神の手

JUGULARRHAGE

第1話

 ジュネーブ条約、ハーグ陸戦条約etc...。

 戦争の法。戦場におけるルール。殺し方の規制、及び対象の選別。

 戦場を縛る。

 自分達兵士を縛る。

 自分の体にぐるぐると紐を巻いて両端を握ってみるとわかりやすい。動けるがある一定以上の大きな動きや特定の動きは出来ない、物理的な物に置き換えるとそういう具合となっているのが戦場のルールだ。

 そして、みんなそうやって不可視の束縛縄の端を握っている。

 でも、その手を緩める人もいる。必要に迫られてか、もしくは故意で。


 今、自分の十メール先には地面に膝をついて両手を上げながらなんちゃら語で喚いている男がいる。紺色のTシャツと黒っぽいズボンをはいて、茶色の防弾ベストを付けている。男の隣にはAK。つまり、兵士と言われる人間だ。

 その男の前には迷彩服にヘルメット、ボディアーマー、M4、etc…を装備した男が立って銃口を向けている。

 誰かがダメだと言った。そいつに対して男に銃口を突きつけたまま、「黙れ、こいつは敵だ」と言い、相手がなにか言う前に彼は引き金を引いた。

 先程までうるさかった男がパタリと倒れた。自分が覚えている内で同じ様なシチュエーションで生きていた奴はいない。相手が女とか少年兵とかなんとかなんて彼には関係ないのだ。ただ、自分か敵かの境界線があるだけだ。


「お前を必ず軍法会議で有罪にする。これは」


 指さされた兵士は若い兵士の胸ぐらを掴み、


「貴様に出来るのか?」


 そう凄んでから踵を返す。その後ろ姿を睨んでいた若い兵士は、突如彼に飛びかかった。

 ゴロゴロと揉み合った後、彼が若い兵士の眼前でナイフを突きつけている瞬間で静止した。

 沈黙が流れる。


「もうじきこの戦争は終わる」


 ナイフの握られた腕をゆっくりと掴む。彼は目だけこちらを向いていた。ゆっくりと首を振って見せながら手を先の方へと移動させ、よく研がれたそれに触れると彼は手の力を緩めた。そっとナイフを彼の手から引き抜きながら、もし、彼が兵士になっていなかったら今頃刑務所にいただろう。と思った。

 両者が立ち上がり、自分が持ち主にナイフを返すと何事も無かったかのように部隊は移動を開始した。

 正直、慣れていた。規則に縛られない者の行動を誰かが咎める。平和な場所でもある事で、本質は戦場でも一緒だ。

 回収地点で待っているとすぐにヘリコプターが飛んできて強烈なダウンウォッシュを自分達に浴びせてくる。ヘルメットを抑えて顔を庇いながら乗り込む。

 席についた瞬間、銃声。7.62mmの。

 反射的に銃声のした方向へ銃口を向けて引き金を引いた。


「早く乗れ。乗ったか?」


 パイロットが叫ぶ。数秒後に彼が飛び乗る。


「良いぞ。上げろ」


 すぐさまヘリが上昇を始める。だが、ローター音に混じって叫び声が聞こえた気がして下を見る。

 若い兵士が走っていた。


「ダメだ。まだだ! 降ろせ」


 兵士を狙う敵を上空から攻撃しながら叫んだ。


「諦めろ。パイロット、行け!」


 コクピットに顔を突っ込みながら彼が怒声を上げる。


「RPG」


 誰かがそう言ったと思えばヘリがガクンと傾いて機外に放り出されそうになるが、スリングのお陰で半分身を投げだした所で止まる。しかし、彼は回避機動により宙を舞っていた。思わず手を伸ばし、彼を掴んだ。

 自分の腕一本で吊り下げられた彼を引き上げようと力を込めた時、地面が見えた。倒れた兵士がいた。

 そうか。なんとなく理解した。彼が裁判にかけられる事はないのだろう、と。

 今、彼は一線を超えた先にある線を超えた。

 地面から視線を移すと脚を掴まれた彼が宙吊りになっている。彼の体勢で言う上を見てから顎を引いた彼と目が合う。早く引き上げろと目で語っている。

 彼を繋ぎ止める腕を見る。自分の腕の感じはしなかった。

 その手は固く握られていたが、不意にその緊張が解かれた。

 パッと右腕の感覚が舞い戻る。彼は巻き上げられた、奈落の様な黒い砂塵の中へと落ちていく。彼がずっと、地表にぽっかりと空いた穴へ落ち続けているかに感じる。

 多分、奈落の穴の底には地獄があるんだろう。

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