第14話 焦燥感


「礼を言う、タンポポ。ツルバミには新たな目標が必要だった。お前に準備させてやれないのは心苦しいが、俺はお前の腕前を信じている。お前なら弟子を取ったって何かを言われることもない」


 神殿の偉い人に挨拶に行こうとツルバミがクチナシさんに連れて行かれた後、シロガネ様があたしを向いてそう言った。はぁ、とあたしは気の抜けた返事しかできない。


「そう思ってくれるのは嬉しいんですけど……ツルバミに目標が必要なのも言われたら解りましたけど……あたしで良いんですかね……」


 仕事もまだ途中で、神様を本当に修繕できるかも判らない。修繕師としての実績はまだ全然積んでいない。そんなあたしが弟子を取るなんて。いくら届けは必要なくても、弟子なんだか判らない子どもが近くにいたら奇異な目で見られることには変わらないと思うけど。


 まだ実感が湧かないあたしに、シロガネ様は目を細めて微笑んだ。寝る前にこんな顔で笑うのは見たことがあるけど、明るいうちにはないような気がしてあたしは密かに息を呑む。シロガネ様の綺麗な顔で微笑まれたら何でも頷いてしまいそうだ。


「お前だから頼んだんだ、タンポポ」


「……ありがとうございます……」


 胸がじんわり温かくなった気がして言葉がつかえそうになった。修繕師としての信頼。そう解っているから、あたしはそれに応えなくてはと思う。ツルバミも修繕師としてのあたしを見て弟子になりたいと思ってくれたのだろうし。


「よーし、修繕、がんばるぞー!」


 修繕師として求められること。その仕事の完遂に向けて気合を入れたあたしを、シロガネ様が頼んだと応援してくれた。



* * *



 親骨と子骨の修繕と補強には数日をかけた。骨組みというのは形を保つのに重要な部分であるし、此処が修繕不可能になってしまったらいよいよ“ひずみ神”まで秒読み状態になってしまう。此処が崩れれば傘を傘として認識する紙の部分も破けやすくなるだろう。そうなれば再び雨を防げなくなる。閉じることはなく、ずっと開きっ放しだとしても、だからこそ頑丈でなくてはならない。


「ふぅ!」


「終わったのか」


 ひと息つくために神様から離れたあたしをシロガネ様は労いながら神妙に尋ねる。まだです、とあたしは答えた。数日かけているだろう、とシロガネ様は驚いた様子で目を丸くする。シロガネ様の隣で見学していたツルバミも同じように目を丸くしていた。顔立ちは似ていないのにそうしているとまるで兄弟であたしは思わず笑っていた。


「数日かけた方が良い場所なんです。本来なら職人が数日かけた場所だから。神様の方が、それだけの時間を欲してるというか……。傘骨をしっかり修繕しておけばまだまだ壊れなくて済みますから」


 あたしの返答に、そうか、とシロガネ様は受け入れてくれた。細められた目はあたしの体力を心配してくれているのが判るもので、何だか申し訳ないと同時にくすぐったい。神様を直すために必要な人材だから、というだけの理由だと解っているのに。心配してもらえるそれが温かくて勘違いしてしまいそうになる。


「此処が丈夫であれば紙が破けることがあっても軽微な修繕で良くなります。神様の命と言っても良いかもしれません」


「神の命?」


 ツルバミの問いに、うん、とあたしは頷いた。


「あたしたちがひと目見て名前を言えるのは物に形があるから。その形を物も覚えていて、だから直ろうとするの。この神様は傘の形をしている。あたしたちが形を見て傘だと理解するのは多分、この骨の部分だから。此処が壊れなければ紙は何回だって張り替えられるし、形も失わない。だから此処がこの神様の命」


 拒まず、神気は要求しても着実に直っていく。その過程は修繕師にとっての報酬だ。手応えでもあり、目に見える結果でもある。まぁこの神様にもあたしの色は移ってしまうのだろうけど、神様なんだからきっとそんな細かい部分は気にしない、はずだ。


「だから時間をかけるの。この先ずっと在るために。未来でこの神様を直す修繕師のためにも」


 物は自力では直らない。必ず修繕師が必要になる。その時の修繕師の腕が良ければ心配は要らないけれど、必ずしもそうとは限らない。修繕師は短命だ。なりたい人も減っていくだろう。手の施しようがなくなる前に修繕依頼は欲しいものだけど、修繕師がいなかった場合はその限りではない。自分のところに舞い込む依頼が他の誰にもできず、けれど自分の手にも負えない事態であることが少しでも減るようにあたしはあたしにできることをしなくてはならない。


 ペーパーランタンだったアイテツの国の神様は応急処置のような修繕しか施されていなかった。神様が国を守っていくにあたってどれくらい摩耗して、どれくらいの期間でメンテナンスが必要になるかあたしは知らない。あの応急処置では間に合わず、シロガネ様は神様の影響を受けて暗闇に囚われていた。ひずみ神になるのも時間の問題だったのだろう。


 この、神様は。


「さーて、ちょっと休憩したし、仕事仕事!」


 ぐるぐると肩を回してあたしは再び作業に戻る。懐紙を咥え直して刷毛を手に取り、集中した。けれど。


 この神様に残された時間は一体、後どれくらいだろう。


 胸に浮かんだ疑念が消えない。その疑念はずっと胸にあったものだけれど、不意に大きく重く、存在感を増したようだ。


 ペーパーランタンの神様はひずみ神に近づいて周囲を照らせなくなった。そうして出た影響が、周囲を暗闇に閉ざすことだ。アイテツの国、お隣のワカタケ村はずっと暗闇に閉ざされていた。あれは、いつからだった?


 神様が“ひずみ神”になってしまう期間はどのくらいだろうか。


 夜は毎日やってくる。ペーパーランタンの神様は毎日の暗闇を照らし続けた。幾つもの夜を照らし、人々を導き、安心させ、守ってきた。そうして磨耗するのはどのくらいだろう。修繕はどのくらいの頻度で行われただろう。


 チグサは雨の国だ。それをずっとこの神様が受け止め、守ってくれた。命育むために必要な分だけを選別して時には手を緩め大地に恵みを降らせたかもしれない。それでも不要な分は全部受け止めてくれたのだろう。こんなにボロボロになるまで。


 雨は今も、降り続いている。


 残された時間の猶予に焦燥感を駆り立てられながら、あたしは目の前の神様に丁寧に触れた。


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修繕師タンポポは決意した 江藤 樹里 @Juli_Eto-

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