我に繋がるだろう。
それでも、私の手は動きを止めない。
これはきっといけないことだ。でも。
お母さんが出かけている今が、きっとチャンスなのだ。
その考えに至って仕舞えば、床下に滑り込むのは簡単だった。
スマートフォンの懐中電灯で、前を照らして歩く。
一本の廊下になっていたため、幸い迷わずには済みそうだが、足元では先ほどから、ぐしゃりぐしゃりと紙のようなものを踏みしめる音が響いていた。
きちんと足元に注意せねばとは思っているものの、音の正体を知りたくなくて、視線を下に落とせない。
内心びくびくしながらも進んでいくと、やがて行き止まり―――― 否、扉の前に着いた。
そしてその扉につけられた、大量の札を目にして、急激に血の気がひく。
これは、まずい。
早く引き返してしまおう、と一歩後ろへと下がったその時。
ばりっ。
「へっ……」
扉につけられていた札たちが、一斉に破れた。
「な、なんで!?あっ!!」
そこで、やっと自分が足で踏んでいたものの正体が目に入る。
それは扉にあったものと同じ、札……だったであろうものだった。
衝撃に固まる私の前で、固く閉ざされていた筈の扉が、音を立てて開いていく。
暗闇を、スマホのライトが照らしていった。
部屋の真ん中に座る、人の影。
長い髪の合間から、鈍い光が覗く。
あ、目が合った。
そう思った時にはもう、それは眼前に迫っていて。
にぶい衝撃と共に、私は廊下の床に押し倒されていた。
(これっ、て)
至近距離に来て、ようやくそれが何なのか、わかった気がする。
鋭い牙に、不思議な光を灯す瞳。
そして何よりも、額からせりだした2本の角。
物の怪だ、妖怪だ、鬼だ。
夢だと思いたいが、ここで頬をつねる余裕はない。
取り憑かれたかのように、私は鬼を、彼を見つめていた。
「ひ、さびさだ。光が眩しい、目が潰れちまいそうだ……」
絞り出すような声が、鬼から発せられる。
強い力で私を押さえながら、彼は艶めかしい程に赤い口内を覗かせた。
鬼の目が、にやりと細められる。
「カカカっ、嗚呼、美味そうな生娘だ……出会って早々、名乗りもせずに悪いねえ……だが、俺様ァ飢えてんだ。此処で食わせて貰うぜ」
鬼の口が、喉元へと迫る。
このままでは、食い殺されてしまう。
逃げようにも、鬼の力は凄まじくて、びくともしない。
なにか、なにかここから逃げる術は。
この場を、やり過ごす方法は。
『俺様ァ飢えてんだ』
そうだ。
もしこの鬼がずっとここに居たのなら、腹が減るのも納得だろう。
なら、駄目元でやるしかない。
大きく息を吸い込んで、出せる限りの声で叫んだ。
「お、お菓子っ‼︎‼︎」
「‼︎」
びく、と鬼の動きが止まる。
「いま、私お菓子持ってますからっ!!あげますので!!上に行ったら、私なんかよりも美味しいお肉!あげますので!!」
そこまで言い切ってから、暫し息を整える。
鬼はといえば、驚いた様子で目を丸くしていた。
「あの……ズボンのポケットに、入ってますので。出してもいいですか?」
「……」
鬼の手が、静かに離される。
私は、自由になった片手でポケットを漁ると、シガレット菓子の箱を取り出した。
そして中身を取り出し、一つ口に含んでみせる。
「ほら、毒なんてない……あっ」
私がそう言い切るよりも早く、鬼が菓子をつまみ、口へと放り込んだ。
バリバリと噛み砕く音だけが、この場に響く。
「えと……ココア味、です」
鬼は真剣な顔で飲み込むと、じっと私の方を見つめてきた。
足りなかったのだろうか。
だとしたら大変だ、今手元にある菓子はこれだけだったというのに。
「なぁ」
いっそ逃げてみようかと考えたところで、鬼が声をかけてきた。
おそるおそる、目を合わせる。
「この菓子、美味いなっ」
「!」
鬼は、笑顔で目を輝かせていた。
あまりにもあどけない様子に、つい拍子抜けする。
暗く、詳しい顔立ちまでは見えないが、案外幼いのかもしれない。
「だが、流石に腹が膨れねぇ……上、連れてってくれ。肉も食わせてくれるんだろう?」
「う、うん」
差し出してきた手を取り、廊下と階段を進んでいく。
背が高い鬼は何度か頭か角をぶつけたようで、時折鈍い音と「痛っ」と漏らす声が聞こえてきた。
やがて、開けっぱなしにしていた入口から、光が見えてくる。
「もう少しですよ」
地下から頭を出すと、真っ白な光が視界を覆い尽くした。
「 眩しっ……⁉︎」
「数百年……もしかしたら千年くらいは経ってたかもな。懐かしい、外の空気だ」
段々と目が光に慣れていく。
そして、私は。
「……あ、えっ」
「ん?」
あどけない、幼い。
そう思った先程の自分を信じられなかった。
整った鼻梁、琥珀の瞳、陶器のような皮膚。
色素の薄い髪と肌は、脈打つように光を反射し、輝いている。
長い監禁でやややつれていても尚、それは私のイメージする妖怪とは違っていて。
初めて光の元で見た鬼男は、神の使いと見紛うほどに、神々しく、美しかった。
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