第12話 タンポポのサービス


「え、ツルバミをクチナシさんに?」


 修繕作業を終えて休もうという頃、シロガネ様に告げられた言葉にあたしは一瞬驚いてしまったけれどそれもそうかと次いで納得する。子どもとはいえ『解体屋』を名乗った人物をどうするか、神殿側に裁量権があるのだろう。既にツルバミはクチナシさんに引き渡された後らしく、お湯を頂いた後のあたしは自分がゆっくりしている間に進んだ物事にぽかんとしていた。クチナシさんやシロガネ様なら大丈夫とは思うけど、どうか手荒なことはしないでほしいと思う。


「湯に入れて清潔にするところからだな。ノミやシラミの類はいないからそう時間がかかるものではない。垢は何度か擦れば落ちるだろう。温まって綺麗な服に身を包めば今とは違う心地になる。お前の仕事振りを見た後だしな。心地は既に変わっているだろうが」


 シロガネ様の言葉にあたしは首を傾げた。解っていないか、とシロガネ様は目を細める。どうしようもないものでも見るような目だったけれど、その目に温かさがあることはあたしにも判る。


 おいで、とシロガネ様は寝台にあたしを招く。シロガネ様もお風呂の後なのか少し頬が上気している。すぐ布団に入った方が湯冷めしないのはそうで、あたしは大人しく従った。


 夫婦というものは同じ寝台で寝るもの、とクチナシさんに聞いてから抵抗なくあたしはシロガネ様と既に同じ部屋で、同じ寝台で眠っているけれど布団は別々だ。いつもはそんなに寄ることもないのだけれど、今夜はシロガネ様があたしの方を向いて僅かに上体を起こす。立てた片腕で頭を支えてあたしを見下ろして、外の僅かな灯りがシロガネ様の綺麗な銀を反射させた。


「タンポポ、お前の仕事に向き合う真摯な姿勢は見る者を惹きつける。お前にその自覚はないようだが。だから俺はツルバミにお前の作業する様子を見せた。自分が壊そうとした物をどれだけ真剣に直そうとする者がいるか、言葉を尽くすより見せた方が早いと判断したからだ。それは間違えていなかったと思う」


 シロガネ様の星が散る目があたしを見ていた。吸い込まれそうなその目は僅かな灯りでもとても綺麗だ。


「ツルバミの服を直す約束をしていたな。良いのか、ツルバミが何かを返してくれる保証はないぞ」


 言葉だけ見れば冷たく聞こえたかもしれないシロガネ様のそれはけれど、声が優しい。良いのか、なんて言いながらその実そんな風には思っていないのが伝わってくるからあたしは小さく笑った。


「良いんです。あたしの腕を信じてくれたら将来ツルバミが依頼をしてくれるかもしれないじゃないですか。着替える服がないだけかもしれないけど、でも大切な物かもしれないから。修繕師に依頼したこともなかったって言ってたし、見たこともなかったみたいだし」


「お前が直してくれたならあの子も『解体屋』は辞めると言うかもしれない」


 シロガネ様の楽観的なそれは願いにも似ていて、そうだったら素敵、とあたしはまた笑った。壊すのはきっと、簡単なことだ。でも壊れてしまったのではなく、意図して壊してしまうならそれは自分の心にもヒビが入るに違いないとあたしは思う。まだ使えるものを壊すなんて勿体ないし。壊れる時の音は多分、物自体の悲鳴だから。


 そう言ったらシロガネ様は一瞬だけ息を詰めて、そうだな、と溜息を吐くように同意した。お前には物の声が聞こえるのか、と問われてあたしはかぶりを振る。横になると段々と瞼が重くなってきていて、シロガネ様の綺麗な顔を見ていたいのに目を閉じた。


「聞こえないです。でも、物も黙ってるわけじゃないから。人には判らない言葉でも物は語ります。あたしはそれを聞き逃さないようにして……」


 修繕を、と続けたはずなのに耳に聞こえたのはむにゃむにゃした自分の声だった。わぁ、もう眠い。今日は色々なことがあったし作業中はずっと集中していた。明日は今日の分の修繕具合を確認して、補強が必要なら施して、不要ならその先へ進んで……、と考えていたら大きくて温かで柔らかなものが頭に触れた。撫でるように動いたそれがシロガネ様の手だと、何となく判る。


「駆けつけるのが遅くなってすまなかった。ゆっくり休むと良い。明日また、頼む」


 外の向こうでは雨が降り続いている。その雨を止めることができるのは神様だけだ。あたしは明日も修繕に励む。どんな妨害があろうと、それがあたしの受けた依頼だし、仕事だ。嫌な手応えはないから神様だって直りたがっている。それなら、大丈夫。


 シロガネ様の大きくて温かな手に撫でられて、あたしは微睡みに沈んでいった。



* * *



「さぁさぁ、修繕師タンポポちゃんの手腕、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!」


 観客はシロガネ様とツルバミとクチナシさんだけのその部屋で、あたしは精一杯に盛り上げた声をあげる。三人ともそんなに賑やかな方じゃないからあたしの出す雰囲気に乗ってはこないけれど、視線はあたしを向いているしクチナシさんはニコニコしてくれている。うん、大丈夫、とあたしは勇気をもらって口角を上げた。


 人前で修繕なんて村にいた頃は機会もなかった。安心させるために笑顔は練習した。結果はあたしの名前の色が移ってしまうし、あまり満足してもらえなかったから最後は肩を落として帰っていた。満足してもらえなければ当然、続く依頼もなかったけど。でもこれはあたしのサービス。あたしがやりたいからやることだ。色が移ったらツルバミは何か思うかもしれないけど、取り敢えずまた着られるようにはなるから許してほしい。


「此処に広げたのはツルバミが着ていた服! 使い込まれて物冥利に尽きる状態だけど、まだ着られたら良いなって、そう思わない?」


 敷いたゴザの上に広げたツルバミの服は、クチナシさんが昨日ツルバミと一緒に洗ってくれていたらしい。汚れが落ちて明るいところで見れば思った以上にボロボロで、ほつれも多いし雑巾と間違われてもおかしくないくらいではある。それでもクチナシさんも汚いからと、ボロボロだからと邪険にしたり捨てたりするようなことはなく、できる限り綺麗にして乾かしておいてくれたのだ。雨が降り続いているからまだ乾ききってはいないけど。


 あたしは持ち主であるツルバミに問いかけた。ツルバミは今日、神殿から借り受けた清潔な簡易的な服に袖を通している。首と両手足が出るように作られた服は腰のところで縄帯を留めて、靴も洗ったのか子ども用のサンダルを履かされていた。ちょっと足元は冷えるだろうけれど、『解体屋』にしては良い待遇なんじゃないかと思う。でも着慣れないのはそうだろうから、ツルバミとしては自分の服が戻ってくるならそれに越したことはないはずだ。


 案の定ツルバミは警戒した様子で両隣のシロガネ様とクチナシさんを窺いながら、逃げ場がないことに観念したのかあたしの問いに小さく頷いた。直しましょう、とあたしはフフンと得意気に笑うと大きな刷毛を持って腰に手を当てた。


「ド派手な修繕作業を見せてあげる。瞬き禁止! タンポポちゃんの手腕をとくとご覧あれ!」


 子どもの服の修繕に、大量の神気は必要ない。でも昨日ツルバミに地味だと言われたのをちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、気にしていたからあたしは敢えてド派手な修繕作業を見せてあげることにしたのだ。細かい部分は小さな刷毛に持ち直す必要があるけれど、全体の修復には大きな刷毛でも対応できる。


 石橋を直した時と同じ大きな刷毛でツルバミの服を上からそっと撫でる。上から下へ。ボロボロだった服の繊維が元の姿を思い出してお互いに繋いでいく様子をツルバミは目を丸くして見ていた。昨日の神様の修繕では距離もあったし細かい部分までよく見えなかったのだろう。


 ほつれてボロボロ感を増していた部分が服の形を取り戻して襤褸から服に見えるようになった頃、あたしはふぅ、と息を吐いた。立って行う修繕だから懐紙は挟まなかったけれど、息を吹きかけないように多少詰めていたのはそうだ。忘れていたわけではないけれど呼吸を戻して、ゴザから服を取り上げる。細かい部分の修繕はまだだけど、随分とマシになった。


「ツルバミ、どうかな。ツルバミが覚えてる服に戻った?」


 色はやはり移ってしまっていたけれど、まぁ愛嬌だ。ツルバミがそれを許してくれるかは判らないけれど、嫌なら染めようと思えばまぁ染められなくもないだろう。そう思ってツルバミを見たあたしはギョッとする。ツルバミは大きな目に涙をいっぱいに浮かべて、あたしを凝視していた。


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