第2話

 この硬いシートにかれこれ一時間は座っているだろうか。すっかり尻が痛くなってしまい、加えてムッとする車内は快適さとはもっと縁遠い場所だった。あの日から一ヶ月は過ぎた。未だに彼の遺体は見つかっていない、もしかしたらこの世ではなく地獄のそこに向かって今も落下し続けているのかもしれない。

 時々、不意に、なんの前触れもなく彼の事を思い出す。今までに両の手では到底足りない数の人間を殺してきた。スラブ人もアジア人も、少ないがアメリカ人も。だが、味方を殺したのは始めてだった、きっと彼が最初で最後だろう―そう願っている。

 人生最大級のインパクトを持って海馬に鮮明にあの時の視覚情報は収められている。

 ぼんやりと考え込んでいた所に、衝撃と爆音が水をさした。そしてすぐさま、どこそこに敵と怒号が聞こえた。


「出ろ!」


 はね開けられたドアから車外へと飛び出して銃を構える。庭付きの家に仲間が銃弾を撃ち込んでいた。


「ホールデン! ローリーを連れて向こう行け、敵を裏口から逃がすな」


 レンガ造りの花壇を指しながら分隊長が叫んだので、了解と答えて、


「聞いたな、行くぞ」


 斜め後ろにいたローリーと共に花壇に身を隠してた裏口を狙う。一人、照準に飛び出して引き金を引く。窓から敵が急いで逃げようとするのが見え、自分は裏口を狙ったまま、


「左だ」


 ローリーの射撃音に続いて重いものが地面に落ちる音。

 家の正面に対して12.7mmが撃ち込まれ、蜘蛛の子を散らすように敵が家から飛び出して来る。ポンポン飛び出して来る敵を片付けていると、右から葉の擦れる音がして顔を向けた。ちょうど自分の方へ銃口を向けられていた。

 咄嗟に銃を向けた時、相手が肩に被弾して怯んだ。何が起きたか理解する前に数発撃ち込んで敵を倒した。


「ローリー?」


 彼の方を向くが、窓と裏口へ銃弾をばら撒いていた。車両の方を見ると誰もこちらへ銃口を向けていなかった。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫、驚いただけだよ」


 そう答えて銃を構え直した。


「クリアだ」


 家に突入した部隊がそう言っているのを聞くとようやく自分とローリーは銃を下ろした。彼の肩を叩いて再度車両へ乗り込もうと立ち上がる。街路樹の向こうに人影が見えて咄嗟に銃を構えかけるが、それはどこかへ去っていった。


「敵?」


 自分と同じく瞬時に身構えたローリーが問うが、見間違いであると伝えてエンジンのかかった車両隊と合流した。


 マズルフラッシュの先で敵兵が倒れ、味方が前進を始めてそれに続く。自分たちは優勢だ。歩兵戦闘車がすぐわきを通って建物に主砲を撃ち込んだ。

 仲間と共に前進して敵を倒す。そうしていると屋上にアンテナの生えた目標の建物が見えてきた。各部隊が散開して建物へと突入していく。もちろん自分も突入班に組み込まれている。


「突入!」


 蹴破られた扉に吸い込まれるように部隊の仲間が入っていき、自分も続けて扉に吸い込まれる。敵の死体がいくつか転がる室内で隊長のハンドシグナルによって3つに分かれて各々の扉の先をクリアリングする。

 周辺が安全だとわかると廊下へ出て虱潰しに掃討していく。

 自分が指示された扉を開けると、爆炎が目の前を覆い天地がひっくり返ってバカみたいな金属音がそこら中でうねっていた。右か左か、もしかしたら後ろかもしれない方を見ると扉があけられ、敵が飛び出すところだった。グワングワンする視界と思考で腰のホルスターへ手を伸ばした。銃がない、いや、反対か? 

 反対の腰に手を当てて銃のグリップを握ったちょうど、敵の喉にナイフが突き刺さった。首筋に刺さった物を掴んで相手が倒れる。その後ろには彼が立っていた。

 人と言うより肉食獣に近い獰猛な眼光が自分を捉えて、すぐに今しがた殺した相手の出てきた扉へ向けられた。スリングでぶら下がっていたアサルトライフルを手にして彼は単独で部屋へと飛び込んだ。慌てて立ち上がり彼に続くが、先程まで数名が立っていたであろう部屋には彼一人が立っていた。


「作戦参加者に貴方の名前は無かったと思います」


 構えていた銃を下ろしてそう訊ねた。


「ドッグタグを無くしたんだ。知らないか?」


 知る由もない質問に対して首を振ってみせ、それを見た彼は割れた窓から黒煙が何本も立ち上る光景を眺める。


「ホールデン! 無事か?」


 声に振り返り、廊下へ顔を出すと味方がこっちに走ってきていた。首を戻すと彼は消えていた。


「何してる。まだ敵はいるんだぞ」


 窓に向かって足がでかけた時、肩を掴まれてしまう。


「わかった」


 自分を呼びに来た仲間と部屋を出ると外から銃声がぼんやりと響いた。

 自分達のいる階層を確保して警戒を続けていると上の部隊から無線が入り、敵司令部を制圧したと流れる。


「集合しろ」


 周りの仲間とともに隊長の元へ集まる。こちらへ一度視線を巡らせてから隊長は口を開いた。


「回収のヘリは二十分後だ。少し休んでも良いが、警戒は怠るな。以上」

「了解」


 警戒は怠るなと言われたが、敵が来ないか目を光らせている仲間が外にいるのでそれらしい場所に移動し、近くの机に腰掛けた。外には黒い煙が一部覆った青空が広がり、その下に砂塵を被ってどれも同じ色をしたレンガ造りの家がギュウギュウ詰めになっている。その家々の隙間から自分は彼の姿を探し出そうと目を凝らした。だがそれは誇大妄想も良いところだとやめてしまう。彼はもうどこかへ行ったんだ。


「よう」


 聞き覚えのある声がして振り返る。彼が向かいの机に座っていた。


「ドッグタグは多分、もう見つかりませんよ」

「ふぅん、そうか」


 外へ視線をやりつつ特に残念がる事もなく彼が言った。


「どうして、あんな事を?」


 目だけこちらに向けた彼が首を横に捻る。


「罪を重ねなくても良いでしょう」


 鼻腔を膨らませて大きく息を吸って彼はそれを吐いた。


「じゃあ、あんたは?」

「一線は超えてませんよ。銃口を向けられない限りは」

「俺は向けていない」

「安全装置もない暴発銃なんて信用できません。でしょう?」


 肩をすくめて見せると彼は鼻で笑った。乾いた笑いの後に彼は顔をこちらへと向けた。


「ヘリが来るぞ」


 誰かの声で視線を逸して戻すと窓際に立っていた。何か言って去ろうと思ったが思いつかず、数歩歩いて立ち止まる。


「では、もう会うこともないでしょう」


 それだけ言い残して自分はその場を去った。集まった仲間とランディングポイント付近で待機する。

 騒音と共に着陸した機体に乗り込む。全員乗るとすぐにヘリは上昇を始めて眼下の世界が小さく広がっていく。

 不意にポケットに何かが入っているのに気づく。右手をそっと差し入れて小さなそれを掴む。胸の前で手を開くと、薄い刻印入り金属板2枚にチェーンがついていた。

 刻印は彼の名前。

 これまでと同じ様に金属板を一つ取りかけたが、手を止めて右手に握る。

 振りかぶって握られていた物をヘリの外へと放り投げた。

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