第13話 弟子見習い
うわぁ、どうしよう。何か失敗したかな。やっぱり色? 色が移って黄ばんだのが良くなかった? タンポポ色とは言ったって黄ばんだらそりゃ良くは見えないかもしれないよね。そうだよね、ごめんね。
慌てて言い繕おうとして口を開いたあたしに、どうして、とツルバミの方が先に口を開いた。うわぁ、それはあのそのあの、あたしにも判らなくて! どうして色が移るのか、未熟だから以外にきっと理由はないんだけど!
「どうして、かーちゃんの刺繍まで直せるんだよ……」
「……え」
ツルバミがあたしのところまで小走りで駆けて、あたしが持つ服に手を伸ばす。ツルバミの服だから返さない理由はなくてあたしは手を離した。その服の裾、ツルバミが着ていた時にはもうほつれてボロボロで、ただ糸が垂れていただけの其処には手縫いの刺繍が施されている。小さな小さな、
ぎゅ、とツルバミは泣きながら服に顔を埋めた。あたしは途方に暮れてシロガネ様とクチナシさんを見る。シロガネ様は相変わらずの大真面目な表情でよく読めない。クチナシさんは、優しい顔をしていた。
あぁ、悪いことじゃないんだ、とあたしはクチナシさんの表情から知る。泣いていても困ったことではもしかしたらないのかもしれない。
「ツルバミ」
あたしは両膝をついてツルバミの顔を下から見上げる。服に埋めたツルバミの顔は見えないけれど、小さく細い肩がしゃくりあげて震えているのが判る。どうして、とツルバミは尋ねた。あたしはその答えを持っている。それならそれには、答えなくては。
「あたしはその服がどんな姿をしていたのかは知らない。でも、服の方は覚えてるの。ツルバミが大事に大事に着たからだよ。どれだけボロボロになっても手放さなかったから。それがその服の記憶。その服が戻りたかった、元の姿なの」
ひぐ、とツルバミはしゃくりあげる。息を詰めて、震える息で呼吸を繰り返して。あたしは昨日と同じようにツルバミの頭を撫でた。何だかそうしたかった。シロガネ様の手みたいに、あたしの手もツルバミにとって大きくて温かかったら、良いのに。
「あたしは神気でその服の記憶を刺激しただけ。それが修繕師の仕事だから。物が持ってる記憶を呼び起こせば、物は形を取り戻す。そう教わった。あたしの仕事、どうだったかな。満足してくれた?」
ツルバミは答えない。ずるずるとその場にしゃがみ込み、直したばかりの服に涙を吸わせ続けた。ツルバミ、と静かに呼んで動いたのはシロガネ様だ。
「お前が壊そうとしていた神は、もう壊れかけだ。タンポポはそれを懸命に直している。お前はそれでもまだ神を壊すと、そう言うか?」
しゃくりあげるツルバミの背をゆっくりとさすりながらシロガネ様は無感情に尋ねた。どちらを答えても構わないと思っているような声で、けれど言葉はそう答えてくれるなと懇願していて。
「タンポポがお前の服を見て眉を顰めたか? 神もお前の服も等しく、記憶持つ物として扱った。いずれも等しく丁寧に扱った。タンポポにとっては神もお前の服も、同じだ」
ツルバミは声をあげない。けれど大きくしゃくりあげて、嗚咽を漏らしていた。服に押し付けた口からくぐもりながらも苦しげな泣き声がして、ツルバミ、とシロガネさまはゆっくりと名前を呼ぶ。
「壊すのは一瞬だ。神を壊せばこの土地は呪われ、誰も外へは出られなくなる。お前はそれを望んでいたのか? お前の、母親が? お前の服に刺繍を施す母親がそんなことを本当に願ったのか?」
「……っ」
一際大きな嗚咽をひとつ、零して。
「とーちゃん、が」
ツルバミは口を開いた。
「おれたちを、置いて、行って。かーちゃん、は、ずっと、ずっと、待ってたんだ。仕事で帰りが、遅くても、食べるもんが、何もなくても、病気に、なっても。おれに、食わせて、自分は何も、食べなくても。今に、とーちゃんが、帰ってくるからって」
帰ってこなかったのだろう。ツルバミの口振りから察してあたしは目を伏せた。シロガネ様はツルバミの背を撫で続ける。何も言わないけれど止めない手は、話を聞いていることの証明でもあるようで。ツルバミはまたしゃくりあげながら言葉を続けた。
「そのうち、かーちゃん、は、弱って死んじまった。おれ、何も、できなくて。食べ物ひとつ分けてもらえなかった。自分の飢えを凌ぐだけで、精一杯、で。とーちゃんは、この国にいるんだ。だから、出られなくしてやる。かーちゃんがいるこの国から、出られないようにしてやるんだ。そうしたら、そうしたらきっと、かーちゃんは、とーちゃんに会える、だろ」
「……」
あたしは息を詰める。クチナシさんも泣きそうに表情を歪めていた。幼い体いっぱいに抱え込んだそれをどうしたら良いか、ツルバミなりに考えたのだろう。そうして辿り着いた答えが、『解体屋』だった。
「お前の母親が、そう願ったのか?」
シロガネ様は再度ツルバミに同じ問いを投げかけた。それがツルバミの辿り着いた答えだったとしても、ツルバミ自身が願って行動に移したのだとしても、その根底には母親の願いがあるとシロガネ様は思うのだろうか。シロガネ様の問いにツルバミはかぶりを振った。
「かーちゃん、は、ちが……」
「何を願ったんだ。お前の母親は、お前に」
「……強く、力強く、生きろって」
ツルバミの声は震えていた。なら、とシロガネ様はツルバミの背をひとつ、ぽんと優しく叩く。
「お前がすべきことは、何だ」
人にナイフを向けることが強さではない。神を壊すことが力強さではない。シロガネ様の言葉や声にはそういった想いが込められている気がして、あたしはツルバミをじっと見つめた。力強く。その単語が引き金になってツルバミを揺らしたのだろう。ツルバミもきっと、気づいていた。自分がしようとしていることが本当には自分の望みを叶えてくれるものではないことに。
「……おれ、『解体屋』は、や、やめる……」
ツルバミの言葉にクチナシさんもあたしも息を吐いた。そうか、とシロガネ様はツルバミの頭を撫でる。大きくて温かなその手で撫でられたらツルバミもきっと安心するだろう。何故ならあたしもその手の力を知っているから。
「もうやらないと誓えるか」
「ち、誓う。誓うよ……っ」
ずび、と鼻を啜りながらもツルバミは頷く。シロガネ様にはそれで充分だったみたいだ。優しい表情を浮かべると、クチナシさんを呼んだ。クチナシさんも何をすべきか分かっているかのように、はい、と穏やかに返事をする。
「昨日の開放日から子どもがひとり、迷い込んでな。親がないらしい。この神殿で預かってはくれないか」
「ええ、ええ、構いませんよ。これも神様のお導き。さぁおいでなさい、この神殿の中を案内しましょう」
シロガネ様からツルバミの世話を任されたクチナシさんが優しくその肩を抱いて、優しい声で促した。ツルバミは直したばかりの服でまだえぐえぐと涙を拭いていたけれど、バッと顔を上げるとあたしとクチナシさんを交互に見る。涙と鼻水でずびずびになった顔が何処か必死だから、あたしたちはきょとんとしてツルバミを見つめた。
「おれ、おれも、修繕師になりたい……っ! 変な名前なんて言ってその、ご、ごめん……おれを、弟子にしてほしい……!」
「弟子⁉︎」
此処で修繕師はあたしひとりだけだ。あたしの仕事振りを見てそう思ってくれたならそれはとても嬉しいことだけど、正式な修繕師になって本当にまだ日が浅いあたしはただ驚いて目を白黒させてしまった。
「だそうだ、タンポポ。俺もお前に弟子入りしたいと思っていた」
「シロガネ様⁉︎」
ちょっと前にシロガネ様とそんな話をしたことを思い出してあたしはびっくりした声を出した。シロガネ様が小さく笑う。あたしと同じやりとりを思い出しているからだろう。でも此処で勢いに任せてダメだと拒むのは、否定な気がした。シロガネ様はともかくツルバミはちょっとは本気で思ってくれているのだろうから。まだ他にどんな仕事があるかも知らずに、知らない世界を見たからとは思うけれど。
「ちなみに正式な修繕師となった後なら弟子を取る時の届けは必要ない。誰もお前を咎めない」
シロガネ様がダメ押しでそんなことを言うけれど、そんな風に言ったらあたしが弟子を取るみたいに聞こえると思う。ツルバミに下手な期待を持たせたくない。
「神を修繕するんだ。弟子を取る技術に不足はないと思うが」
「うぅぅ……」
逃げ道をどんどんと塞がれてあたしの口からは苦悶の声が漏れた。シロガネ様は益々笑う。普段は大真面目な顔をしているくせに、どうしてこういう時だけそういうことをするのだ。そうは思ったけれどそれをひっくり返せるほどの言葉をあたしは持たない。
「み、見習いとして、なら……弟子なんてあたしも取ったことないし、弟子見習いというか……そういうのなら……」
苦肉の策として搾り出した言葉はけれど、ツルバミには肯定的に聞こえたようだ。顔をパッと明るくして、頑張ると意思表明までしてくれた。どうしよう。弟子なんて、考えたこともなかった。正式な修繕師としての仕事だってまだ完遂していないのに、早々に弟子。いやまだ見習いだけど。弟子見習いだけど!
弟子に見習いなんてあるんだろうか、と思いながらも誰も変だと言わないから、ツルバミは今日からあたしの弟子見習いとなり、あたしは修繕師になってまだそんなに経っていないというのに弟子見習いを取ってしまったのであった。
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