第9話 ツルバミ


 視界に入った刺客を見て、あたしは目を丸くした。雨の中を抜けてきたのか全身びしょ濡れだ。目深に被ったフードからぽたぽたと雫が落ちる。あたしの頬を濡らしたそれはけれど、ひどく冷たい。


 子どもだ。


 あたしに馬乗りになった体はまだ幼く小柄で、小さな手がナイフを握っているらしい。引き結んだ唇が見えた。かさついた唇を力任せに引くから切れて赤が滲んでいる。あたしより十は下に見える子どもが物騒な物を握って襲ってくるなんて、ただごとじゃない。


 石畳に強かに体を打ち付けて結構な音がしたと思ったけれど、出入り口の賑わいが此処まで聞こえてくるほどだから誰にも聞こえていないかもしれない。背中というか肩が痛い。大きな刷毛を使っていないから背中には背負っていないしパッと見ただけでは判らないはずだ、と思ったものの作業着が明らかに神殿の人ではありませんと物語っていて無理があったことに今更気づいた。だからクチナシさんも心配したのだろう。動きやすいからとあたしがこれを好んだばっかりに。


「あの……」


「黙れ、喋るな。お前、修繕師だな」


 ぐ、と喉元に突きつけられたナイフが更に押し込まれそうになって咄嗟に息を呑んだ。こんな子ども相手でも命のやり取りは今向こうが有利を取っている。幼い声に胸が痛んだ。目の前の現実と聞こえてくる声とが一致しない。無理矢理に喋らされているような、そんな印象を受けた。切羽詰まって、どちらが命の危機に瀕しているのか分からなくなるような。


「神は何処だ。お前、知ってるか。案内しろ」


 案内しろと言われてもあたしは地面に転がされていて動くに動けない。困って子どもを見上げたら、少しだけナイフがずらされた。


「動けないんだけど……」


「うっ。でも離したら何処か行くだろ」


 焦った声に、うーん、とあたしは考えた。知らないうちに転がされたこともあるし、あたしより足が速い可能性もある。あたしだってコガモの田舎を走り回って育ったから足の速さにはそこそこ自信があるんだけど。でも実際にこんな子どもに身動き取れないようにされているし。


「行かない。約束する」


「……信用できない」


 それはそうだ、とあたしも思う。不意を突いて自分が有利に立ったのに起き上がられたら不利になるかもしれないと考えるのは当然だった。小柄な子どもだし、いくら何でもあたしの方が大きいだろう。


「あなた誰? どうしてこんなことするの?」


「……うるさい。お前、修繕師だろ」


「答えてもらえないから答えない」


「なっ」


 動けない相手に反抗されるとは思っていなかったのか、子どもは予想外の出来事に反応する。手慣れている気がしたけれどその先まで手慣れているわけじゃないんだ、と思ってあたしは少し安心した。容赦なく人の命を狙いながら奪いはしない。人質としても価値があるか判らないあたし以外にアテがないんだろうと推測した。


 何処が神様の部屋か判らない。下手に開けて何かあっても困るときっと、思っている。


「〜〜〜〜ツルバミ」


 喉の奥から絞り出すような声がして、それがその子の名前だと気づくのに数秒を要した。ツルバミ、とあたしは繰り返す。何だよ、とぶっきらぼうな返答があった。


「教えたぞ。お前も教えろ」


 喉に当てられていたナイフのきっさきがあたしの鼻を向いた。喋れるようにしてくれたのか、無意識に指を差そうとしてそうなったのか判らないけれど、とりあえず喋ることで刃が食い込むことはなくなった。分かった、とあたしは答えてから名乗る。


「あたしはタンポポ」


「タンポポ? 変な名前」


「はぁ〜? 春に咲く力強い花なんですけど! 髪だってほら、タンポポ色でしょ!」


「タンポポは雑草だろ」


「ざ……雑草でもお花はお花ですぅ〜! 雑草でも良いんですぅ〜! 力強く生きてくんだから!」


 ちょっと、いやかなり自分でも気にしている名前だから指摘されてついムキになって言い返した。誰もがあたしの名前を聞けば驚いた顔をする。タンポポなんて名前をつける人はやっぱりそういないのだろう。偏屈ジジイだってその辺に生えていたから拝借したに違いないだろうし。


「力強く……」


 でもツルバミはあたしの言葉に引っかかったようだ。向けられたナイフが鈍く光る。小刻みに震え始めたそれを両手で持ち直してツルバミはあたしの鼻先に再度突きつける。うつ伏せの状態ではツルバミの両手が空いても動けるようになるわけでもなくて、あたしは絶体絶命だ。子どもだからまだそういった経験はないだろうけれど、子どもだから衝動的に何をするか判らない。これ以上はあまり刺激しない方が良いだろう。


 と、思っていたら。


「何をしている」


「!」


 咎める声がしてツルバミが飛び上がった。そのまま物理的に浮かび上がってあたしの体に乗っていた重さがなくなる。猫みたいに摘まれて、ツルバミは手足をバタバタさせていた。わぁ、全然届いてない。


「無事か、タンポポ」


「え、あ、はい、無事です!」


 真っ白な長衣に銀の髪が揺れる。子どもを持ち上げていない方の手でナイフを落とさせて、靴の下に踏んだ。蹴り飛ばすでもなく自分の管理下に置くそれは反対にシロガネ様の方が手慣れているように見えた。星が散らばる綺麗な目が私からツルバミに向いて、その目に吸い込まれそうな感覚を覚えたのだろう。ツルバミは息を呑んで大人しくなった。


「神殿の子どもじゃないな。何処から這入り込んだ。許可された範囲を超えているぞ」


 刺客、と言っても信じてもらえないかもしれないと思うほど幼い子ども相手でもシロガネ様は律儀に尋ねた。ナイフを持っていたし敵意を持っていたのは明らかだけれど、それでもあたしはやっぱり何かの間違いだとツルバミの発言から判ることを期待していたのだ。


「おれは、解体屋だ!」


「……そうか」


 けれどツルバミは自分を解体屋だと断言した。こんなに幼くても解体屋として神殿に這入り込み、人を襲うことがある。それは何だか胸の痛くなる話で、クチナシさんが教えてくれたことが蘇った。でもこの子はこの神殿の中をよく知らないようだから、この神殿から出て行った子どもではないのだろう。


「起き上がれるか、タンポポ。少し時間がほしい。お前にも話を聞いてもらいたい」


「はい、あ、え? あたしもですか?」


 うつ伏せだったあたしは慌てて起き上がり、服の汚れを払う。一応は屋根がある場所で転がされたからほろうだけで汚れは落ちた。ツルバミから滴った水で濡れた部分は湿っているけれど仕方がない。


「そうだ。この『解体屋』の話を聞きたい。タンポポ、お前の安全は俺が保証する」


 シロガネ様にそう言われて断れるはずもなく、あたしは頷いた。不覚を取らなければあたしだって子ども相手にそう負けることはない、と思うし。摘まれたツルバミは実力差を思い知ったのか暴れてはいないけれど、機を窺っている可能性もある。お互い怪我がないのが一番なのだけど。


「こっちだ。タンポポ、悪いがナイフを拾ってくれ」


 シロガネ様はツルバミを摘んだまま、踵を返して歩き出す。あたしはシロガネ様の靴の下から鈍く光るナイフを拾って、その後ろに続いた。


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